最後のプロバティオ或いは「真実」

ルロイは、気絶しそうな痛みを堪えながらペンと証書を取り出し左腕から流れる血液をインク代わりにペンを証書に走らせる。

 

「真実を司りし神ウェルスの名のもとに問う。汝は、我ルロイ・フェヘールなりや?」


 永遠とも思える静寂と沈黙の後、エルヴィンの顔面からあの時の仄暗ほのぐらい顔がにじり寄るかのようにこぼれ出てくる。十年ぶりの諸悪の根源との再会。顔はルロイ・フェヘールそのものの暗い愉悦ゆえつに歪んだ笑みを浮かべていた。

「そうだ」

 プロバティオによりウェルス証書は白く輝いた。ついに、よこしまな霊がそれまで仮初かりそめに取りいていたエルヴィンの体から離れてゆく。エルヴィンの体、は糸の切れた操り人形のように力なく地面へと崩れ落ちる。

壺の悪霊は、代わりにルロイの体にすり寄ってゆく。その顔は懐かし気にクツクツと笑みを浮かべている。

「やあ、ようやく僕は、本来の僕自身に会えた訳だ」

「お前は僕だ。そして、僕こそはエルヴィンにとって背信的な悪意者なんだ!」

迷いのないルロイの言葉に、もう一人のルロイはあざけるように笑う。

「真の自由とは善悪も真偽も罪も罰もあらゆるものを踏み越えることにある。君はあの時踏み越え損ねたよね。だが、外の世界での十年を経て新たに力を得た。僕が取りき殺すのは惜しい。だから、今度こそ、失敗するな!」

 顔どころか、声色まですっかりルロイ・フェヘールの生き写しとなったソレがルロイを優しく、十年前の若かりし熱意を、野心を、自尊心を、叩き起こすように説得する。

「どうした、今まで苦悩の連続だったろう?僕は君の苦しみが分かる。ずっと、自分よりも強く美しく、天才であり恵まれ続けたエルヴィンが憎かった。それを持たざる者である自分に絶望していた。だが、今度こそ君の望みが叶う。君が僕を受け入れれば」

「今度こそ……?」

「そう、今度こそ!」

 今度こそ、か。その言葉にルロイ自身運命を感じる。十年前の亡霊は未来の自分の姿を見て、確信めいた笑み浮かべ力強く頷く。

 十年前のあの時に意識がさかのぼって行く。今の『魔法公証人』としての自分の原点はそこにある。今の自分はその結果であり、目の前のこいつ同様成れの果てだ。なら、どう決着をつけるか?ルロイの答えは決まっていた。

「そうか、ならば今こそ……消え失せろおおお!」

最後の力を振り絞った渾身こんしんの一撃。ルロイは、十年前の自分にチンクエデアを突き立てる。

「————っ、馬鹿な!」

 ルロイの若かりし顔が短い断末魔だんまつまに顔を歪ませ、僅かな痙攣けいれんののち悪霊は石膏せっこうの様に固まった。やがて、それは白い結晶となってはかなくもボロボロと宙に崩れ舞い、そのもろい破片のひとつひとつがダンジョンの虚空高く天へと引き寄せられていった。

 古い自分は、これで死んだ。

はかなく愚かな野心であった。だが、少なくとも冥福くらいを祈るべきかもしれない。なんであれ、自分が生み出した存在への責任はあるはずだから。




 少しの間、心の蔵の辺りに手を当てルロイは無心で深く目をつむり、沈黙していた。もう一人の自分の冥福を祈るためか、過去の自分の心のやましさを深く心にとどめようしたためか、自分でも分かりかねる。ただただ、そうしていたかった。

 何もかもが静かに死んでいるような静寂が永遠に続くようだった。


《正解だ。魔法公証人ルロイ・フェヘールよ》


 また、あの時の声がした。それも、今度はもっとはっきりと鮮明な声で。 

ルロイの血にまみれたウェルス証書が、一層熱を持って白く輝く。こんなことは、初めてだった。だが、それゆえに今この時にこの声が聞こえることにルロイはなにか宿命めいたものを感じ取っていた。


「あなたはもしや?」


《汝に真実を示す力を授けた存在だ。その力、人間は公証などと呼んでいるがな》


「まさか、ウェルス神!何故……」


左様さよう。ルロイ・フェヘールよ。まずは我の一部だったあの壺を倒してくれた礼を言っておく。ありがとう》


「では、あの忌々しい壺を創ったのは貴方だったのですか?」


《我は真実を司る者、遠い昔に心願の壺を創り人間たちが真に望むものを与えようと思ったまでの事》


「それが、あんなことになると……神である貴方に分からなかったというんですか?」


《壺は必ずしも邪悪な存在ではなく、相手の真なる願いを聞き届ける存在。心願の壺そのものに誰かを害する自我も知性はない。故に、正邪の別などあろうはずもなし。それは心願の壺を創った私にも正邪がないのと同じこと》


