第28話 シストの決意

 翌朝、シストは薄暗い部屋のベッドで目を覚ました。あたりを見回したが、知らない宿だ。部屋の中には誰もいない。まだはっきりとしない頭を振り絞って、昨夜のことを思い出す。



(確か、ツベキュローシスの特効薬の目途がついて、それをルビーさんに報告しにいったところで……)



 ルビーに襲われた。あの目は、確実にシストを殺そうとしている目だった。疑う余地もない。



(僕の命はいいんです。どうせ人殺しの命ですから。でも、なぜルビーさんはツベキュローシスの特効薬まで拒否するようなまねをしたのでしょうか。やはり、僕なんかの手で作られた特効薬が信じられないのでしょうか)



 シストはベッドから起き上がった。そばの椅子に掛けてあった白衣に袖を通す。やはりこれを着ていなければ落ち着かない。テーブルの上には片眼鏡もあった。


 シストがその片眼鏡を手に取った瞬間、部屋のドアが開いた。そこには、青い髪をした背の高い男、カイが立っていた。



「目が覚めたか」


「カイ……」



 カイは部屋の真ん中にあるテーブルの席に腰かけた。カイは視線で反対側の席を指示し、シストをそこに座らせようとした。特に拒否する理由もない。カイが自分を襲うことがないということはシストもよくわかっていたからだ。


 シストはゆっくりとカイの反対側の席に座った。



「どうして、僕をここに連れてきたんですか?」


「どうしてって、お前、俺が助けていなかったら、お前は今頃あの小娘に殺されていたんだぞ? 少しは感謝してくれてもいいんじゃないか?」


「感謝、ですか」



 シストは死ぬつもりだった。少なくとも、あの瞬間は。それを助けてもらったとしても、素直には喜べない。死ぬつもりの人間が死ねなかったのだ。残ったのは、目的を達成できなかった喪失感だけである。



「余計なことをしてくれた、って顔をしているな」


「別に、そんなことは……」


「あるだろう。顔に書いてある」



 自分の顔はそんなにわかりやすいだろうか、とシストは顔に手を当ててみたくなった。しかし、カイの言っていることは本当だ。あのとき、カイが助けに来なかったらシストはルビーに殺されることができたのである。シストは、それを望んでいた。



「言っておくぞ。お前が死ねば、多くの人が悲しむことになる。だから、お前は死んではいけない。お前はみんなに必要とされているんだよ」


「必要としているのは僕ではなく、僕の持っている技術ではないですか? 僕自身に、そんな価値はありませんよ」



 急にカイの視線が厳しくなった。今にでも殴りかかりそうな雰囲気である。実際、その拳は固く握りしめられていた。



「お前、今の言葉が本心なら、俺がお前を殺してやりたいぞ。魔法学校時代、俺とお前はそんな仲だったか? お前とニコルはどうだ? ほかにも、あの学校にお前を恨んでいたやつらはいたか?」


「僕は、人殺しです。その殺した人の娘が僕に復讐しにきたんですよ? 素直に殺されるのが、筋というものではありませんか?」


「違うな。復讐は何も生まない。生むとすれば、それはさらなる復讐を生むだけだ」


「だからルビーさんの復讐は悪だと? 僕が素直に殺されるのは間違っていると?」


「そうだ」


「きれいごとです。そんなきれいごとばかりで、人の心は計れませんよ」



 カイはため息をついた。このまま放っておけば、シストは再びルビーに会いに行くだろう。今度こそ確実に殺されるために。そんなことを、許してはいけない。



「お前、命を懸けても助けたい人がいると言っていたな。それは、あの小娘のことではなかったのか?」


「そうですが、彼女は自分の命よりも復讐のほうが大事なようなのです。ですから、一刻も早く復讐を遂げさせてあげるのが彼女のためかと」



 カイは両手でテーブルをたたいた。傷んだ床が悲鳴をあげる。しかし、今のカイはそんなこと気にしている余裕はなかった。



「お前は、それでいいのか!? それが、あの小娘を助けることになると本気で信じているのか!」


「……」



 シストは何も言えない。シストにもわかっていた。こんなことは、ルビーのためにはならない。ヒーラーとして、一緒に旅を続けてきた仲間として、ルビーを大切に思っている一人として、今ルビーにしてやらなければならないのは、ツベキュローシスの治療である。命があってこそ、次があるのだ。



「ですが、もう無理なのです。ルビーさんは、僕を恨んでいますから……」



 絞り出すように、シストはつぶやいた。その目には涙がたまっている。自分の気持ちと現実に挟まれ、押しつぶされそうになっているのだ。


 そのシストが迷い込んでしまった心の隘路を、カイの一言が破壊する。



「それがどうした! 恨まれているとか、好かれているとか、そんな感情を優先してお前は患者を見捨てるのか? 違うだろう。お前はどんなことがあっても患者を優先するはずだ。それを、あの事件で学んだんじゃなかったのか?」



 カイの言葉に、シストははっとさせられた。確かにルビーはシストを恨んでいるかもしれない。自分はルビーに殺されるべきかもしれない。しかし、それとルビーの病気を治療しないのは別である。無理にでもルビーのツベキュローシスを治療して、元気になったルビーを見届けてから、殺されよう。シストはそう思った。



「やはり、カイはすごいですね。昔から、カイには敵いませんでした」


「それは魔法学校の成績のことだろう? 総合的に見れば、俺よりもお前のほうが断然すごいよ」


「買いかぶりだと思うのですが」



 ここに来て、シストは初めて笑った。口元を緩めただけのわずかな笑みだったが、確かに笑ったのだ。それを見て、カイはシストの覚悟が決まったことを知る。



「俺も協力しよう。あの小娘の病気を治療するんだろう? 手は多い方がいい」


「ルビーさんやアリアさんを殺害する計画はどうしたのですか? もうあきらめましたか?」


「それを言うな。俺もまだ迷っている。もしかしたら、お前の行動の結果次第では、今までとは別の方法で解決することになるかもな。もっと、平和的なやり方でな」


「結構なことです」



 シストの覚悟は決まった。どんなことがあってもルビーを助ける。たとえ恨まれたとしても、たとえ嫌われたとしても、ルビーを助けたい。この気持ちは本物だ。だからこそ、シストはツベキュローシスの特効薬を完成させる。その決意をした。



(待っていてください、ルビーさん。僕が、あなたを助けてみせます!)

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