第17話 【百鬼刀 白鬼】


 辺りはすっかり闇が支配する世界へと様変わりしていた。

 そこは、ヨール市から離れたガラム街道西に5キロ地点。その外れにある森の中だった。


「もうそろそろか」


 普段なら暗くて足元も見えない森であるが、今宵は満月の光によって視界も良好だった。

 月光を浴びて映し出されるのは真っ黒な髪と瞳を持つ男。

ケイ=ウィンズ。しかし、彼の姿は、昼間の制服とは異なっていた。

 紺色のスーツに身を包み、それを隠すように漆黒のマントを羽織っている。腰にはいつもの剣を提げているが、装いは完全に学院のそれではない。そして、何よりも目立つのは彼が被る仮面。装飾もなく、白く塗り固められただけの簡素なもの。 真っ暗な夜に、その仮面は少々不気味であった。

 森を優雅に歩くケイ、夜は魔獣に出現が活発になる時間であるが、まるでそんな危険など抱いていないようにゆっくりとした足取りだった。

 少し歩くと、ケイはちょっと開けた場所にたどり着いた。


「待たせたな」


 そこには、ケイと同じような恰好をした二人の男女がいた。


「あら、今回はアナタと一緒なのね」


 女は、ケイの姿に気づくと仮面の下から美しい微笑みを向ける。腰まである紫色の髪の毛は美しさの中にどこか棘を感じさせ、サラと似たような雰囲気を持っていた。


「げっ、なんで俺様がオメェらなんかと」


 そして、もう一人。ケイ見て明らかに嫌そうな声を発する男。声からして年の頃はケイより少し若い。リンよりは薄く、切り揃えられた赤毛。ケイと近い年頃の彼は猫のような目で睨みつけてきた。


「……【茨】に【狼】か」

「よろしくね、クロちゃん」

「あぁ」

「けっ……」


 今回のパートナーを務める相手を確かめるケイ。名前を呼ばれた【茨】という女性は友好的に手を振り、【狼】と呼ばれた男はイライラしたように舌打ちを鳴らす。

 クロ、というのはケイが使っている偽名だ。当然、二人も本名も違うのだが、詮索しないのが暗黙の了解であるために誰もそのことに触れることはない。


「役立たずどもが次々と……」

「あらあら、【狼】は今日もツンツンしているわね。まるで猫みたい」

「誰が猫だ、あぁん? この年増が」

「……どうやらここで死にたいみたいね」


 動物扱いが癇に障った【狼】が【茨】を眼づける。威嚇すために言われた言葉に、これまで穏やかな顔をしていた【茨】はまるで氷のような冷たい視線で殺気を出す。

 険悪な状況に、ケイは静かに告げた。


「止めろ、ここで争っていても無意味だろが。あとでやれ」

「はっ、三下がでしゃばるな糞が」

「この馬鹿には、ちょっと調教が必要みたいね。ちょっと時間を頂戴クロちゃん。お仕置きするから……」



「いい加減にしろ」



 刹那、【狼】と【茨】の動きがピクリ、と止まった。睨みあっていた両者は、視線をケイに向ける。


「……二度目はない。次同じこと言わせたら殺す」


 抑えることなく放出される殺気。一般人がまともに受ければ、気絶してもおかしくないほどの威力だった。

 その証拠に、彼らの額から僅かながら、冷や汗が垂れる。


「ちっ、命拾いしたなババァ」

「それはアナタのほうでしょうが、犬」


 まだ口が治らないようであるが、これいつも通りなのでケイは放置することにする。このままでは、話が続かない。


「それで、ターゲットは?」

「情報が確かなら、あの中ね」


 ケイの質問に、【茨】は視線を前へと寄越して答える。ケイと【狼】も彼女の視線を追うと高い崖の一番下。昼間にティアを助けた場所にあった洞穴によく似た穴があった。


「あれが、ターゲットの根城か。元々は盗賊のアジトだったという」

「えぇ、その通り。中は複雑に入り組んでいるし、いくつもの部屋があるからそのどこにいるのかは分からないわね」

「当然、罠もあり得るよな」

「めんどくせぇ、全部しらみつぶしに探せばいいだろうが!」

「これだから脳みそ筋肉が、それじゃターゲットに勘付かれて逃げられるでしょうが」

「はっ、だったら、追いかければいいだろうが。俺様なら簡単に出来るぜ」


 またもや言い争いを始める二人。しかし、ケイは止めず、腕を組んで考える。

 外の雑音を無視して、最善手を考える。数秒ほど熟考したケイは、一つの案を提案してみる。


「【狼】の案でいくか」

「えっ?」

「はっ?」


 罵りあいに熱中していた二人は、ケイの発言に目を丸くさせたのであった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「おらっしゃあぁぁ!!」

