巫女姫物語・第一部

咲花圭良

第一章


 将軍家の家督争いに端を発し、諸国を二分した戦乱は、やがて戦国の世の幕開けを告げた。

 下克上甚だしく、群雄が割拠する時代である。

 中でも、稲賀政秋(いながまさあき)は、才知に富み、民よく従え、その軍事的才能は天下に名を馳せていた。

 その稲賀に対抗し、近年力をつけてきたのが、隣国の高階隆明(たかしなりゅうめい)である。

 隆明は二十五才で、父の死により家督を継いだ。

 稲賀よりも二十歳近く年下だった。

 その隆明が家督を継いだ当時、稲賀は抵抗する近隣諸国のほとんどを平定し終えようとしていた。

 しかし隣国である隆明の父とは、力を競り合ったことはあったものの、結局は隣国として同盟を結んでいたのである。

 互いに天下取りに思いを馳せていたもの同士、その方が好都合だったからだ。

 ところが父から家督を継いだ隆明は、その同盟を一方的に破棄し、稲賀を何かと目の敵にするようになった。

 やがて戦を仕掛けるようにまでなったのである。

 はじめ、稲賀にとってはほんの若造にすぎなかった隆明は、さしたる存在とは思えなかった。一方的に同盟を破棄し、彼に歯向かったときは、そのままその領地をとりこめるかと踏んだほどである。

 しかしそれから七年、隆明が力をつけるに及び、たびたび戦をしかけられるようになるにつれ、稲賀にとっては頭の痛い存在となっていった。



 しかしである。

 そんな激しい世相であっても、ここ、稲賀の領国大木村では、山深く、そんな世相は、直には感じられぬというふうでもあった。

 大木村、仰木村とも書く。

 季節は冬であった。

 領国内の他の村同様、冬になれば一面雪が地表を覆う。農作業もなく、たくわえでなんとかしのぐこの季節であったが、村は、白石山(はくせきやま)の神と、神の子・巫女姫の恩恵で、今年も特に不自由な思いをせずに乗り切れそうである。

 白石山に連なる小さな山、女神山にある神社は、山の神を祀っていた。

 その神につかえ、神の声をきく一族がある。

 それが、巫女姫の一族である。

 その巫女姫一族の未婚の娘が「巫女姫」となり、その者が社主を務める。男性の神主などはいない。一族で選ばれた未婚の娘、――巫女姫が、祀り事の全てを司るのである。

 現在の巫女姫は小夜(さや)という。

 四年前に伯母である先代が亡くなると、小夜は十五で巫女職を継いだ。

 巫女姫と一族の者は、女神山の麓に家を構え、そこで寝起きをする。巫女姫はそこから長い石段をのぼって神社へと通い、夜明けと共に朝のお勤めをし、日暮れ前には夕べのお勤めをするのである。

 だからといって、巫女姫はこもり切りで祈祷でもしているのかといえば、そうではなく、村にとって巫女姫は聖なる存在で、神の預言者でもありながら、また母でもあり、姉でもあり、娘でもあった。村の寄り合いにも出席するし、領国を視野にいれた村のまつりごともある程度把握する。――まして年を経た巫女姫なら、その発言力には絶大なものがあった。

 しかし、今の巫女姫小夜はまだ若い。発言力は未だなく、村人の間に分け入って話をしても、寄り合いで意見をいうようなことは、ほとんどなかった。

 そんな若い小夜が何故この職に就いたのか。

 別に彼女の一族で彼女が、最年長の女子だったというわけでもない。それは、彼女が「巫女姫」として、一族の長たる能力というものを身につけていたからであった。

 その能力とは、生まれたときから授かった力なのである。

 しかし、誰にでも備わるというものではない。巫女姫の一族でさえ、小夜ほど安定して、強い力を持つものは、何代かに一人しか現れないのである。

 折しも乱世――故に小夜は幼い頃から期待され、鍛え上げられ、若くして職に就いた。

 巫女姫小夜の力、それは、自然界のあらゆる「気」を読み、操る能力であった。



 辺り一面、白い雪景色で、どんよりとした日だった。

 小夜は長老の家にいた。

 村の長老に内密に呼ばれたのだ。

 高階との戦がまた起きた。

 攻めてきた高階軍は、一度兵をひいたものの、いつまた攻めて来るかわからぬ。戦いが再び起こり、長引けば、村の若い者が戦にとられる。春になれば農作業に影響し、暮らしにも影響するだろう。

