第46話 再会と時間稼ぎ

 夕奈に事情を話すと、すぐに彼女は長瀬に連絡を取ってくれた。それから十分ほど経ち、玄関のチャイムが鳴る。


「お邪魔します」


 昨日と同じ黒のスーツ姿の長瀬が、我が家に入って来る。その表情は、昨日よりもさらに険しい。まるで、溢れ出しそうな感情を、無理やり抑え込んでいるかのようだ。


「神楽崎さん、兄がいるというのは本当ですか」

「うん、本当さ。そこにいるよ」


 そう言って夕奈は、リビングのソファに腰かけた由香を指差す。由香は長瀬の顔を見上げると、呆けた顔で立ちあがった。もしかすると、長瀬と会えることを信じておらず、心の整理がついていなかったのかもしれない。だが、この十四年で容姿が変わった彼女と、記憶の中にある自分の妹が結びついたようだ。


「本当に、紗枝なのか?」

「兄、さん?」


 ふらふらと互いの距離を詰める二人。恐る恐るといった風に、長瀬が由香の頭の高さまでしゃがむ。そうして、どちらからともなく、二人は抱き合った。


「兄さん、兄さん……っ!」

「紗枝!」


 幼児になった兄。長瀬だって、本来ならば絶対に信じようとはしなかっただろう。だが彼女は、僕という実例を知っている。


「兄さん、なぜ私を置いて死んだりしたんですかっ。私、ずっと逢いたかったのにっ!」

「本当に、本当にごめんな、紗枝」


 十四年ぶりの再会。もう顔を合わせることはないと、互いに思っていたに違いない。だが、数奇な運命によって、巡り会うことができたのだ。


「私、兄さんが死んだ後を追って、自殺しようと思っていました。……でも、できなかった。だから、代わりに兄さんの仇を捕まえるため、刑事になったんですよ」

「ああ、頑張ったんだな」


 涙を流し合い、二人は抱き合う。時の流れと転生により、互いの姿は変わっている。それでも当人達には、十四年前の姿が浮かび上がっていることだろう。


「あの、感動的な場面のところをすまないけど、長瀬さん」

「あ、ご、ごめんなさいっ!」


 夕奈が遠慮がちに割って入ると、長瀬は由香から慌てて腕を離した。朱色に染まった顔の上に、真剣な表情を貼りつける。


「兄さんの情報が確かであるのなら、今すぐにでも茂木夫妻を逮捕したいところです。ですが、証拠がありません。探しているうちに時間を稼がれ、『螺旋の会』の他のメンバーに逃亡される恐れがあります」

「でも、それだとお母さんが」

「ええ、分かっています。残された時間は、あまり多くありません」


 焦りを隠せない夕奈を制し、長瀬は頷く。


 本来なら、茂木夫妻を尾行してアジトの位置を把握、それから警察隊で突入、というのが良策なのだろう。だが、今回は却下だ。何しろ茂木夫妻が、いつアジトへ行くのかも不明なのである。明日か、明後日か、もしかすると一週間以上も後になるかもしれない。もたもたしていたら、母さんは実験の餌食になってしまう。それだけは、何としても防がなければならない。


「兄さん。茂木夫妻が信者だという、物的証拠は何かありますか?」

「どうにか、二つな。それがこれだ」


 そう言って由香がポケットから取り出したのは、銀のブレスレットと一冊の本だった。ブレスレットの表面には、螺旋状のマークが彫ってある。裏には、六桁の番号が刻まれていた。本は、表紙も裏表紙も真っ白だ。パッと見では、中身が何なのか見当がつかない。


「これは、『螺旋の会』の信者に与えられるブレスレットですね。以前逮捕した末端信者の証言によると、この番号は信者同士の身分証明となるそうです。それに、こちらは『螺旋の会』の聖書です」

「みたいだな。ちなみに、母親の所持品だ。昼間、オレを保育園に迎えに来たときに、バッグの中をこっそり漁らせてもらってな。あの女はこれらを抜き取られたことに気づかず、どこかへ出かけて行ったよ」

「現段階では、これらで十分です。どちらも興味本位で手に入れただけ、とシラを切ることはできるでしょうが、重要参考人として身柄を拘束します。署に連行し、情報を出来る限り吐かせましょう。向こうは当然、知らぬ存ぜぬを貫き通そうとすると思われます。ですが、こちらも尋問のプロがいますから」


 サラリと恐ろしいことを言う長瀬。この一件が原因で、彼女達警察にとばっちりが飛んでいくのではないだろうか。そう思いかけたところへ、玄関のチャイムが鳴り響いた。夕奈が、居間に備え付けられたインターフォンの受話器を取る。


「はい、どちらさまでしょうか。え、由香ちゃんですか?」


 どうやら相手は、由香の親らしい。ここで、「由香はいない」と誤魔化すこともできる。夕奈は受話器を片手に、長瀬に視線を向けた。長瀬は両手の人差し指で×を作る。


「先ほど、回覧板を届けに来てくれたんですけど。……え、お家に帰っていないんですか。……はい……はい、失礼します」


 それから少しして、夕奈は受話器を戻した。


「由香ちゃんのご両親が、どこかから一緒に帰ってきたようだね。由香ちゃんを連れていく用事があるらしい。今から一緒に探してほしい、ってお願いされたよ。どうしようか、長瀬さん」

「私は署に戻って、上司にこの証拠を見せてきます。本当はここから電話一本で警察の応援を呼べれば良いのですが、若輩の私の説明だけでは上層部が動いてくれないでしょう。神楽崎さんは茂木夫妻と一緒に兄を捜すフリをして、私達警察が戻ってくるまでの時間稼ぎをしていただけますか」

「うん、分かった」


 夕奈と長瀬は頷き合う。


「長瀬さん。朝斗と由香ちゃんを警察に連れていってほしいんだ。ここだと、もしものときに安全を確保できないかもしれなから」

「それは残念ながらできません。私も出来ることなら、特に兄さんはこの証拠を私に渡した参考人として、警察で保護をしたいです。ですが、移動中のところを茂木夫妻に見つかったら、元も子もありません。兄さんと白鷺君は、絶対に外へ出ないで下さい」

「そっか……」


 夕奈は、歯がゆそうに形の良い唇を噛み締めた。一人の大人として、親として、子どもをできる限り巻き込みたくない、というこいつの気持ちは僕も分かるつもりだ。だが、時間が限られている現状で、下手にこちらの動きを感づかれるわけにはいかない。


 と、由香が一歩前へ出て、日本人形のような頭を深く下げる。


「紗枝。今のオレじゃ、お前の手助けができない。役立たずの兄貴で、本当にすまねえ」


 それを見た長瀬は柔らかく微笑み、由香の小さな両肩に優しく手を置いた。その目には、決意の火が漲っている。


「兄さんの敵は絶対に取ります。皆の狂った歯車を止めるため、白鷺幸太郎を逮捕してみせますから」


 そんな兄妹をよそにして、僕も夕奈に言葉をかける。


「夕奈。外は段々暗くなってきて、人影が少なくなっている。由香の両親が、強引な手を使ってくるかもしれないぞ。気をつけろ」

「うん。ありがとう」


 夕奈と長瀬は、二人で居間を出ていく。それから程なくして、玄関の扉が閉まる音がした。残されたのは、幼児の僕と由香だ。無力な今の僕達にできるのは、信じて待つことだけだった。

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