第11話 来訪者

 授業が終わり、帰り支度をしているチハルに、同級生が声をかけてきた。

「ねえねえ。チハルに会いたいっていう子が居るんだけど」

「え?」

 チハルは、眉をひそめて、何ごととか訝った。横でそれを聞いていたミキが、言う。

「あ、告白? 告白? チハルも、とうとう彼氏持ちかー」

「ちょ、やめてよ」

 慌てるチハルに、その同級生は、少し気まずそうに言った。

「彼氏にするには、ちょっと、若いかな」

 チハルは、その子が待っているという、校門へと急いだ。

 既に、校門は視界の中に有るが、それらしい人は誰も居なかった。

 校門に着いたものの、誰の姿も無い。チハルは、外を確かめるため、校門からわずかに身を乗り出し、左右を見た。

 おかしいな。誰も居ない、と思っていたところで、声をかけられた。

「チハルさん、ですか?」

 チハルが下を見ると、校門の外側の縁に、小さな男の子が立っていた。

 あれ、この子、誰だろう。どこかで、見たことがあるような。少し不思議な感覚を覚えながら、チハルは答えた。

「はい。そうですけど。ボクは?」

「僕、上村タカシです」

 チハルの知らない名前だった。

「タカシ君? どこかで、会ったこと有ったっけ?」

 タカシは、ぶんぶんと頭を振った。

「いいえ」

 チハルは、益々分からなくなった。

 会ったことは無い。でも、私はこの子を知っている気がする。

「私に、何か用なのかな?」

 タカシは、一度、視線を落としから、覚悟を決めたように、チハルの目を見上げて、言った。

「チハルさんが、僕の、お母さんと話してたって聞いて……」

「お母さん?」

「すぐそこの、交差点で……」

「ああ……」

 一体、何の話かと思ったチハルだったが、すぐに状況が飲み込めた。

 この子は、交差点で亡くなった、あの女性の息子なんだ。間違い無い。あの女性の、心象風景の中で、見たことが有ったんだ。ひとつの疑問が解決したチハルは、続けて、もうひとつの疑問を口にする。

「どうやって、私のことを探したの?」

「あの、友達とかに聞いて」

 タカシが、チハルを探し出すのは、思っていたよりも簡単だった。タカシの同級生の何人かが、チハルと同じ高校に通う生徒の弟妹だったのだ。

 チハルは、先日の件で、高校内ではすっかり有名になってしまっていたので、この高校の生徒にさえ繋がってしまえば、チハルへは、すぐに辿り着けた。

「んーと、タカシ君は、その話、信じてるの?」

 タカシの眼に、自信なげな色が浮かぶ。

「分かんない。分かんないけど、僕、お母さんに、もう一度会いたい。幽霊でも良いから……」

 チハルは、悩んだ。

 死んでしまった者に、もう一度、会いたい。親しい人を亡くした人であれば、誰もが皆、そう思うだろう。それが、亡くした直後であれば尚更だ。

 でも、私は、本物の母親の霊を、この子に会わせてあげることはできない。会わせられるとしたら、それは、母親の姿をしたヒデオだ。そんなものに会わせて、大丈夫なのか。そのようなペテンで、この子を騙すことが、果たして人道的に許されるのか。会わせた後で、偽物であることがバレた場合、タカシが受けるショックは、計り知れない。

 しかし、あの母親は、きっとこの子に関する何かで、未練を残してる。それを解消させるためには、あの母親の目の前で、この子に何かをしなければいけない可能性が高い。そうなると、結局のところ、タカシとヒデオを、会わせるしかないのかも知れない。母親の姿をさせるかどうかは別にして。

 熟考するチハルを、タカシは不安げに見つめていた。

 ふと、その視線に気付き、我に返ったチハルは言う。

「どうして、お母さんに会いたいの?」

 これが愚問であることは、チハルも承知の上だった。タカシが答えるより先に、これを問うた理由を続ける。

「もう一度会ったとしても、すぐに、またお別れしなきゃいけないんだよ? もう、ずっと一緒には居られないんだよ?」

 目に涙を溜めたまま、タカシが答える。

「分かってる。お母さんが、死んじゃったことは、僕にも分かってる。ただ、ただ……ごめんなさいって言いたい。ちゃんと……お母さんに、謝りたい」

 チハルは、かすかに首を捻った。

「謝りたいって、何を?」

「お母さんは、僕がやりたいって言った、ゲームを買いに行く途中で、事故に遭ったんだ。僕の……せいで」

 ああ、そういうことか。チハルの頭の中で、あの時に見た映像の、意味が分かった気がした。

「それは、タカシ君のせいじゃないよ。そんなことで、お母さんは怒ってないよ」

「でも……でも……」

 正直なところ、それほど大した理由ではない、とチハルは思った。

 親しい人が急に亡くなると、遺された者は、大なり小なり後悔を感じるものだからだ。相手が生きている内に、言いたかったこと、してあげたかったこと、それらが次々と浮かんできて、後悔の念へと転じる。それが普通なのだ。そして、それを死者に伝えることができないこともまた、普通のことなのだ。

 そんな理由にために、わざわざ危険を犯してまで、タカシを母親に会わせる必要は無い。しかし、母親の霊を成仏させるためには、やはり、母親と会わせるのが、一番確実かも知れない。そう判断したチハルは、言った。

「分かった」

「え?」

「約束はできないけど、タカシ君の望みが叶えられるように頑張ってみるよ。少し、時間をちょうだい」

「本当!?」

「うん。あ、念の為、お母さんの写真とか動画とか有ったら、くれない?」


 スマートフォンで、タカシと、いくつかのやりとりをした後、一人、帰路についたチハルは、非常に悩んでいた。

 ああは言ったものの、一体、どうしたものか。とりあえず、ヒデオの協力が、必要不可欠だ。まあ、あいつは、自分に憑いた霊を消すためだから、嫌でも協力するだろうけど、果たして、どこまで演技ができるか。

 あ、ひとつ、用意しておいたほうが良いものがある。チハルは、途中で方向を変え、繁華街にある、おもちゃ屋へと向かった。


 翌日、チハルは、ヒデオを呼び出した。その際に、チハルと同年代の、女の子の姿をして来るように、と指示を出しておいた。ミキの彼氏と密談しているところも、幽霊と密談しているところも、誰にも見られたくなかったからである。また、どんな噂を立てられるか、分からない。

 ヒデオが来たことはすぐに分かった。後ろに、タカシの母親――の霊を連れているからだ。相変わらず、とても悲しそうな目をしている。

 繁華街の喫茶店に入り、二人は作戦会議をした。


 数日後、タカシは、学校帰りに、ランドセルを背負ったまま、公園へと急いでいた。チハルから、公園に行くよう連絡が有ったからだ。

 息を弾ませながら、細い小路を駆け抜ける。

 お母さんに、会えるのかな。期待と不安と、酸素不足とで、タカシの心臓は早鐘を打つようだった。

 タカシの右側にそびえていた塀が途切れ、公園の内部が見える。公園内には、人が一人だけ居るように見える。

 入り口から公園内に入った、タカシの目の前に居たのは、チハル一人だった。

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