「……下品な鳴き声」


 木製で出来た扉を蹴飛ばしながら叫ぶ【狼】に、【茨】が目を細めて呟く。

 ケイが立案した計画は、なんのひねりもない正面突破。入口から堂々と侵入した二人は本当にしらみつぶしにターゲットを探し回っていた。


「今度も外れか」

「まったく、効率悪いわねこれ」


 無人の部屋をあとにし、誰もいない道を歩く二人。意外にも奥には明かりと思われる松明が置かれていた。なので、迷うことなく転ぶ心配もない。


「にしても、なんで俺様がババアなんかと」

「それは、こっちのセリフよ。アンタみたいな生意気な小僧なんかよりも、クロちゃんのほうが数倍よかったわよ。あぁ、クロちゃんのあの冷たい瞳、ぞくぞくしちゃう……っ!」

「うえぇ、気持ち悪っ」


 妖艶な顔を紅潮させ、自分の腕で体を抱く【茨】に【狼】が舌を出して顔を歪める。

 そんな会話をしつつ歩みを止めない二人。すると、とうとう最奥のエリアまで着いた途端。


「ウウウウ!」

「アアアア!」


 突如、道の横から地の淵から木霊すような声。音からして人間のようだが、しかし獣みたいな声。【茨】と【狼】の顔が自然と引き締まった。


『ウ、ウオオオオ!!』

「ちっ、やっぱり出てきやがったか」

「クロちゃんの予想通りね」


 曲がり角から出てくる手、足、胴体。

 その全てが、人間のそれとは違っていた。


「当たりね。アジトにいた盗賊に、一般市民も……なんて惨い」

「……さくっと、終わらせるぞ」


 目の前に現れた人間だった者に、【茨】と【狼】は冷たい視線を寄越す。

 腕はコブリンのように細く小さい者。皮膚が変色している者。頭からは謎の突起物を生やす者。老若男女様々、人間だった者たちが二人の前に立ち塞がっていた。

 彼らに意識などない。理性を失い、自分たちの前にいる人間、もとい獲物を狙う。

 それは、まるで獣のようだった。

【茨】と【狼】の表情が変わり、慣れた動きで位置につく。【狼】は前へ、【茨】は後ろという陣形を整える。


『ウオオオオ!』


 襲い掛かる獣の軍団。彼らは、一斉にまずは前方にいる【狼】に手を伸ばす。


「胸糞わりぃ」


 刹那、【狼】の姿が消える。

 突如として、獲物を見失った者たちは驚いたような呻き声を発す。狭い道で消えることなどあり得ない。獣たちは、どこに行ったのかと周りを探し焦点の合っていない眼で探し回る。

 が、時すでに遅し。


「ギュゥ!!」


 ぐちゃっ、と肉が弾ける音が道に鳴り響く。音に気付いた獣たちはそこに視線を向ける。すると、彼らの視界に一体の獣の頭が弾けた。

 それを皮切りに、周囲にいた者も同様に肉片が飛び散った。

 ぐちゃぐちゃになった肉片の中央で松明の明かりに照らされ、キラリ、と銀色の光が煌めく。


「おらっ、どうしたよ。さっさと来いよ!」


 威勢良く吠える【狼】。その姿は、先ほどとは一変していた。

 赤毛だった髪の毛は銀色に染まり肩口まで伸び、瞳孔は開き金色の瞳が相手を睨む。そして、彼の頭に生える耳と、後ろに伸びる尻尾。両手両足も、人のそれとは違い爪が鋭利になりすべてを切り裂く武器へと変化していた。



 固有魔法【人狼】。獣の爪と耳を備え五感も人間の数倍上がる半獣人となる異能である。魔法によって強化された身体よりも戦闘能力は格段に上となった【狼】に肉弾戦で勝てる者は少ないだろう。



