第08話 前世の記憶研究についての講釈

「前世の記憶? ほう、白鷺は信じているのか。意外とロマンチストなんだな」


 そう言って軽く笑うのは、僕のクラスの担任教師だ。先生は、職員室内にある自分の椅子に腰かける。先日、日直の仕事で出欠簿を取りに来たときにも見たが、書類やら教科書やらでごちゃごちゃした机である。何だか無性に片づけたくなってきた。


「それで、前世の記憶ってあるのか――じゃなくて、あるんですか」


 ため口を利きそうになり、慌てて言い直す。そんな僕を見て、何がおかしいのか分からないが、先生はさらに笑みを深めた。


 五時間目を終えると、僕は職員室へ足を運んでいた。夕奈から逃げたいというのも理由だが、それだけではない。以前から抱いていた疑問に、答えてくれる人を探していたのだ。それがこの担任の先生だった。学生時代、医者を目指していたらしく、先々週の入学式の日、ホームルームの自己紹介で「大学では精神科を専攻していた」と語っていた。相談相手としては悪くないだろう。


 正直を言えば、顔と名前を覚えたばかりの教師に、こんな質問をするのは恥ずかしかった。しかし、先日から自分の身に起きた不可思議な現象を考えると、この問いは解決しておきたい。あの日を境に頭から離れない映像は、本当に前世の記憶から生まれたデジャヴなのか。それとも、ただの幻覚だったのか。「前世の記憶なんて、あるわけがないだろ」と一言答えてもらえれば、安心できるのだ。父さんが間違っているだけ。僕の中で渦巻いている、夕奈への特異な感情は幻。そう信じさせてほしい。


「確かに、前世の記憶について研究している学者は、世界中にたくさんいるぞ。前世療法という手法が、一番有名かな。知っているか?」

「名前くらいは、テレビで」

「こいつは、アメリカのブライアン・ワイスという科学者が提唱したものでな。要は催眠術によって、前世の記憶を思い出させるというものなんだ」


 催眠術ねえ。何だか、初っ端から胡散臭い話だな。


「元々ブライアン博士は、精神障害の治療に携わっていた人でな。その一環として退行催眠を患者に施し、精神年齢を遡らせることで、病気の原因を探ろうとした。すると予想外にも患者は、千年前の中近東の国にいたと話し始めたんだ。当時の地名からそこの風俗、日常生活に至るまで、その話はあまりに具体的だった。ブライアン博士はそれまで、前世や輪廻転生などについて信じていなかったから、かなり驚いたそうだ。そこで博士は、催眠療法をさらに続けてみた。そうしたら患者は、さらに一つ前の前世についてまで語った。もちろん博士は、それらの話をなかなか信じることができなかった。でも驚くべきことに、それまでの治療では治らなかった患者の症状が、その日を境に良くなり始めたんだ」

「そんな、馬鹿な」

「ははっ、そう言いたくなるのも分かるがな。その一件をきっかけに、ブライアン博士は様々な患者にこの治療法を施すようになった。彼がこれまでに行った催眠治療の数は、三千例以上にも及ぶそうだ。そのおかげで、前世療法は広く知れ渡るようになった」


 先生の説明を聞きながら、僕は音を立てて唾を飲み込んだ。父さんや一部の研究者の妄想だとばかり思っていたが、前世の記憶を思い出すというのも、十分にあり得るということなのかもしれない。そう思いかける僕の顔がおかしかったのか、先生が苦笑を漏らす。


「だがな、退行催眠に対して異論を唱える人間もいるのさ。その代表格が、イアン・スティーヴンソンという科学者だ。彼の厳格な前世の研究は、世界中から現在最も信頼されているほどでな。そんな彼の前世研究のファーストステップが、厳密な面接調査だ。前世の記憶を語る子どもがいるという情報が入ると、さっそく現地に赴いて面接を開始する。その子どもの語る話の内容が、他人や社会から入手したものか否か、その上で事実であるかを確認するわけだな。その子が語る『前世の人格』について、その人物の死亡届から病院カルテなど、あらゆる資料や記録を収集する。それに加え、『その子が前世の記憶を持っている』と証明する人間の信頼性についても、とことん調査する。そいつが偽の記憶を吹き込んだ可能性もあるからな」


