第6話 今生の私と前世の私

 一先ず離婚回避で、ピピは安心したようだった。

 そして、これからも一緒に暮らすんだから仲良くしましょうねと、しつこく訴え続けてくる。いがみ合って喧嘩しても良い事なんてないです、と。

 その言葉は正しい。でも分かっちゃいるけど、ついイラッときてしまう。だって先の見えない真っ暗闇の地獄落とされた気分だったから。


「ああもう、私の気も知らないで……」

「……あ……す、すみましぇん……」


 ピピはシュンと俯いてしまった。

 こんなの、八つ当たりだ。しまったと慌てて、「ごめんね」とピピの頭を撫でた。彼女の涙は、本当に胸に痛い。

 なんで前世を思い出してしまったのかは分からないけど、私とリートのいがみ合いは二人の問題であって、ピピに責任はない。しかも彼女は心配してくれているというのに。


「ったく、子ども相手に……。相変わらず、クソだな」


 ケッと吐き捨てて、リートはリュックを担ぐと寝室へと行ってしまった。ヤツの言葉も、チリッと胸に痛い。

 リートだって、ピピにはうんともすんとも言わずにそっぽ向いて無視していたくせに、偉そうなこと言える義理ではないと思う。しかも『相変わらず』ってなんなの。今までずっと私のことをクソだと思ってたというのか。


――そりゃ私なんか、エマみたいに美人じゃないし、頭も良くないけど、そんな言い方しなくったって!


 私はリートが消えたドアにクッションを投げつけた。投げた後で、前世の私と比較しての『相変わらず』発言なのかもと気付いた。それにしたって、前世での私のどこがクソだったのか全く分からないのだけど。

 もう我慢できなくなってきた。非があるのはそっちなのに、なんで謝りもせずに私を目の仇にしているのか問いただしたい。

 ダンと足を鳴らして立ち上がった。でも目を吊り上げている私の手を、ピピが掴んで止める。


「もう少し気持ちが落ち着いてからお話するのがいいと思いましゅ……」


 もっとも過ぎて、ため息が出た。頭に血が上っている今の私じゃ、喧嘩にしかならないだろう。

 しかも幼女に諭されるなんて、なんて情けない。

 寝室からゴトゴトガタガタと音が聞こえてきた。音はなかなか鳴りやまず、何やってんだあのクソ野郎は、とやっぱりイライラとしてしまう。

 エマに貰ったクッキーを口に放り込んで、なんとか気を紛らわせるのだった。

 しばらくしてドアが開き、リートがムスッとした顔を出した。


「おい、こっちに来い」

「命令するな」

「いいから、来い!」


 チッと舌打ちして私は立ち上がった。

 リートが何をやってたかは、なんとなく予想はついていた。

 そして予想通り、寝室のベッドの位置が変えられていた。

 部屋の中央に二つ並べて置いてあったのが、左右の壁沿いにそれぞれ置かれ、部屋の仕切りとして衣装箪笥や鏡台が部屋の真ん中に、一列に並べて置いてあった。


「どっち」

「はぁ?」

「どっちのベッドがいいか聞いてるんだ! 選べ!」


 私は、面倒くさいなと思いながらも、窓のある明るい方を指さした。最悪の中でも、なるべく少しでも居心地の良さそうな方を選びたいというものだ。

 悪夢だ、別れられない上に、まだコイツと同じ部屋で寝なけりゃいけないなんて。小さな家だから他に部屋はないし、かと言ってどちらかがリビングで寝てるのを祖母ちゃんが見たらまた卒倒するだろうし、こうやって部屋を区切るしかないのだ。

 リートは黙ってリュックを反対側のベッドの方へと持って行った。そちらは窓はなく、箪笥のせいでちょっと薄暗い感じだった。そしてリュックの荷物を乱暴に取り出すと、汚い上着を一枚ひっかけて部屋を出て行った。