【狼】が敵中央で暴れまわる様を遠巻きで眺める【茨】は、豪快な彼の戦いに嘆息ついていた。


「美しくないわねぇ。まったく、これだから犬は嫌なのよ。クロちゃんとは大違いね」


 次々に敵を倒していく【狼】ケイを比べてやれやれと首を振る。何度か一緒に仕事をしたことがあるため、ケイの戦いぶりを見たことあるが踊るように踏まれる華麗なステップ、閃く剣はまるで楽隊の指揮棒のようだった。あれこそ、【茨】が求める美というものだった。


「オオオオ……!」

「あら、こっちからも来た」


 ケイの戦闘シーンを思い浮かべうっとりとなる【茨】は、背後から聞こえる地獄の声に振り返る。そこには、いつの間にか視界を埋め尽くすほど大量の敵がいた。

 数多の人間だった者たち。

 その中には、幼い子どもの姿も見えた。


「……屑が」


 先ほどと一変して、絶対零度のごとし冷たい眼差しを向ける【茨】。体の奥から沸き立つむかむか、した気分を払拭させるべく手を集団にかざす。

 刹那、彼女の足元から地面を突き破って巨大な蔓が出現した。よく見れば、蔓の至所には鋭く尖った棘がくっついていた。それは、巨大な茨だった。



 固有魔法【庭園管理者グリーン・レディ】。その場にある植物を自由自在に操る事が出来る異能。植物の種さえあれば成長させ、動かす事も可能だ。攻守ともにバランスの取れた彼女の異能は、組織では重宝されている。



【茨】が、優雅に手を横へ払うと、茨も同じように動き獣たちを薙ぎ払った。

 強大な茨を前に、獣たちは為す術もなく巻き込まれていく。


「ごめんね」


 跡形もなく姿を消す敵に、【茨】は一瞬悲しそうな表情を見せぼそり、と呟く。だが、次には表情を戻し敵対する戦力と対峙する。

 アジトの中で広がる戦闘音が必要以上に大きいように感じたのは、彼らだけであろう。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 アジトから伝わる戦闘音を背に、崖の反対側から姿を現す一つの影。暗い穴から出てきた影が、月光によって徐々に照らされる。


「くそっ、もう少しだってのに邪魔が入りやがって!」


 アジトから脱出した影が大声で吐き捨てる。突然襲い掛かってきた侵入者にいち早く失敗作たちを放ち自分は脱出用のルートから外に出る。確かに侵入者は想定外だったが、用意周到に作られた脱出口のおかげで、必要なものは持ってこれた。


「ざまぁみろ」


「ははは」と敵を出し抜いてやったことに快感を覚えたように笑いあげる影。やはり、最後にものを言うのは明晰な頭脳だ。

 と、笑い声をあげる影であったが、次の瞬間彼の口は閉ざされた。


「ビンゴだな」

「っ、誰だ!!」


 繁みの奥から聞こえる声。若い男のような声に影は叫ぶ。がさがさ、と音を立てながら繁みから姿を現したのは、アジトで姿を見せなかったケイだった。

 月光に照らす顔には、仮面はなく彼の黒い髪が艶やかに光沢を放っていた。


「……なんで、ここに……」

「出し抜いたつもりみたいだが、逆に誘き出されたなんて想定外か?」


 呆然と呟く影に、ケイは言葉を投げる。

 盗賊のアジトには騎士団が来た時用に脱出用の出口が存在する。冒険者の間では知られた情報だ。当然、アジトには侵入者を知らせる何かしらの細工もあるだろう。だったら、それを逆手に取り、逃げてくるだろう場所で待機する方が効率的だ。

 しかし、いまだに呆然としているのか彼の言葉に動揺しているのか、影はその指をケイに向けて呟く。


「どうして、君がここにいるんだ」

「……」


 自分に向けられる指をケイは静かに見つめる。その言葉は、まるで、自分の事を知っているかのような物言いだった。

 そして、同時にケイもまた彼を知っている。

 雲一つない夜空に浮かぶ綺麗な満月の光が、影の顔を照らした。


「それは、こっちのセリフだ………ハサンさん」

「ギリッ!」


 顔をくしゃり、とさせケイを睨むハサン。その眼には、リンたちに向けていた親しさはなかった。同時に、ケイの顔には表情はなく無を貫いている。

 数日前に顔を合わせた両者の間に只ならぬ雰囲気が流れる。


「ハサンさん、いや、元王国魔法研究所、第3課リーダー、ジル=リーブル」

「っ!?」

「五年前まで王国魔法研究所で魔獣研究に没頭していたアンタは、種族の違う魔獣同士の魔力を掛け合わせる事で生まれる合成獣キメラの研究をしていた。だが、二年前にアンタはある禁忌を冒した」