 長老の話はそういうことだった。そして長老は、小夜に尋ねたのである。

 お前はこの先どう読むか、と。

 巫女姫小夜は自然界の気の流れを自在に操り、読む。気は気なり。天下の流れでもある。巫女姫で能力の強い者の中には、未来をよむ力のある者もいる。小夜ももれなくその一人であった。

 村がここ数年、豊かであったのは、ひとえに、彼女のその力のおかげでもあるということは、いうまでもない。天候のみならず世人の動きまで、彼女には、分かるときは分かるのだ。

 しかし、この質問に小夜は、長老に「わかりませぬ。」と答えた。

「わからぬ、とな。」

幾分その瞳と声に驚きを秘めながら、長老は小夜を見据えて言った。

 長老は年老いて小柄にもかかわらず、たくましい体つきをしていた。ただ、壮年期、戦で右足をやられて以来、足をひきずらなければならなくなった。彼の白髪、白い髭、何より、深く刻まれた皺とその相好が、彼の長く重苦しい人生を物語っていた。

 彼は小夜の一族とは違う。

 小夜の一族から長老が選ばれることはない。

「まだ、何も起こってはおりませぬでしょう。」

小夜は、座したまま、微動だにせず答えた。

「何も?」

「はい、一つの戦がひいたばかりで、行く先を占うべき大事の兆しがまだありませぬ。起こる予定もない気の流れを見抜くことは、無理でございます。」

小夜は凛として答えた。

 十九とは思えぬ深さと威厳がこの娘にはあった。

 感情の起伏も少ないのかもしれない。元より、多い方ではなかったが、能力が強くなるにつれて、彼女の感情が「気」に影響し始めたので、師である前巫女姫が、心の揺るがぬ術を彼女に仕込んだのである。その動かない表情から、彼女の心をよめるものは、ごくわずかである。

 長老は小夜の言葉に「ふうむ。」と目を閉じ、黙り込んだ。

 小夜は端座して目を伏せたまま、何も口をきかない。

 まだ事は起こっていない。

 まだ期が早いのだ。

「年が明けたら―――」口火を切ったのは長老だった。「お前の妹が嫁に行く。」

「はい。」

「何も起こらねばよいがの。」

「はい。」

 長老は息をついた。

 部屋の空気がふと和むと、「お話はおすみでしょうか。」と部屋の外から声がかかり、部屋の戸が開いて、長老の長男の嫁、たきが入ってきた。

「何だ、おったのか。」

「何だ、おったのか、ではございませんでしょう。長老様はいつも、隣の間に控えておれ、とおっしゃいますのに。」

「そうであったかのう。」

長老もたきも、ほほほと声を上げて笑った。小夜もたきと同席するときは、表情を和ませる。

 たきは人の心を和ませる、そんな人物だった。

「巫女姫さま、夕餉を召し上がっていかれませぬか。たいしたおもてなしも出来ませぬが。」

「いえ、私はこれで失礼いたします。勤めもありますし、信乃が夕飯を用意して待っておりましょうから。」

夕飯の時刻までは、まだ間があった。家まで使いを出せばよいのだが、小夜は腰をあげた。

「さようでございますか。」

たきは少し失望を隠せないような面持ちで言った。

「今日は巫女姫さまがいらっしゃると、みのが楽しみにしておりましたのに。」

「みのが…。」

 みのとは、今年五つになる長老の孫娘である。たきにはみのを頭に三人の子がいて、みののすぐ下が男子、それから昨年生まれたのが女の子である。みのは小夜によくなついていて、小夜が家に来ると相手をしてもらったり、村の子たちと連れ立って社殿に遊びに行ったりもする。

 元々、たきは小夜一族の出である。小夜の祖父の妹の子供だ。だからもし、その子、例えばみのなどに力が現れれば、巫女姫一族が長老の座につくことはなくても、たきの子が巫女職を継ぐということはありえるのだ。