 ピピは何処へいくのかと焦り気味でリートについて行った。が、すぐに一人でもどってきた。ホッとしたように笑っていた。


「安心してくだしゃい。畑に水やりに行くだけだそうでしゅ」

「でしょうね」

「あ、分かっていたのでしゅか。さすがは、仲良し夫婦でしゅ!」


 そんなんじゃない。さっきの上着は農作業の時に来るヤツだったから、そのくらい嫌でも分かるのだ。


「ああ、もう最低。アイツ、馬小屋で寝ればいいのに」

「そんな、馬小屋だなんて」

「同じ部屋で寝たくない」


 そうは言っても、部屋は諦めるしかないだろう。

 離婚を先延ばしにするということは、バカップルを演じ続けるということ。となれば同じ部屋で寝るしかないのだ。

 私はベッドに腰掛けて、思い切りため息をついた。

 これからどうやって生活していけばいいのか、まるで分らない。


 ぼんやりと部屋の一番奥、ベッドの頭近くにある鏡台を眺める。お気に入りのコロンの瓶が倒れていた。移動させた時に倒れたんだろう。落ちて割れてたら、ぶっ飛ばすところだ。

 私はビンを鏡の前に置きなおした。

 そして、ふと鏡に映った自分を見て、鏡台が自分が選んだベッド側を向いていることに気付いた。二つある同じデザインの箪笥のうち、鏡台のすぐ横の箪笥はこちらを向いていて、隣のもう一つはリート側に正面を向けている。

 そっと引き出しを開けると、私の服が入っている。ということはこちらに背面をみせている方のはリートが使っていた箪笥という事だ。


「なによ……」


 はじめから、窓のある方を私が選ぶと思って並べたということのようだ。もしくは、窓側を私に譲るつもりだったとか。


――だったら、どっちとか聞かずに、どうぞニア様こちらをお使いくださいませ、とか言えっつーの。


 なんだが、胸がモヤモヤとした。

 今までリートは何をするにしても、私の好みや望み、時には我がままさえも優先してくれていた。

 カーテンの色に迷ったら、私の好きな色にしてくれた。

 自分の服はお構いないしで、私の服ばかり選んでくれた。

 苦手なセロリを残してたら、トマトと交換してくれた。

 お皿に残った最後のイチゴを譲ってくれた。

 好きって言ってって甘えたら、いっぱい言ってくれた。

 両手を広げただけで、抱っこしてくれた。

 風邪をひいたとき、私自身より先に熱があることに気付いてくれた。

 本当は王都に行って騎士になる夢があったのに、私の側にいてくれた。


 モヤモヤが止まらない。

 今日は結婚記念日だから、おしゃれしてディナーに行こうって誘ってくれていた。私が前から行きたいと言っていたレストランを、三ヶ月も前から予約してくれていた。もちろん、こうなってしまった以上、今夜のディナーはキャンセルだけど。

 別に今更お祝いしたいなんて気持ちはないけど、どうしてだろう心のどこかが苦しい。

 前世の記憶を取り戻した後は、ずっと凶悪な顔で睨みつけて来るリートを見て、もうあの優しかった「リート君」はいなくなってしまったんだ、そう思っていた。なのに、なんでまだ私を気遣うようなことするのか。

 もう何がなんだか分からな過ぎて、泣きたくなってきた。

 その私の隣にピピがそっと座った。


「あの……ニアしゃま、本当にごめんなしゃい。どうしてこんなことになったのか、ピピにもよく分からなくて……でも、ニアしゃまとリートしゃまの幸せの為なら、ピピは何でもしたいでしゅ」