「……」

「人と魔獣の合成」


 本来、合成獣キメラを成功させるのも珍しい研究なのに、王宮魔導士団に無断で人と魔獣を掛け合わせる研究を行っていた。確認されただけでも、彼が行っていた実験回数は10回以上。恐らく、もっと多いだろう。

 所業がバレた第3課は解散。研究員は全員捕縛された___はずだった。

 たった一人、計画の責任者を除いて。


 王都にいる騎士や魔導士たちを総動員にさせ行方を追いかけたが、結局彼を捕らえることは出来ず、捜索は打ち切られた。というのが、表向きに報告されたことだ。

 しかし、裏で彼の行方を追う者たちがいた。

 彼らは、詳細も名前も一般に明かされていない。存在しているのかも怪しいと噂されていた王国の闇。

 ケイの口ぶりから、自身のことを知られていると判断したハサン、否ジル。

 そして、そんな事を説明するケイにジルもまた彼の存在に見当をつけた。


「……なるほど、そういう事か」


 存在も隠匿された王国の闇。

 一体誰が命名したのか、おとぎ話ぐらいの域にいるその組織の名前は__


「君は【夢想騎士団ヒュプノス】、なんだね」

「……」


 ジルの答えに、ケイは声を発せず口を噤む。だが、ジルは彼の沈黙を肯定と取った。


「どうして僕の居場所が分かったのかな?」

「街で会った日、アンタから血の匂いがした。最初は魔獣を解体しているせいかと思ったが、聞けば魔獣の解体はしていないなんて言うじゃないか。そこで、怪しいと思って上に報告させたら、当たりだった。それだけだ」

「……ふっ、二年も逃げ延びたというのにこんな所に伏兵がいたなんてね」


 まだ年端も行かない学院生が王国諜報機関の一員だなんて、果たして誰が予想が出来ようか。あまりの不幸に、逆に笑いそうになるジル。しかし、ケイはそんなジルなどお構いなしに口を開く。


「さぁ、今度はこっちの質問に答えてもらおうか。一連の街道で起こった魔獣騒動と、周辺の村襲撃事件。全部、テメェの仕業だな」

「そうだが?」

「……一体、何が目的だ」


 あっさりと容疑を認めたジルに、ケイの目つきが僅かに鋭くなる。彼の声には、全く罪の意識など感じられなかった。

 ジルは、劇団の一幕を語るように両手を広げ優雅に語った。


「ケイ君、どうして魔法を扱えるのが一部の人間だけなんだい?」

「……?」

「それは! 巨大な魔法を扱うには、それ相応の知識と魔力量という才能が必要だからだ!!」


 高々に、力強くジルは語る。怪訝な表情で、ケイはそれを見守っていた。


「だが! 合成獣キメラの研究をしていた僕はある事に気が付いたのだ!! 魔獣の魔力を人間に付与出来たら、人間に魔獣の圧倒的な身体能力が手に入るのではないかと」

「……それで、人と魔獣の合成研究を」

「だって不平等だと思わないかい! 貴族どもはたいして力も能力もないくせに知識も富も集められる。そして、何よりも魔法を発動させるために必要な知識の規制! どうして、皆が平等に、分け隔てなく知識を共有する事が出来ないんだ! これは絶対にオカシイ!!」


 魔法を発動させるには、まず魔法陣を構築させ質量、方向、威力を調整し呪文を唱える。これが、一連のプロセスである。なので、いくら魔法陣を構築する事が出来ても呪文を知らないと発動出来ず、逆に呪文を知っていても魔法陣を構築させる事が出来なければそもそも起動しない。

 簡単な魔法、それこそ風を起こしたり火を灯したり、というものなら誰しもが使える。魔力さえ流し込めば発動するからだ。だが、攻撃魔法に治癒魔法などはジルが言う通り知識がないと扱えない。