 しかし残念ながら、みのにはそれらしい兆候がない。

 だが、陽気で気質のいい子だ。

「しかし、今日私はとり急ぎやらねばならないことがあるのです。みのにはまた社殿の方に遊びに来なさいとお伝えください。」

「承知いたしました。みのにはそう伝えておきます。」

小夜はたきの返事にうなずき、そして長老に向き直った。

「では長老、後日また。」

「ああ、何かあればこちらから知らせる。」

小夜は立ったまま目礼すると、戸口まで歩いて戸を開け、ひざまずいて頭を下げた。それから小夜は立ち上がり、小夜につきしたがったたきが戸を閉めた。足が不自由で動けない長老のかわりに、たきが見送りにやってきたのだ。

 たきが家の入り口の戸を開けると、小夜はわずかに肩をふるわせた。

「今日は格別に冷えますな。日暮れにはまた雪が降りましょう。」

たきが上空をみあげ、軽く腕を抱いて言った。しかし小夜の返事はない。小夜の返事がないので振り返ったたきは、小夜の形相にはっとした。

 硬直したまま、微動だにしていない。

 戸口にたたずんで、まるで、外にある何かをじっと見つめているようだ。

「巫女姫さま?」

たきの言葉も聞き入れないほど、小夜は何かにひどく集中している。

「巫女姫さま? どうなさいました? 小夜さま!」

たきが思わず小夜の腕をつかむと、小夜はよろめいて、我を取り戻した。

「あ、いえ、何でもありませぬ。すみませぬ。」

「しかし…。」

「大丈夫です。少し、考え事をしていました。心配はいりませぬ。」

小夜はそういうと、戸口から踏み出した。戸外で、空を見上げる。

 後ろから少し思いつめたような声で、

「戦が…また起こるのでしょうか。」

たきの問いに小夜は振り向いた。

「近頃、悪い噂ばかり聞きます。また、戦が起こるのでしょうか。」

たきは不安な面持ちで小夜の顔をうかがった。小夜はそんなたきからゆっくりと視線をはずすと、

「さあ、私にもまだわかりませぬ。―――しかし、何が起ころうとも、あなたが不安がっていては何もなりません。」

たきは小夜の言葉にはっとして、それから顔をひきしめた。

「はい。」

「案ずることはありませぬ。何も恐れず、ただ、構えておればよいのです。それよりも、あなたは家のことを気にかけていなさい。長老殿が無理ならさぬように。」

そうたきに言うと、たきは黙って頭を下げた。

 それから、小夜は長老の家を後にした。



 小夜が長老の家に行き、二人だけで話をするときは決まって、村で公にできないことばかりであった。今日のこのことも、村に無用の動揺を起こさないためのものだ。戦の話ともなれば、このたきまでもが動揺する。

 小夜も言動にはますます気をつけねばと思った。

 しかし、先ほどの小夜の戸口での硬直は、実は戦の話のために起こったものではなかった。

 彼女は外気に触れた途端、ある「気配」を感じたのだ。

 長老の家に行く前から何となく感じていた。

 もちろん、常人では感じ取れない、彼女の能力だからこそ、わかり得るのだ。

 白石山の中腹から、人の「気配」がする。しかも、かなりの傷を負っているようだ。

 それだけのことなら、彼女は別に硬直まですることはない。おそらく戦で傷を負った兵士が逃れてきて行き倒れている、そんなところだろう。しかし、その気配は村の者でもなく、でも確かに、彼女はその気配を知っていた。

