星を希う

 程なく、尚豊は王の私室へ招かれる。

 夜は更けていたが、尚寧王はまだ部屋着に着替えてはいるが、夜着ではなかった。

 卓の前に座り、彼はゆったりと軽口を叩いた。

「息子殿、尚宏をあまりいじめないでくれ」

 3人が座したのを見計らって側付きの男が各々の前に杯を置かれる。だが、尚豊は首を振って断った。

「酒は飲めません。酒を飲みながらする話でもないかと」

 冷静さが戻りきっていない彼は、珍しく切り込む。そんな様子に、尚寧は目を瞠った。

 そして、笑う。困ったように。

 兄のその様を見て、尚宏は軽く肩を竦めた。

「力強いね」

 尚寧は言った。それを、尚豊は「青臭い」と受け取った。

「子供と侮るなら、どうぞその通りに。実際私は、父の庇護なしに政を行なったことはありません」

 事実は事実だ。それに対して怒りは覚えない。

 だが、尚寧はゆったりと首を振る。そのまま側仕えを見遣ると、側仕えは音もなく下がっていった。

 改めて尚豊に向き直ると。

「すまない、そう言う意味合いで言ったつもりはなかった」

「お気になさらず。王がどのように思われようと、話に影響はないはずです」

 そう言う尚豊を眩しそうに目を細めた尚寧は、ついで深く息を吐いて卓に凭れるように肘をつく。

「それで、本題に移ろうか」

 軟らかい。当初の印象のまま、彼は言う。

「…私と弟の命を預けろ、と」

「その前に、王は今の状況をどう収めるおつもりか」

 国の進むべき道を示すのは、王の仕事だ。王家の者とは言え、王世子は臣下に過ぎない。

「私の考えはあります。それでも、王の認可は必要です。その上でお伺いしたい。貴方はこの国をどうなさるおつもりか」

 彼にも言い分はあるだろう。尚宏が思うように尚久が逃げた所為で、と考えることも当然だ。

 面倒を押し付けられたと考えるのも仕方ない。実際尚豊とて、王世子の要請に素直に応じることはできなかった。

 それでも。

 それでも、ここに座ると決めたのだ。

「…大金武王子は、良き嫡男に恵まれたね。正直羨ましいよ」

「質問の答えになっていません」

「いや、少し昔話をしようか」

 小さく笑う。その合間に、側仕えは酒の代わりの茶を卓に置いていく。

 3人の前にそれぞれ配すると、やはり音もなく消えていった。

 それを見送って、尚寧は口を開き。

「私はね、別に王になることに、抵抗はなかったんだ」

 弟とは違ってね、彼は笑う。

「元々私の曽祖父は政争に破れて廃嫡された者で、ある意味王になるのは悲願…とまでは言わないけれど、夢見ていた、が正しいかな。まぁそんなものだったんだよ。そう言うこともあって、あまり抵抗はなかったんだよ」

 ただ、だからこそ深く考えてはいなかった。

 目の前の茶に映る自分を見て、尚寧はやけに静かに告げる。

 尚豊はただ、彼を見返した。

「王位に就いたのは、私は君よりもっと年嵩だったけれど、尚宏は今の君より幼い。王位、摂政に就いて最初に直面したよ、間切の領政では国は回せない」

 2人がそれぞれ今の地位に就いたのはそれぞれ25歳と11歳の時だ。若い王と摂政では、前王が残した問題に対応するには力が足りなかった。

 辿り着きたい先はあるのに、そこに到達するには難問があり過ぎて、そしていつしか倦いた。

 いつしか全てを三司官にまかせ、自身の思考を止めた。今まではそれでなんとかなっていたのだ。

 それは、周辺の大国が内政で手一杯だったからに他ならない。明は今も内政に苦心していると聞こえてくる。その上国境を接する隣国との戦も頻繁に起こっているとも。

 その点大和は数年前までは内乱が頻発していたが、それが治ってしまったと、これは蒼志の言であるが。

「私は、三司官のしたいようにすれば良いと思っている。それで国が滅ぶなら、それで良いのではないかと」

「…随分と無責任なことを仰る」

 怒気が声に滲んだ。

「どのような経緯であれ、その地位を望んだのであれば伴う責任がある。それを、放棄されるか」

「放棄したかったよ。でも、受け取る先がなかった」

 君が、受けてくれるかい?

 言外に問われた。それに、尚豊は今日だけで二度目の痺れを感じた。

 脳が、痺れる。

「受けると言えば、その命をいただきますが、よろしいですか」

 真っ直ぐに見据えた。真っ直ぐに、尚寧、そして尚宏を。

 彼らの半分程度しか生きていない、そんな若造が。

「望む、望まざるに関わらずその地位に就いたのであれば、負う責任があります。貴方はその責任を放棄する、その対価として命を預かります」

「…簡単に担保にされては困るけれど」

「当たり前です。王家の首は、この国の民の命と同等の価値がある。だからこそ、預けろと申し上げている」

 勿論、この2人の前にあるのは己の首だ。

 尚豊自身の命が真っ先に差し出されるものだ。その覚悟をしている。

「君は、そこまで覚悟してきているの?」

「当たり前です。だからこそ、金武王子も私も王世子の招請にいつまでも応じなかったのです」

 命が惜しかったのだ。死にたくなかったのだ。

 だからこそ、覚悟を決める必要があった。そして、覚悟を決めてここにきた。

 真っ直ぐに見据える、その視線。

 眩しそうに目を眇めて、尚寧は。

「いいよ、対大和に関しては全権を王世子に委ねる。一応、どうするつもりか教えてもらっても良いかな」

「勿論です。都度、報告をあげます」

 言質をそのままみことのりとして残してもらう事を確約して、尚豊はその場を辞した。

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