D.3481 華南連合ミョンユン市


 銃を手にしたメルは雑然としたダウンタウンの路地を走っていた。

『メル! そこの突き当たりだ』

 メルの頭の内側に直接声が響く。メルの視界には目的地へのナビゲーションと周辺地形のマップが表示されている。


 血管から注入されたナノマシンにより脳を全民ネットワークへ接続させる技術――電脳化は、人類のさらなる技術進歩と発展を与えた。しかし、電脳を利用した犯罪も後を絶たない状況だった。

 電脳犯罪一科に配属された、新米捜査官メルは、バディである捜査官と、ある犯罪者を追っていた。


『電脳ウィルスって、眉唾物と思っていました』

『正規ナノマシンにセキュリティホールはない、が全人政府の見解だからな。電脳ウィルスが本当に存在したなら世界がひっくり返るぜ』


 これまでの犯罪は一世代前のセカンドマシンが原因だった。セカンドマシン――通称セカンドはセキュリティホールを多く抱えていたため、法律で使用を禁じられていた。しかし、脳の処理能力や運動能力を引き上げるといった調整が容易であったため、闇市で出回ることは後を絶たなかった。


『まあ冷たい言い方だが、自分で不正をして犯罪に巻き込まれるなら、それは自業自得だ。セカンドを打ち込まれて利用されるケースもあるが、それも防ぎようがある。けど、今回の電脳ウィルスは違う』


 そうですね、とメルは呟く。


『正規のナノマシンにセキュリティホールがあって、一部機能をハッキング、または改ざんする。そんなこと出来てみろ。考えただけでゾッとする』


 電脳がなくなった世界――それは、まるで原始時代のような生活を想像したのだろう。


 電脳技術のセキュリティが問題になったことは今回が初めてではない。四〇〇年前、電脳はハッキングとアップデートのいたちごっこだった。それを打開したのがナノマシンによるシナプスネットワークの拡張だった。ナノマシンは選択式にシナプスネットワークを拡張する無機物質でしかなく、そこには電子的なウィルスの類の侵入は不可能とされた。


 しかし、先日、不可解な犯罪が起きた。


天網恢々てんもうかいかい喧々諤々けんけんがくがく雄渾ゆうこんかな♪」

 そんな意図を汲めない言動をし、人や物の破壊を繰り返す人間が複数地域に現れたのだ。しかも取り押さえと同時に自害する。その行動は謎が謎を呼ぶようだった。

 その死体は検死解剖された。すると捜査局は驚愕することになった。セカンドの痕跡がなかったのだ。そこで浮上したのが電脳ウィルスだった。荒唐無稽な話だったが、そうとしか説明がつかなかった。

 ただ、捜査をしていくうちにひとりの重要参考人が浮上した。その男は、何かしら事情を知りうるかもしれないと、重要参考人として任意同行を求めるというのだ。


『着くぞ』

『はい』


 捜査官は窓の外、メルは入り口、と完全に包囲している。捜査官は任意同行なんてする気はさらさらなかった。捜査官の頭にあったことは、もちろん、強制的に取り押さえることである。


『俺が先に行く。メルは五秒後突入し、犯人がお前んとこに逃走したところを捕まえろ』

 スリートゥワン――捜査官のカウントが聞こえ、ピュン、と銃声がした。


 メルも五秒数え、ドアに向かって銃の引き金を引いた。ピュン、と音がして、狙いをつけた空間にマイクロブラックホールを発生させた。まるで空間が食いちぎられたように丸くぽっかりとくり抜かれたドアの一部は、ガタ、と親指ほどの球体となって床に落ちた。


 奥の部屋からピュン、ピュン、と連続で銃の音が聞こえた。銃撃戦が始まっている。メルは部屋に入り込んで壁に背をつけ、奥に続く廊下を覗きこむ。薄暗い廊下の向こうから、依然として銃の音が連続で聞こえていた。


『先輩、状況を教えてください』


 反応がない。

 メルは廊下の先まで走り抜ける。そして、部屋の中へ突入した。


 え……。


 唖然とするしかなかった。

 そこは真っ白い部屋だった。

 捜査官以外だれもおらず、捜査官は何処とも言えない場所に銃を撃っていたのだ。


「火竜の蹄は多士済済たしせいせい」ピュン!「あの空から猜疑さいぎが降る」ピュン!


 捜査官は涎を垂らして、目はうつろ。意味のわからない言葉を次々と口にして、銃を乱射している。

『先輩!』

 メルが言葉を念じるが、返事はない。

 捜査官は自分の口で言葉を発していた。いや、言葉と呼べない意味を失った音を口にしていた。

 捜査官が発砲をし、部屋の壁に穴が開いていく。こと、こと、とその度、圧縮された壁の一部が床に転がっていく。

 捜査官の銃口がメルに向いた。メルは目を見開いた刹那、捜査官は躊躇なく引き金を引いた。とっさにメルは倒れ込んで回避する。


「先輩!」メルは電脳による会話を諦め、自分の声を発する。


 しかし捜査官に声は届いていない。依然として銃を乱射し続ける。

 メルは捜査官の足をかけた。捜査官は受け身をとらず倒れ、顔を打ちつけた。銃を手から放し、鼻から流血した。そして、虫のように手足をばたつかせている。

「先輩」メルの目頭が熱くなった、その時だった。『……メル』捜査官の声が脳裏に響いた。

『先輩!』

 メルが思念すると、砂嵐の中のような声が聞こえてきた。

『……ロ……』

『先輩!』

『……ロセ』

『先輩?』

『コロセ』


 殺せという言葉にメルは血の気が引く。捜査官の言葉は続く。

 自分は仮想の犯人を追いかけていたこと。全人ネットワークを今すぐ遮断しろということと今回の犯人、犯罪の全貌、それら全てを説明して、最後に、殺せと命じた。


『できません』メルは泣きじゃくる。

『このマまだト俺は……人ヲ殺す……頼む』

 ――殺してくれ。それが捜査官の最後の言葉だった。


「うぁああああああああああ!」


 メルは叫び、そして床をのたうちまわる捜査官に向かって、引き金を引いた。


 ありがとう。そう捜査官の口が動いて、ニカッと笑った気がした。


 メルは銃を落とし、泣きじゃくる。捜査官だった、親指大の球体を抱え、大事そうに胸に抱えた。はじめてバディを組んだ日のこと。犯人を取り逃がしてひどく叱られたこと。初めてお酒を飲ませてもらったこと。捜査官の笑顔とともに思い出が湧いてくる。


「この世界でも、助けられなかった」


 メルは胸の前で手を組み、祈るように歌った。蚊の鳴くような声で、頼りない声だった。



 ――いつか、きみを救い出せますように。



 メルの脳裏には捜査官の笑顔がこびりついている。

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