挿話

兄様あにさま

 東のアザナの上で、蒼志は聞き慣れた女の声を聴いて、ぐるりと首を回した。

 深紅の胴衣どうじんに、薄紅の綿衣わたんす、首里で支給される女官服を身に着けた女だ。

 蒼志の妹。主に首里城内の情報源。

「よぉ。相変わらず美人だな」

 身嗜みを整えた妹は、とても美しい。自分と一緒に大地に転げ回っていた面影など、欠片も見えない。

「佐敷王子は、翁寄松の元を訪ねました」

「へぇ?」

「夜が明けきらぬうちに伺って、今はお昼までお休みしておりますけれど」

「話の内容まで掴んだか?」

 紅をひいた唇が弧を描く。

「喜安と菊隠という2人を、兄様はご存じ?」

 聞いて、蒼志は笑う。

「菊隠は円覚寺の僧侶だ。確か、十年以上前に大和に渡って最近帰ってきているんじゃなかったか」

「喜安は?」

「王の侍従だろう」

「さすがです」

 妹の針突ハジチがなされていない、清手さらてぃーが口元を覆って、上品に笑った。

 そうして、彼女は夜から朝方までの出来事を語る。

 それを聞いて、蒼志は天を仰いだ。

「普段大人しい人間が怒ると怖いな」

 だが、そういう人物だからこそ、蒼志は彼を約定の相手だと定めた。

「明日の朝から、おそらく朝議が始まる。そこは、翁寄松排斥の場になるでしょう」

 翁寄松はもはや、それを甘んじて受け入れるつもりだ。

 戦うつもりはない。

「それを、王は止めない。そして、朝昌様も止めますまい」

 翁寄松を留めるつもりは、尚豊にはない。今日の会談でそれを確実な思いにしている。

 さて、と蒼志は低く笑う。

「謝名利山と尚豊の目指すものは違いすぎる」

「その前に、謝名利山は本当に琉球は大和に勝てると考えておいでか?」

「わからんが、たぶんないだろう。ヤツは勝ち目がなくとも徹底抗戦をしたいのだろうさ」

 名誉のために死ぬ。大義名分のために死ぬ。誇りのために死ぬ。大和に膝を折り臣従することを良しとしない。

 それは決して間違った思いではない。

「国のために死ねと言うか、国のために生きろと言うか。政に携わる者としてどちらが間違いというわけではないよ」

 実際徹底抗戦をしたとて、薩摩は琉球を滅ぼすつもりはないだろう。彼らの狙いは琉球を介しての明との交易。

「朝昌様は、戦を長引かせたくないとお考えです」

「謝名もそうだろう。ただ手段が違うだけさ。戦って苦戦させて、そして交渉を行うか。それとも最初から降伏して交渉を行うか。どちらが良いかなど俺にもわからん」

 だが、蒼志は尚豊を支える。

「戦禍は民にこそ皺を寄せる。謝名の方策にしろ、尚豊の考えにしろ、結果は同じだ。明と大和への二重臣従は避けられない。ならば、なるべく民に被害がない方が良いに決まっている。戦禍は土地と人を疲弊させる。その後の苦が目に見えていれば、尚更な」

 疲弊した民と土地の上に乗る二重臣従。もしくは現在と変わらない土地と、疲弊した民の上に乗るそれ。いずれがマシか。

「謝名利山は政治家か学者ではあるが、為政者ではないのさ。そういう意味で、俺は愚かだと思うがな」

 親方とは、間切りの為政者だ。だが、彼は政治家でしかない。

 明への留学や親方の身分を得ている以上、彼は馬鹿ではない。だが、国を預かる為政者ではない。

「為政者は確かに容易く膝を折るべきではない。だが、いざという時は額を地に着ける必要がある。少なくとも、尚豊はそれを知っているだろう」

 誇りは、場合によって捨てるものだと、恐らく彼は知っている。

 だからこそ、蒼志は尚豊を支えるのだ。

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