「それは、そうですが……」


《だからこそ、十年前にお前が心願の壺に願いを掛けた時、壺の中の存在はもう一人のお前になった。奴を……悪霊を生み出した因果は汝にある。あの時、汝は心願の壺へ己が魂を注いだのだ。魂はその本来の持ち主にしかどうすることもできん。故に、汝にしか倒せん。ということだ》


「そんな……」


《汝の悪意を吸い取った奴は時空の歪みの中心となってしまった。このまま奴を放置しておればレッジョは滅びる。そうなれば、我の神殿は破壊され信徒も殺戮さつりくされよう。信じる者がただの一人も居なくなれば神もまた死ぬのだ》


「つまりエルヴィンに取り憑いている悪霊を倒せるのは僕しか居ない。その上、このままでは神たる貴方も消えてしまうので、フィオーレ猊下を通して信託により僕を魔法公証人にして、鍛え上げた。全てはあの悪霊を倒して貰おうとしたのがそもそもの発端。だと……?」


《汝が公証して真実を追い求めるほどに、我も強くなる。まぁ、信仰心が我そのものの力となる。こうして我がようやく汝に語り掛けることができるのも、ここが時空のはざまであるが故。我にできるのは汝を加護し手助けすることのみ。汝が何もせねば、我もまた存在せぬに等しい》


「それが、僕がこの十年間『魔法公証人』として生きた責務の真実だと?」


《お主がつかみ取った真実だ》


「だとしたら……真実は、思ったよりも散文的ですね」


《まぁ、そう思うもよかろう。改めて礼を言わせてもらう。ありがとう》


「私も、あなた様に感謝しますよ。友を救い、罪を償う機会を授けてくれて、本当にありがとうございます」


《うむ……きっと、汝は大切な友とレッジョへ戻れる》


 声はルロイの耳元から消え入り、そして二度と聞こえなくなっていった。再び静寂の空間に戻されて、まるで、さっきの声は幻聴ではないかと疑ってしまう。

 ルロイは、ため息と同時に地面に膝をついて脱力する。とにかく、これで全て、自分の過去と因縁の決着はついた。

後は————

「エルヴィン!」

 ルロイは、横たわる友の元へ駆け寄る。十年前、不敵で豪放な笑みを浮かべていた精悍せいかんな顔立ちは、死んだように生気なく固まったままだった。先ほどまで悪霊が乗り移り動き回っていた体もまた、その支配から解放されたためか彫刻のように強張こわばり硬直していた。

 ————手遅れだった。

「そんな……」

「ロイ、コノヤロオォ!」

「どわっ!!」

 再び絶望に沈みかけたルロイの横顔に、往年の鉄拳制裁が炸裂さくれつする。

「バッカオメェ、戻ってくんの遅ぇんだよ!」

 痛みに頬を抑えつつ、今度は懐かしい馬鹿声がルロイの鼓膜を遠慮なく叩く。

 目の前には、血の気が戻った十年前の、そして確かに同じ日に冒険者となった幼馴染のエルヴィン・カウフマンが憮然ぶぜんとして仁王立におうだちでルロイの顔をのぞいているのだった。

「エルヴィン?まさか、生きてたのかい?」

「ったりめぇだボケ!俺がそう簡単にくたばるかっての。あいつに体乗っ取られた後も、辛うじて意識はあったんだぜ。つーか、さっきのやり取りも無駄に長ぇんだよぉお!ずっと、じっとしてたから腰が痛ぇ……」

 未だ目の前の光景を信じられず、哀れっぽく腑抜けたセリフを吐くルロイに対しエルヴィンも毒気を抜かれたか、ぼやくようにこれまでの経緯を手短に説明する。

「じゃあ、本当に本当なんだな!」

「だから、そうだって言ってんだろーがぁ」

 感極まって上ずった声で問い掛けるルロイを前に、エルヴィンも少し気まずく頭をきむしり恥ずかし気にうなずく。


「エルヴィン。本当に済まなかった、全て僕のせいだ……」


 やっと、この言葉が言えた。

 もう叶わないと諦めかけていたが、ようやく今叶った。

 ルロイは、深くエルヴィンへ頭を垂れる。

長年抑え込んできた涙が、顔を伝って地面に落ちる。もはや、許されるか許されまいかそれは関係がない。今までのごうを断ち切るために自分は今ここにいる。


「————ったくよ。今まで長かったな、ロイ……」

「ああ、長かった」

 エルヴィンは大きくため息を吐くと、ルロイから視線をそらしどこか遠くを見つめように呟いた。独り言のようでいて、共にこれまでの何かを懐かしむような響きが、エルヴィンの言葉にはあった。ルロイは、『長かった』というエルヴィンの言葉を深く詮索せんさくするでもなしに深くうなずき肯定していた。

