第15話 出立

 明くる日、アレックスにチヅル、そしてスーヤとジェフェリーは陰日向に来ていた。試験は申請した書店で行なわれるからだ。


「ジェフ、大丈夫? まだ顔色が悪いみたいだけど……」

「心配御無用! この程度でスーヤの晴れ舞台を見に来ない訳には……ぐぅ!」


 強気な口調とは裏腹に、ジェフェリーは真っ青な顔になり、胃の辺りを押さえてうずくまってしまった。すかさずスーヤが心配そうに背中を撫でる。


「こ、こうやってスーヤに背中を撫でてもらえるだけでも来た甲斐があったってもんだ」

「それはいいが、頼むからそこで吐かんといてくれ。吐くなら外でな」


 ジェフェリーに投げかけられた情の無い言葉に、スーヤがキッとロイスを睨みつける。


「じっちゃん! 病人にそんな事言っちゃダメだよ!」

「すまないねえ。俺の体が弱いばかりに、お前さんに苦労掛けちまって」

「お芝居はそこまでだ。試験官が来たようだぞ」


 ごほごほと咳払いをして病人を装うジェフェリーをたしなめ、アレックスは店の入り口の方を向く。本棚の陰から鮮やかな青のローブを羽織った、神官のような姿をした人が現れた。


「あら、気づかれちゃった。そっと入ってきて驚かせちゃおうと思ったのに」

「お前から漂うカマ臭い空気で丸分かりだ」

「つれないわねえ。ナニからナニまで面倒を見てあげた仲じゃない」

「気色悪い言い方をするな……!」


 片方は遠方の親友が来たかのように親しげに、片方は険悪極まりないといった態度で応対を続ける。場の空気が徐々に険悪な雰囲気に変わっていく。


「アレックス。あんた、この試験官の知り合い?」

「そうよお。強いて言えばぁ、人には言えない秘密を共有した心友ってやつ?」

「そんな秘密など共有した覚えは無い! ただ、俺が試験を受けた時もこいつが試験官だっただけだ」


 アレックスが明らかにイライラした態度でぶっきらぼうに話す。アレックスがこれほど誰かを嫌悪するのは、極めて珍しい事だった。


「もう、照れちゃって。相変わらず変わらないんだから」


 そんな態度もどこ吹く風か。全く気にする様子も無く、試験官が朗々と自己紹介を始める。


「初めまして、皆様方。まあ、アルと店主は違うけどね。私の名はジョイス・バイミラー。今回の試験の試験官をさせてもらうわ。えっと、今日の試験者のスーヤ・イサナギ? 前へ出てもらえるかしら」

「はい」


 ジョイスの呼びかけに少しも臆する事無く、スーヤが手を挙げて前へ出る。プレッシャーを感じている様子は無い。ただ、いつもの元気満点な調子では無く、適度な緊張で少し顔が引き締まっているのが分かった。

 ジョイスが下から上へ、スーヤを舐めるように見て頷いた。


「写真を見た時も思ったけど、18にしては随分幼いのね。っとごめんなさい。そんなの関係なかったわね。それじゃ、右手を出して」


 言われた通りにスーヤが右手をジョイスの前に出す。ジョイスはその手を取り、懐からロブグローブを取り出して、スーヤの手にはめた。


「使い方は知ってるかしら?」

「はい。アルやチヅに教えてもらっ、もらいましたので」


 普段はこんな丁寧な言葉遣いなどしないため、つっかえつっかえになりながら、たどたどしく返してしまう。それをジョイスはクスリと笑い、


「そんなにかしこまらなくてもいいわよ。私もこんなだし、もっと気楽にいきましょう。さて、今回あなたに潜ってもらうロストブックはこれ。タイトルは『白き捕食者』。グレードはC3ね」


 ロストブックのタイトルが発表された瞬間、ジョイスとスーヤ以外の表情がぴくりと反応した。それは喜色ではなく、どちらかと言えば渋い顔だ。


「『白き捕食者』……。微妙なチョイスを出してきたわね」

「おっと、助言はダメよ。最低限の情報はアタシが出すけど、他の情報は一切与えてはならない。これが規則なんだから」

「わ、分かってるわよ」


 そう言い、ジョイスは人差し指を口元に当てる。慌ててチヅルが口をつぐむと満足そうに頷いた。そして、改めてスーヤの方へ向き直る。


「合格条件は、制限時間内にブックの主を見つけ出し、そのモジュールを手に入れる事。あと、怪我は覚悟してもらうけど死ぬ事は無いから安心して。何かあったらちゃんと助けてあげるから」

「うん、分かった」


 スーヤの口調が普段の言葉遣いに戻った。先程のジョイスが気楽にいこうと言ったおかげだろう。


「良い返事ね。素直な子は大好きよ。準備はOK? ちゃんとHOは装備してるかしら」

「大丈夫。完璧だよ!」


 スーヤが背負ったサックを見せる。中にはチヅルとアレックスが作ったスーヤ専用のHOが入っている。


「そ。ならすぐに潜りましょうか。それでは保護者の皆様方、試験の結果を心待ちに」


 ジョイスは口上を述べると、ローブの下からロストブックを取り出してカウンターの前に置く。スーヤがロブグローブをはめた手で触れると、ブックが白く眩い光を放ち始めた。ジョイスがブックを手に取ってページを開き、カウンターに置き直す。そして右ページに手をかざすと、無言でスーヤにもそれを促した。