 ブライアン博士の手法に比べると、随分と慎重なんだな。


「その時点で、子どもの話に偽りがなさそうと判断されると、次の段階に移る。手に入れた情報を、様々な視点で分析するんだ。信憑性に少しでも欠けると思われる可能性を、片っ端から消去していく。たとえば、潜在意識による記憶のいたずらだ。潜在意識というのは、人間が自分で自覚できない心の領域のことでな。意識全体の中では、約九割を占めるとされているんだ。過去の経験や得た知識などをもとに、心構えや自分の欲望を収めた、いわば一種の貯蔵庫だな。ちなみに残りの一割、つまり自覚できる心の領域のことを顕在意識というんだが、それはまあ、置いておこうか」


 専門用語が多くなってきたせいで、段々と頭が痛くなってきた。だが、自分から質問しておきながら、嫌な顔をするのは失礼なので、表情に出さないよう我慢する。


「幼い子どもが数年前にテレビや本などで得た知識は、潜在意識の中に収納されることがある。その後、本人はそんなことがあったことさえ忘れてしまうものなんだが、何かの拍子に意識の表面に出て来ることがあるんだ。それを前世の記憶だと錯覚してしまう。こういったケースは、当然除外だな」


「何だか、犯罪捜査みたいな感じだな――ですね」

「まあ、そうかもしれんな。で、スティーヴンソン博士が退行催眠を疑問視するのは、この潜在意識がポイントなんだ。よくテレビで催眠術をかけられて、鳥とかになった人間の話を放送しているだろ? 催眠術にかかった当人は、自分が人間であることを忘れ、本当に鳥であるかのような気持ちに陥っている。その際、自分の記憶の中にある、鳥についての情報をかき集めているのさ。催眠術の影響下にあるとき、人間が持つ創作能力や演出能力は極端に強くなるんだよ。そのおかげで、人は潜在意識の中に蓄えられた知識をもとに、偽物の人格を創り上げることができる。それが前世の人格であろうと、な」


 なるほど。そうなると、僕が見たあの映像も前世の記憶によるデジャヴではなく、潜在意識で作り出されたフィクションなのか。仮にそうだとするならば、「信太」や「雅美姉さん」と知り合いである父さんが昔、僕に情報を吹き込んだ、と。その記憶が脳の奥底で眠っていて、側頭葉に電気刺激を与えられた僕が、幻覚として見ただけなのかもしれないな。うん、その方が科学的だろう。


 いや、しかし、だ。僕は単に映像を見ただけではない。「雅美姉さん」の温もりや、胸が締め付けられるほどの愛おしさを感じている。あれらも、僕の記憶の中にある情報をもとに、創作されたものなのだろうか。それに何よりも一番引っかかるのは、やはり『魂の絆』だ。夢で見た『糸』の感覚も、催眠術や幻覚で作り出されたものなのか? いや、あれだけは偽りの記憶で誤魔化せないはず。……たぶん。


 仮にもしも、幻覚やフィクションでないとするならば、「信太」は本当に前世の僕ということになる。彼は一体何者なのだろうか。それに「雅美姉さん」と夕奈の関係は……


「おい、白鷺。聞いてるか」


 先生に腰を叩かれ、僕は我に返った。先生の呆れた様子から察するに、どうやら僕は相当の間抜けな顔を晒していたようだ。


「あ、え、えっと、すま――じゃなくて、ごめんなさい」

「いいさ。俺にできる話はこれくらいだな。参考になったかは分からんが。まあ、そんなわけで、前世の記憶なんていうのは、眉唾物ってわけだ。お前が期待していたのなら、残念だが」


 先生は鼻で深く息を吐き、無精ヒゲを撫でた。それから、ふと何かを思い出そうとする風に、腕を組む。


「そういえば日本でも、前世の記憶について研究している大学教授がいたな。確か、すぐそこにある志堂大学だったか。名前までは思い出せんが。催眠術じゃなくて、脳に秘密があるとか論じていたような覚えがあるぞ」

「そ、それは」


 間違いなく、父さんのことだ。どう誤魔化そうかと焦ったその矢先、幸運にもチャイムが鳴り響いた。


「おっと、もう休み時間が終わったな。お前のクラス、次は俺の授業だろ。白鷺、今さっきみたいにボーッとしてたら、出欠簿の角で叩くからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る