「ピピ、ニアでいいよ。様なんてガラじゃないから。それから謝らないで。ピピは悪くないから。私こそ八つ当たりしてごめんね」


 どうしてピピはこんなに献身的なんだろう。天使だから当然? だとしても、ピピの優しさがとてもありがたかった。

 私は、小さなピピの頭をよしよしと撫でてやるのだった。


「励ましてくれてありがとうね」

「ニ、ニアーー」


 ピピがポロリと涙をこぼして、私の腰に抱きついてきた。腿に顔をうずめてひっくひっくと泣いていた。

 ピピにとっては、これは天使として祝福を授ける初仕事。それが思いがけず最悪の方向に向かってしまって、物凄くショックなのだと思う。それなのに私とリートの幸せを願ってくれている、なんて優しい子なんだろう。これ以上、この子を泣かせちゃいけないなと思った。


「ねえ、ピピ。聞いてくれる? 私とリート……前世で何があったのか」

「……あい、聞かせていただきましゅ」





 当たり前の話なんだけど、その時の私はニアって名前じゃなくて、リートも別の名前だったのよ。でも、ややこしくなるから、ニアとリートってことで話すね。


 どのくらい前なのかよく分からないけど、前世なんだから今の年齢よりは前よね。二十年から三十年前って感じなのかな?

 その頃の私たちは、この国じゃなくて、隣の国に住んでたの。

 今みたいに平民じゃなくて二人とも貴族の出身で、私はカルナ伯爵家の一人娘、リートはシベリウス伯爵家の跡取り息子。

 でね、この両家、何世代にも渡ってずっといがみあってたのよ。しょっちゅうトラブルになってて、家のお父さんもよく言ってたわ、シベリウスの奴らは人でなしだって。

 それでね……


 あ、そうそう、この話の前にピピにお願いしておきたいんだけど、いい?

 私とリートってさ、本当の本当に結ばれる運命なのかどうか考えながら聞いて欲しいのよ。

 うんうん「運命の書」にはそう書いてあったってのは、分かったから。

 その「運命の書」にはなんて書いてあったの? え? 何それ、全然事実と違うじゃない。私たち結婚なんてしなかったって。むしろ私は彼のせいで死ぬことになったんだから、そう簡単に信じることはできないのよ。


 ええ、そうよ。リートのせいで死んだの。あいつ、学園の舞踏会の時、会場に火を放ったの。その火事に巻き込まれて私は死んだの。いやいや、本当だってば。嘘ついたってしょうがないでしょ。もう、すんごい火事だったんだから!

 ああ、そうか、ピピは手違いがあって結ばれなかったってことしか知らないんだったね。

 実は極悪リートに私は殺されてたってわけよ! ね、私が怒るのも無理ないって思うでしょ?

 火事に気が付いた時にはもう遅くて、逃げられやしなかったし……あの時の恐怖って言ったら……。だから、分かるでしょ? もうアイツとは一緒になんていられない、離婚したいっていう、私の気持ち。


 なんでリートはそんなことしたかって? それはリートに聞いてもらわないことにはね。私にも分かんないわよ。

 だからピピ、よく聞いてて。私、ちゃんと正直に全部話すから。都合の悪いことあっても、隠したりしないから。

 そんで、本当に私たちは結ばれる運命にあるのかって考えてみて。手違いがあったっていうなら、何が手違いだったのかも。


 間違いを正さないと、世界が消滅しちゃうんでしょ? なんか信じられないけど。

 とにかく、前世の手違いがなんなのか分からないままで、本当は結ばれるはずだったんですよって言われても、私は納得できないの。 

 今は祖母ちゃんの為に、離婚は思い留まったけど、まるで生き地獄よ……。

 このままモヤモヤしたまま一緒にくらすわけにもいかないし、なんとかしなくちゃって思うのよ。

 だからピピ、私のそういう気持ちも頭に置いて、聞いてくれる?



 じゃあ、仕切り直して……。

 私はカルナ伯爵の一人娘。今の私からじゃ想像もつかないかもだけど、ちゃんとお淑やかに貴族のお嬢様してたのよ。もう、嘘じゃないってば。正拳突きも回し蹴りもしやしないわよ。


 それでね……。

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