 はじめ、彼女は自分の感覚を疑ったが、風は、時間の経過とともに彼女の読みの正しさを告げた。

 風がうなっている。

「ハヤテ。」

彼女は、気を集めて、風を呼んだ。上空から、彼女めがけて疾風がやってくる。彼女の傍らに新たな気の流れができると、ごう、と、うなって駆け抜けた。

 すると、彼女が見上げた空から、降りてくるものがある。

 イヌワシだ。

 それは傍らまでおりてきて、駆け抜けようとするその背を彼女がつかみ、乗ると、勢いよく空へと舞い上がった。

 ハヤテという名のイヌワシ――常人に、その姿は見えない。使うものによって、それはワシに見え、タカに見えるという。

 風が形を作り、使う人によってそれを変えるのだ。

 ハヤテが見えるのは、小夜の一族の中でも力の強いものか、霊能者ばかりである。しかし、たとえ見えたとしても、小夜のように使えることなどは到底不可能であった。

 小夜の体は上空高く舞い上がり、視界が大きく開けていった。

 そして、風にのって上空を疾駆した。

 このとき、小夜はいつも身にも心にも解放感を覚えるのだ。何の障害もない、人の気配の遠く離れたこの場所は、遠く小夜の心までをも解放する。かなり上空まで上りつめても、息苦しさも、寒さも感じることはなかった。

 すべては、彼女の鍛えられた能力ゆえである。

 この力ゆえに、小夜はふだんから、暑さ寒さに苦しめられることはあまりなかった。

 今、小夜は風であった。大気を渡る北の風。地上のしがらみもすべて忘れていられる。

 小夜は時々、ふと思うことがあった。

 なぜ自分はヒトとして生まれてきたのか。

 大いなる気として、生まれてこなかったのだろうか。

 白石山の頂上を斜めに見下ろしながら、小夜は急降下を始めた。

 その気配は、国境い辺りからやってくる。小夜は神経を集中させる。

 山が近づいてきた。

 森の木々のわかれ目が、麓めざして細く長く続いている。きっと、川があるのだろう。小夜はそこに近づいて行った。

 木々に積もった雪を舞い上がらせながらざっと吹き抜け、その森のわかれ目のちょうど上で小夜はふわりとハヤテから降りた。

 村より標高が高いために、雪の量が少し多いようだ。うさぎの通った跡が少しついているだけで、人の通った跡はない。細い川の川辺が広くなっていた。白い雪に覆われ、その川辺にそって木々が囲んでいた。小夜は新雪に足をつけず、体を少し浮かせたまま、川に沿ってゆっくりと上り始めた。

 すると、少し行ったところで、蹄の跡と血の跡が現れた。

 それをたどっていくと、蹄の跡の途中に、純白の雪を真っ赤に染め、男が一人倒れている。

 蹄の跡は小川を超え、森の中へ向かっていたが、馬の姿は見えなかった。

 男は甲冑を身につけ、左の肩に傷を負っている。うつぶせになって倒れているその右手には、真剣がしっかりと握られていた。格好から、足軽風情にも見えない。まだ若いが、れっきとした武将のようだ。

 小夜は男に近づいて行った。

 男の頭部を真上から見下ろすと、乱れた髪の中に、横顔がうかがえた。年の頃、二十才といったところであろう。

 見覚えがある。

 この男は、まだ、生きている。

 ――が、意識はなかった。

 このままここに捨てて置けば、何のかかわりも持たずにすむ。

 そのかわり、ここに男を捨てて置けば、この男は確実に死ぬだろう。

 来るべきではなかったのだ。

 この男もここに、来るべきではなかったのだ。

 この男にかかわって、よいことがあるはずがない。

 あのとき、長老の家を出たとき感じたあの気配は、彼女に悪い予感を直感させた。

 彼女は恐れた。

 でもそれ以上に、確かめないではいられなかった。

 助けに来ずには、いられなかった。

 この男を―――。

 そして、来てしまった。

 時は動き始めてしまった。

 突然、ふわりと、足元に風が舞い上がった。

 辺りに積もった雪を舞い上げ、風が、蹄と血の跡を消していく。

 さっと風が通りすぎ、雪をならした。

 小夜は男の傍らに足をつけ、地に立ち、男を上から見下ろした。

「これも運命であろう。」

下流に向かって、消えた蹄の跡を目でたどり、男の来し方をみつめた。常緑樹の森、茶色の木肌に、地面の雪の白さが静かに映っている。

「なあ、ハヤテよ。」

小夜の乗ってきたハヤテは地に下りていて、彼女のそばにいた。そしてただ、哀しそうな目で、彼女を見上げていた。

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