 ケイは、力説するジルの言葉をしっかり耳に入れる。熱を帯び、意志が込められた声が暗い森に響き渡る。

 魔獣と人の合成で魔獣の身体能力が人に付与。確かに、それが出来たら知識がなくても巨大な力を手に入れる事が出来るだろう。


「……それで、実験のために村を襲い、調査を遅らせるために街道に魔獣を放ったのか」

「そうだ」

「多くの犠牲が出ているのにか」

「大きな事を為すためには多少の犠牲もつきものだ」

「あ、そう」


 聞きたい事は聞けた。そして、言質も取れた。ならば、後は仕事をするだけだ。


「ジル=リーブル。違法魔法実験、周辺村の襲撃。この二つの罪状により、極刑に処する」

「そもそも、二年前の時点で僕は死んでいるんだ。何を今さら」


 剣を抜き、剣先を向けて罪状を述べるとジルは口角を上げて嘲笑う。


「だが、まだサンプルが足りていないんだ。だから、殺される訳にはいかない!!」


 王国の諜報機関に属するケイの戦闘力は、ジルなんぞ赤子同然。それを分かっているからこそ、ジルは胸ポケットから何かを取り出した。胸ポケットから取り出されたのは一本の小瓶。そこには緑色の液体が入っていた。

 一体なんだ、と怪訝な表情を向けるケイに対し、ジルは小瓶の蓋をキュウッ、と外し間を置かず口に含んだ。


「まだ、改良段階で一本しかないが仕方がない」


 口から伝う液体を拭いながらそう告げたジル。

 途端、彼の体に異変が起こり出した。筋肉が徐々に増し、体が巨大化。気づけば、同じ目線だったジルはケイを見下ろしていた。太く逞しくなった体、皮膚が飲み込んだ液体のような深緑に染まる。

 ジルの変化に目を丸くさせるケイに対し、ジルは得意げに笑みを浮かべて言う。


「オーガの固い筋肉に、オークの嗅覚、その他3つもの魔獣の魔力を混ぜた《ヒュームロイドキメラ》だ。常人の10倍もの身体能力が備わった僕にはどんな剣も魔法も通じない!!」


 直後、数メートル前にいたジルの姿が眼前に存在していた。

 咄嗟に剣を一閃させる。すると、いつの間にか振っていたジルの腕と激突。金属の甲高い音と鉄の鈍い音が鳴りケイの体が後方へ飛ばされる。地面を擦過して止まったケイは鋭い眼光を光らせる。


「なるほど、確かに強力だ」


 オーガの筋力による重たい一撃。人間ではあり得ない破壊力である。だが、ケイに焦燥感はなかった。

 オーガなんて、昼間に戦っている。例え人間が身体能力を上げようが思考は人間のまま。

 そして、対人戦はケイの得意分野である。

 脚に力を入れ、一気に駆け出す。空気が揺れ、瞬時に間合いを詰める。縦に振られる剣筋がジルの腕を斬り落とし、消えた腕から緑の血が流れた。


「血も変わるのか……人間辞めてんじゃねぇか」


 もはやジルの体は人とは呼べるものではなくなっていた。そこまでして、力が欲しいのかとケイは眉をひそめる。


「さて、そろそろ止めを……」


 腕を斬られ、戦意を失ったのか顔を俯かせるジル。片腕となった彼に向けて、ケイは剣を構えた。

 だが、ケイはその時信じられないものを目撃した。


「腕がっ!?」


 斬ったはずのジルの腕が、苗木が成長するかのように凄まじい速度で生える。そして、斬り飛ばしたはずの腕は、何故か水のように溶けて地面に吸収されてしまった。

 目を見開くケイにニヤリ、と口角を上げるジルが言う。


「オークやオーガだけではないと言ったでしょう」


 刹那、彼の放った蹴りがケイに迫る。条件反射で腕を交差させて防御するケイであるが、勢いを殺す事は出来ず崖に体が激突した。

 背中から伝わる衝撃と痛みで、顔を歪ませる。だが、すぐに立ち上がりジルを再度見る。彼の右腕は綺麗に生えていた。まるで、斬られた事実がないかのように。


「ふふ、驚きましたか? 実はスライムの特性も取り込んでいるのですよ」

「チッ、そういうことか」


 ジルの説明に舌打ちが隠せないケイ。スライムは核を破壊しない限り分裂してもすぐに再生する。倒しやすさではFランクの魔獣も、人と融合したことで厄介さを増していた。


「ほら、先ほどまでの余裕はどこに行ったのですか?」

「っの」


 己の失態に歯ぎしりするケイに、休憩する時間を与えずジルが駆け出す。

 握られた拳が勢いよくケイの顔面目掛けて飛来。寸前の所で、回避して移動したケイだが、彼の放った拳が壁にめり込んでいる光景に自然と唾を飲む。当たっていたら間違いなく即死だ。

