女神の山

吾妻栄子

第一章:禁じられた山

「ほら、そっちへ行くでねえ」


 川で洗濯をしていた母親のきつい声が飛ぶ。


「何で」


 やっと首の据わった赤子の弟を背負った七つのおゆきは目を丸くした。


 小さな手に持った籠には赤黒く熟した山桃や桑の実がまだ三分程しか入っていない。


「まだもっと上の方に……」


 甘い実の取れる木があるはずだ。


 しかし、母親は皆まで言わせず制する。


「バチが当たるで」


 般若じみたおかあの形相に身がすくむ。


「フエーン」


 怒声に目を覚ました赤ん坊が背中で泣き出した。


 仕方なくおゆきは登りかけた山道を引き返す。


「この次、勝手に登ろうとしたら承知せんからな」


 再び洗い物の手を動かし始めつつ、母親は俯いたおゆきに釘を刺す。


青女峰あおめみねには神様が住んどるんだから」


 火が点いたように泣く弟を背中で揺らしながら幼い横顔は頷いた。


「はい」


「じゃ、行ってくる」


 不意に大きな影が幼い姉弟を包む。


「あんた、気い付けてな」


 母親は一転して案じる風な声で父親に声を掛けた。


「日暮れには戻る」


 広い肩に行李を背負った父親は日焼けた顔に穏やかな笑いを浮かべて頷く。


「おとう


 心細げなおゆきの小さな頭を節くれだった大きな手が撫でる。


「ええ子にしとったら、町でまたおもちゃ買ってくる」


「この前、でんでん太鼓、川に落としちゃった」


 赤ん坊が泣き疲れて寝入るの入れ替わりにおゆきの頬に涙が伝う。


「新しいの買ってこよう」


 屈み込んで手拭いで娘の涙を拭うと、父親は微笑んだ。


「山には綺麗な女神様が住んでるんだ。泣いてるとみったくねえぞ」


「分かった」


 おゆきは鼻を啜る。


「じゃ、しっかりやるだぞ」


 それをしおに立ち上がると、父親は夏の緑の生い茂る山道を去っていった。

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