 スーヤは不安そうに振り返るが、誰も声はかけなかった。しかし、スーヤの顔が見る見るうちに晴れていく。

 初めはジェフェリーだった。振り返ったスーヤに向かって腕を真っ直ぐに伸ばし、ぐっと親指を立てる。それに釣られるようにロイスとアレックスも同じ仕草をスーヤに送る。だがチヅルはそれをしなかった。代わりに腕を組み、一回だけ大きく頷いた。行って来なさい、とでも言っているように。

 スーヤが左のページに手をかざす。目が眩むほどの光が満ち溢れ、スーヤとジョイスを包み込む。光が消えた後、2人はそこから姿を消していた。


 とたんに、チヅルの表情が不安げになった。スーヤの門出だからだと、無理をしていたのだろう。おろおろと目線が泳いで挙動不審になっている。


「大丈夫かしら。確か『白き捕食者』って、スティールバイトがいるのよね……」

「スーヤの苦手なタイプだよな。馬鹿正直に全部相手にして、あっという間に時間切れになっちまいそうな気がする。あのロストブックは滞在時間も短いし」

「今更ここで言っても、どうしようもないだろう。後はスーヤ次第だ」


 少し険がある言い方にむっとして、チヅルはアレックスをきつく睨みつける。


「ちょっと。もう少し心配してあげてもいいでしょ!」

「お前はスーが受からないとでも思っているのか?」

「そんな訳……!」

「なら信じてやれば良い。あいつは俺達が信じてると思って、試験に臨んだんだからな」


 正論を突かれて、チヅルは口を固く結んだまま、何も言い返す事は出来なかった。

 場の空気が重くなるのを感じたのか、すかさずジェフェリーが話題を変える。


「それにしても変な試験官だったよな。妙にカマっぽくて。アレックス、お前あれと知り合いなのか?」

「そうよ! あの試験官、スーに変な事しないでしょうね!?」

「落ち着け。多分、大丈夫だ。あいつは正真正銘の本物だからな。女に手を出したりはしないだろう。男だと悲惨な目に会うがな」


 渋い顔を浮かべながら、アレックスは不機嫌に吐き捨てる。その表情にいち早く気付いたのか、すぐさまジェフェリーが食い付いた。


「なんか苦い思い出があるみたいだな。ほら、頼れるお兄さんにちょっと話してみなよ。きっと楽になるぜぇ」

「誰がそんな地雷を踏むか。お前に話したら、明日には街の隅から隅まで知れ渡るだろうが」


 馴れ馴れしく肩を組んでくるジェフェリーの手を鬱陶しそうにアレックスは払いのける。


「さて、そろそろ行くとするか」

「ええ。あの子を盛大にお祝いするためにね」


 まるで示し合わせているかのような2人の態度に、ジェフェリーは首をかしげた。


「ちょっと気が早すぎるんじゃないか? 俺もスーヤが受かると信じているが、万が一という事も……」

「それだけじゃないのよ。今日は、あの子と私達にとって、大切な日だから」

「そうか。そう言えばそうじゃったな。あれからもう1……ごほごほ!」


 ロイスが思わず口を滑らせそうになり、咳払いで誤魔化した。だが、それはむしろわざとらし過ぎて、余計にジェフェリーの興味を掻き立てた。


「なんだよ、俺だけがまた除け者か? 連れないねえ。俺とお前達の仲がそんなに余所余所しいとは知らなかったな」

「憎まれ口叩く暇があったら、あんたも一緒に来なさい。やる事はたくさんあるんだから」

「へ? な、なんだ。別段秘密の話って訳でもないのな……」


 詮索しようとした矢先にあっさりと受け入れられてしまい、ジェフェリーは思わず調子を崩してしまった。なんとも収まりが悪そうに、店中に目を泳がせている。


「まあ、買い物は昨日の内に終わらせたんだ。後は飾りつけと仕掛けだな。ジェフェリー、ちょっと俺の家へ来てくれ。運びたいものがある」

「おう! スーヤのためだ。もうなんだって言ってくれ!」


 頼もしげにどんと自分の胸を叩くジェフェリーだったが、すぐに顔を青くしてうずくまってしまった。どうやら、今の衝撃でまた胃の調子が悪くなってしまったようだ。


「病人に無理をさせるわけにもいかないか。やはりチヅルの家の方で作業してもらった方が良いな」

「いらないわよ、こんなドヘタレ」


 ぐさりと短刀でえぐるような罵倒を受け、奮起したようにジェフェリーは立ち上がる。


「ヘタレとはなんだ、ヘタレとは! これでもトップクラスのダイバーなんだぞ。それを言うに事欠いて……」

「分かった分かった。やっぱりお前はこっちに来い」

「ほら、さっさと片付けるわよ。そんなに時間が無いんだから」


 率先してチヅルが店から出て、その後にアレックスとジェフェリーも続く。

 今は早く準備を終わらせなくてはならない。帰ってきたスーヤを笑顔で出迎えるために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る