 距離を取り、呼吸を整える。

 壁から拳を外し、対峙するジル。


(これは、早々にあいつ出さなければならんか……くそっ、腹立つけどしょうがない)


 余裕そうな態度のジルにケイは、一息つくと剣を収める。

「ン?」と奇妙な彼の行動にジルは不信感を積もらせた。


「どうしたんだい? 僕を殺すんじゃなかったのかい。それとも、見逃してくれるの?」

「そんな訳ないだろ。やり方を変えるんだよ」

「??」


 どういう事か、と首を傾げるジルを他所に、ケイは意識を集中させると右手をかざす。


「《我盟約に連なる者 汝赤き血を求める者 我の声に応え 汝闇より帰せる……」


 目を閉じ、紡ぎ出された言葉にジルは身構える。

 魔法による詠唱か、はたまた何か魔道具を使用する気か。とにかく、油断は出来ない。

 ジッ、と真剣な眼差しでケイを見つめるジル。


「顕現せよ、白鬼》」


 その時、ケイの右手から黒き光が集まり出した。バチバチ、と音を立ちつつ光はケイの右手を中心に集まり出す。

 やがて、一か所に集合した光をケイは両手で一度潰し、粘土のように伸ばした。伸ばされた光は形を成し、最後には弾ける。

 散る光のあとに残ったもの。そこには___



 一振りの刀があった。



 黒い鞘から刀を抜く。月光に照らされる刀身も黒く美しさを放つ。まるで、星が散らばる夜空のようだった。引き抜かれた刀身に思わず見入るジル。が、すぐに我に返ると目を細めた。