 エルヴィンもまた、長きにわたってルロイの呼び出したあの悪霊に囚われていた。この時空の時間の流れが、レッジョのある世界とどれほどの開きがあるのか、ルロイには分からない。が、エルヴィンもまた悪霊に自我を乗っ取られないための孤独な闘いを今まで続けてきたはずなのだ。そのエルヴィンが、今は屈託なく澄み切った笑顔で温かく語りかける。

「戻ろうぜ、レッジョへ」

「ああ、そうだなエルヴィン」

 ようやく日常へと戻れる。その安堵あんどを噛み締めてルロイとエルヴィンの二人は、それぞれの一歩を踏み出す。




 意識が戻ってまだ時間が立たないためか、エルヴィンは足取りがふらつくのをルロイに肩を預け歩んでいる。

「へっ、済まねぇな……ゴフッ」

 やはり、無理をしていたのかエルヴィンは急にせき込むと吐血して膝を地面に付きかけた。しかし、最後の意地のつもりか地面に膝を屈することなく大剣を杖代わりに立ち上がる。

「エルヴィン!」

「まずい、そろそろガタが来ちまったかな……」

 自嘲的なエルヴィンの言葉に、激励の言葉を掛ける間もなく今度はダンジョンの虚空が震え始める。それが何を意味するのか、二人は知っている。

「まずい、『異界の扉』の時空の歪みが収縮に向かっている。ダンジョンが崩れる」

「ガタがきてんのはここもかよ。ちっ、逃げるぜロイ」

 『異界の扉』の収縮が始まれば、扉そのものが締まりレッジョへ帰還する手段は失われる。その収縮の速度が予想よりもはるかに早い。心願の壺の悪霊を倒したせいか、力場の歪みが一気に消え広がり過ぎた磁場の歪みが元に戻ろうとする勢いが早まったと見るべきなのだろう。このままでは到底出口まで間に合いそうにない。

「弱いとはいえ、キリがねえ」

「くそっ、ここまで来て」

 ルロイとエルヴィンは、背中合わせに得物えものを構えにじり寄ってくモンスターの群れをにらみつける。

 「異界の扉」内部の力場が収縮に動き始めたせいか、ダンジョン内のモンスターの活動も再び活発になっていった。気が付けば、二人とも増え続けるモンスターの数に圧倒され包囲されてしまっている。ルロイもエルヴィンも疲弊した体を鞭打って襲い来る敵を一体ずつ確実に倒しているものの。もはや、逃げるどころではない。できれば、レッジョに戻ってベッドの上で往生したかった。そんな、やけに老け込んだ諦観ていかんがルロイの脳裏によぎった。


「キュイイイイ————」


 聞きなれた飛竜の鳴き声が天の祝福のように頭上に響く。

直後、巨大な青の巨体がモンスターの群れの中心を勢いよく押しつぶし着陸する。

「フレッチにリーゼさん、ディエゴ!」

「やあ、猟奇的に助けに来たよ」

「どうやら、決着はついたみたいだニャ。それも、オミャあの勝ちで」

 フレッチャーの籠の上で、リーゼとディエゴがルロイとエルヴィンの顔を相互に見比べ意味深に笑みを浮かべる。

「二人とも、戻ってきたんですか?」

「世話の焼ける奴を途中で見捨てちゃ、腐れ縁が廃るニャ」

 周囲のモンスターの群れに怖気づきながら、やけに偉そうに胸を張るディエゴを尻目に、リーゼはフェニックスが収まっていた鞄を抱え蠱惑的こわくてきにウィンクする。鞄は得体のしれない何かでパンパンに膨れていた。どうやら、リーゼはリーゼで当初の目的は果たしたようだった。

「フフ、早く乗りなよ。早くしないと戻れそうにない」

「その前に、まずはこいつらを片付けてくれだニャ」

 フレッチャーの登場で一瞬ひるんでいたモンスターの群れも、再び気勢を取り戻しルロイたちへ襲い掛かる形相であった。

「へっ、ロイ。最後の大暴れと行くかぁ」

「また、君と共に戦えるとは。嬉しい限りですよ」

 チンクエデアとツヴァイハンダー、両者共に勝手知ったる得物えものを構え躊躇ためらいなくモンスターの群れへと突貫する。

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