 仰々しく登場した刀であるが、見た目は普通の武器。何も脅威は感じない。


「だから、何だい。ただの刀ではないか」


 ぼそり、と呟くとジルは敵を排除しようと動き出す。増大した筋肉に物を言わせて相手を頭から叩き潰しにかかった。轟々、と凄まじい勢いで迫る組まれた巨大な手。


『おやおや、今日はまた早い出番みたいだね』

「うるせぇ、いいからさっさと仕事しろ」

『まったく、せっかちなだねぇ。そんなんじゃモテないぞ』

「……いいから、黙って


 迫る手を前に、呟いたケイの言葉がジルの耳に入る。

 一体、誰かと会話しているかのように紡ぐ呟きに、拳を降ろしながらジルは怪訝な顔を見せた。

 刹那、閃く刀身。

 地面を叩き割る音と刀身が空気を斬る音が鳴り響く。

 叩き割られた地面にケイの姿はなく、再び斬り飛ばされる腕が見えた。


「何度やっても、無駄だ!」


 しかし、スライムの分裂特性を得ているジルは腕を再生させようとした。

 だが、しかし___



 彼の腕が生える事はなかった。



「なっ、何故だ!?」


 予想外な出来事に戸惑い、声を荒げる。どれだけ能力を使おうとしても、失われた腕が戻ってこない。

 そして、次の瞬間、彼の腕に激痛が走る。本来感じるはずだった、失われた腕の痛み。あまりの激痛に、ジルは消えた腕を抑え、喚く。


「ああああ!!」


 明らかな異常に何が起きたのか理解出来ないジル。

 そんな彼を他所に、ケイまたぼそぼそ、と呟きだした。


『ははは! 痛がっている痛がってる!! いいねぇ、いい表情するね彼。う~ん、それにしても、今日のはあまり美味ではないね。外れかな』

「戦闘中に喋るな。気が散るだろうが」


 溢れる緑色の血液。駆け巡る激痛。

 そんな最中で、ジルは背後からケイ以外の声を聞きとった。

 声は、年頃小さい少女のようだった。だけど、この場にはケイと自分しかいない。なのに、どうしてか先ほどからケイは少女と会話しているように聞こえた。


『あ? ボクの声が聞こえてるみたいだね。やっほ~、ごきげんよう。ボクの名前は白鬼びゃっき。よろしくねって、もうすぐ消えるんだから自己紹介しても意味ないか』

「ああああ! 誰だ! 誰かいるのか!?」

『いるよいるよ。君にすぐ目の前に』


 おちょくるような、嘲笑うかのような下賤な声。ジルは、声の発生源を探す。

 そして、見つけた。

 声は、ケイが持つ刀から発せられていた。

 姿形は何ら変わりない。しかし、彼の握る刀は黒い刀身を鮮血のような色となり、同様に彼の瞳の色も真っ赤に変化していた。

 だが、それよりもジルは摩訶不思議な声に意識が向けられていた。


「なんだ! 一体、何んだ!!」

『おぉ~、元気だねぇ。それほど新鮮って感じなのかな?』

「いいから黙れ。お前が出てきたらややこしくなるだろうが」

『まぁまぁ、そう固い事を言わないでよケイ。もうすぐ消えるこの人はボクの言葉を聞く権利があるんだから』

「け、権利……?」


 的を得ない喋り方に、ジルは痛みも忘れて呆然となる。

 全く、彼らの言っていることが理解出来なかった。もはや、自分が見ているのは夢か幻かと思ってしまう。

 だが、腕から感じる痛みはまさに現実で、目の前に立つケイも存在している。


「人間には生まれた際、一つの名前を付けられる」


 と、唐突にケイが淡々とした口調で喋り始める。


「名前とは、呼ばれて初めてその者を構築する固有名詞となる。他の誰でも、何者でもない唯一の存在となることが出来る」


 月明りだけが照らす、真っ暗な世界の中でケイの声が響き渡る。


「そして、俺はそれを


 開かれるジルの瞳孔。

 膝を折る彼をケイは、血よりも赤く染まる双眸で見つめていた。

 そして、今一度ハッキリと告げる。


「お前の名前を斬った」


 明確に紡がれた言葉に、だがやはり理解が追い付かないジルは唖然とする。


「な、名前を……?」

「名前はその者を形付けるこの世とあの世を繋ぐ役割を持つ。例え虚構の存在だとしても多くの人に名前を呼ばれ認識されたら、ないものでもあるものとされる。それほどまでに重要なものだ」

「それを、斬った、だと……?」

「【百鬼刀なきりとう 白鬼びゃっき】相手の名前を斬る事が出来る呪いの刀。名前を斬られた者は____」


 一拍、間を置くとケイは続けた。


「____存在を消される」

「な、に?」


 ケイの告げた内容にジルは唖然とした表情まま呟く。

 存在を消される。殺されるでもなく、消される。それは、なかった者として扱われるということ。この世界に初めからいなかったとされる。


「っっっ!!」


 次の瞬間、言いようのない恐怖がジルの体に走る。消える、跡形もなく存在がなくなってしまう。それは、普通に殺されるよりも惨く、恐ろしい事。

 ガタガタ、と歯音を鳴らす。恐怖で巨大な体が震える。

 ジルには今、自分を冷たく眺めるケイが悪魔のように見えていた。


『あはっ、補足すると、消された人は周りの人間からぜ~~んぶ忘れられるんだ。同僚も、友人も、恋人も、親も、例外なくね』


 ケラケラ、と笑う悪魔の笑い声。恐怖で震えるジルの額から、脂汗がタラタラと流れ始めた。

 何の躊躇いもなく、なんてことでもないかのように告げる彼らの言葉。その内容は、あまりのも残酷で、おぞましいものであった。


「た、頼む! 助けてくれ! なんだってする!! 今までの研究成果も全部君にあげよう!!」


 絶望的な状況に命乞いを始めるジル。頭の回転が早い彼らしい潔い行動にケイは、表情崩すことなく眺める。白鬼は、そんな彼を見て爆笑している。

 今、真っ赤に染まる彼の視界には跪くジルと、その頭上に浮かぶ6文字。

 一文字消えて現在5文字の彼の名前。

 ジル=リーブ。

 これこそ、ケイの持つ力だった。

 そして、ケイは必死な顔で訴えるジルを前にゆっくりと口を開く。


「……本当に何でもするのか?」

「あ、あぁ! 本当だ!! この命に誓って君の命令を全て聞くと約束しよう!!」

「そう、なら、一つ聞くけど」

「あぁ!! 何でも聞いてくれたまえ!!」

「【黄金林檎】についての情報を持ってるか?」

「お、黄金林檎?」


 聞き覚えのない言葉に、ジルは思わず訊き返す。しかし、すぐにそれが失敗だと気づいた。

 ケイは、ジルの反応に「そうか」と呟くと興味を失くしたように視線を逸らす。


「ま、待ってくれ! 他の事なら何でもする。だから、だから!!」


 喚く声で助命を試みる。だが、必死なジルの叫びは届くことなかった。

 刀を構え、狙いを定める。その眼には、もう感情というものが読み取れなかった。

 本気で、自分を消しに来るのだとようやく理解したジルは、状況も相まってやけくそ気味に立ち上がり声を荒げて叫ぶ。


「う、うわああああああああ!!」

「【神風】」


 向かって来るジルに対し、ケイは一度白鬼を鞘に収めギリギリまで引き付け、間合いを円状に張る感覚で構える。

 やがて、ジルの足が間合いに一歩踏み入れた瞬間。



 ジルの傍らを風を吹き抜ける。



 スパーン! と切れ味の良い心地よい音が奏でられる。

 空気が揺れ、木々が鳴く。

 光の速さで振り抜かれた刀は不可視の名前を横に真っ二つに斬る。

 ジルの体に刀傷はない。けれど、名を斬られたジルの体が徐々に光の粒子になって散り始めた。

 自分の体の変化に気づいたジルは、顔面を蒼白させた。


「い、嫌だ、嫌だ嫌だああああ!!」

「……勝手な奴だな」


 腕、足から胴体へと消えて行く体を見て泣き叫ぶ。そんな彼の姿を見てケイは気分が悪そうに吐き捨てた。

 実験のために殺された村の人々、実験台にされた者もいる。街道の事件のせいで怪我をした者もいる。それなのに、自分が死にそうになったら命乞いをし、泣き叫ぶ。

 ほんと、こういう連中が一番ムカつく。

 暗闇で木霊す叫び声が、暫くして止む。

 振り返れば、そこにいたはずのジルの姿が無くなり、光の粒子が空へと上がる光景だけが残っていた。


「任務終了」


 目的を果たし、刀を鞘に収める。

「ふぅ」と悪いものを取り除くかのように吐き出し、新鮮な空気を吸い込む。

 ひんやりとした、心を洗われるような空気が美味しかった。


『あぁ、もうちょっと楽しみたかったのに……』

「テメェの都合なんぞ知るか」

『ちぇぇ、今日は散々だ。ケイのも一回しか貰えなかったし、相手も相手で美味しくなかったし』


 不服そうな声が刀から発せられる。

【百鬼刀 白鬼】。その効果は絶大であるが、一つ難点がある。

 それは、力を使う度に所有者の血を対価とした払うこと。あまり使い過ぎると、命が危なくなるのだ。


『ねぇ~ケイ。いい加減ボクと契約しようよ。そうすれば、一々、血を吸われずに済むのに』

「断る」

『頑固だなぁ』


 即座に断りを入れるケイに、白鬼は嘆息ついた音を出す。

 すると、その時アジトの方からドゴーン! と壁を破壊する音と同時に砂塵が舞う。咄嗟に仮面をつけ直し、音に反応して視線を向ければ脱出用の出口の横から一組の男女が姿を現した。


「ゴホッゴホッ、全く、もう少し威力抑えられないの?」

「うっせぇな、外出られたんだからいいだろうが。これだから、ババアは嫌なんだよ」

「あぁん? やっぱり調教する必要があるみたいねこの犬が」

「俺は狼だっての!! 何度も説明さすな年増!」

「アンタも何度も同じ事言わせんじゃないわよ!」


 言い争いながら姿を現す二人を見て、ケイは疲れたようにため息つく。

 まぁ、元気なようでなによりである。


「おい、いい加減に止めておけ。それで? 中はどうした」


 呆れた表情のまま訊ねると答えたのは【茨】だった。


「突撃した際によく分からないものに襲われたけど、全滅させたわ。個々の戦闘力は低かったけど数が多かったために予想以上に時間がかかったわ」

「被害は?」

「両者かすり傷もなし」

「ならいい」

「そっちも終わったみたいね」


【狼】の時とは違い、穏やかな笑みを浮かべて訊ねる【茨】に小さく頷く。

 白鬼で名前を斬られたものはこの世から消滅する。それは、この世からケイを除いてジル=リーブルという男がいたことを忘れるということ。なので、二人には今回のターゲットとなった者の存在が思い出せないという事が、彼が仕事を終わらせた証明でもあった。


「そう、なら今から後始末ね。色々回収しましょう」

「めんどくせー」

「文句言わずに働きなさい。この脳筋」

「チッ、うるさいババアだ」

「いい加減喧嘩するな二人とも」


 何度も注意しても言う事を聞かない同僚たちに、ケイは本当に疲れたようにため息を漏らした。

 見上げれば空が青みかかり始め、朝を迎えようとしていた。

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