エピローグ 殺人鬼の行方……

 〇月×日

 この日、冒険者たちによる暴動がこのレッジョ市を襲った。

 暴動の原因はダンジョン税、アイテム税の税率の高さとみられている。

 死者は冒険者、憲兵を含め十五名。重軽傷者は三十名前後。

 これに加えて、市庁舎が何者かに放火されたものの市の職員や官吏の死者は幸いにして出ておらず、略奪されたものもどういう訳か皆無であった。

 そんな中、暴徒たちから市民を守るため、憲兵隊の陣頭指揮を執っていた治安維持局局長フランチェスコ・ディ・ガリアーノ局長の殉職は市民たちの間でも哀悼あいとうの意をもって迎えられた。

 ガリアーノは護衛の者数人と裏路地の一角にて、悪名高き黒手の殺人鬼マーノネッロと思われる者と交戦し部下ともども殉職。

 マーノネッロが関与した多くの事件と同じように現場には、ガリアーノを含めた護衛の死体が四体。どれも例外なく胸や腹を手刀で貫かれ血が引き抜かれ、証拠らしいものは残っていなかった。

 この犠牲にも関わらず、マーノネッロは依然捕まっていない。

 が、マーノによって扇動されたとみられる一連の暴動はひとまず鎮圧され、レッジョは再び平穏と安寧を取り戻している。

 レッジョ市参事会は、暴動鎮圧の指揮におけるその辣腕ぶりをもってフランチェスコ・ディ・ガリアーノを英雄として丁重に弔うと公表。

 何はともあれ、私は一市民としてこの平和が続くことを何よりも望むものである。




『レッジョ年代記』作 名もなきレッジョの記録係 より




 レッジョ市庁舎襲撃事件から更に一週間後――――

「色々、事情が変わったそうですね」

「はい、また許認可の申請に来たんで。よろしいですかね?」

「ええ、許認可申請の受付なら喜んで引き受けますよ」

 サンチェスは再び兄弟団設立申請のためルロイの事務所を訪ねていた。

 あれから、レッジョはどうにか元の平穏を取り戻していた。ガリアーノ局長の死は公示鳥によって大々的に市民に知らされ、参事会の主導のもと国葬も終わりようやくいつも通りの日常が戻ってきたのである。

 レッジョ界隈を騒がせたマーノネッロも、いまは息を忍ばせているのか今はまったくその名を聞かない。

「それにしても、ここ最近レッジョでは本当に色々ありましたね」

 サンチェスの持参した必要書類を確認し、執務机でサインをしながらルロイがぼやく。

「ええ、まったくです。しかしまぁ、きっと悪いことばかりじゃありませんぜ」

 サンチェスが浅黒く日焼けした顔を綻ばせ素朴な笑みを浮かべる。

「こんなことを言うのは不躾ぶしつけかもしれませんが……」

「何です?」

「貧しき者を助けるため尽くすあなたの姿はとても素晴らしい。本当に頭が下がりますよ」

「よして下せぇ、若旦那。あっしはこんなことしかできねぇ不器用なだけで……」

「どんなことであっても、サンチェスさんは苦にはなさらないんですね?」

「ええ……」

 少しばかり神妙な面持ちになってサンチェスは答える。

「全ては子供たちのために?」

 その言葉の念を押すようにルロイはサンチェスの灰色の双眸そうぼうを見据えていた。

「もちろんでさぁ。そのためにあっしという人間がいるんで」

 サンチェスはルロイの言葉をいぶかりながらも、胸を張って生来の素朴な力強い笑顔をみせたのだった。そのサンチェスの言葉を確認して、ルロイも安心したように最後の決断を自らの良心にかけて下すのだった。

「サンチェスさん。実は私から、忘れ物をお返しせねばなりません」

「さて、ここに何か忘れましたかね?」

 ルロイは徐に執務机の引き出しを開けてそれを取り出す。机の上に奇怪な渇いた血の色のような黒い手袋がそっと置かれた。

「あなたのもので間違いありませんよね?」

「どこまで……知っている?」

 サンチェスの表情から一切の表情と、血の気が引いて行った。

「中身を改めさせて頂きました」

 ルロイは黒い手袋の中身を開き、内部に魔法陣が刻まれていることを指で示してみせた。そして徐に今度はサンチェスの手の甲を指さした。

「初めは手の甲のそれ、火傷の跡だと思っていましたよ。でも、違った。特殊な技法が施された魔法陣。違いますか?」

 サンチェスは観念したように手の甲をルロイに見せる。

 手の甲には手袋内部に刻まれたものと寸分違わぬ同じ文様の魔法陣が痣の様に盛り上がっていた。

「少し変わった形の火傷跡でさぁ……昔、無茶をしたときの古傷なもので……」

「冷静に考えてみて分かりましたよ。ディエゴの証言から孤児院の襲撃事件の時、本来子供たちの保護者であるはずのあなたは、あの場所にはいなかった。その時、あなたはファビオ・ソアレスの殺害のためメリノ河南岸にいた……それは、これを取り戻すためですよね?」

 ルロイは、机から更にサンドラの墓標に掛かっていたペンダントをサンチェスの眼前に差し出す。

「マーノネッロがただの殺人鬼でないと、教えてくれた人物から借りてきたものですよ」

「突飛なことを言いなさる……あっしなんかがマーノネッロとは」

 静かなしかしドスの効いた声色だった。

「では、一週間前の暴動と市庁舎襲撃事件の折あなたはどこに居ましたか?」

「金策に駆けずり回っておりましたよ。乞食仲間に……」

「ええ、半分当たってますね。ただし、その金策とは本当は孤児院に貯め込まれた財産を奪い返しに市庁舎へ向かうための準備ではありませんか?」

「孤児院を襲ったのはマーノネッロだ!」

「いいや、おそらく孤児院を襲ったのはガリアーノの手の者でしょう」

 静かに、しかし確信をもってルロイは言い切る。サンチェスはどう反応していいのやら冷笑を浮かべようとして口元を引きつらせていた。

「第一おかしいと思いませんか、公示鳥の伝える話では市庁舎が襲われたにも関わらず奪われたものは一切なかったという。しかし、僕はあの火事の最中、木箱や麻袋抱えて南街区へ走り去るディエゴらしき人物をその日、確かに目撃しているんです」

「全てあんたの推論だ!」

「ええ、そうです。しかし白状させていただきますが、その後荷物を抱えた集団が消えていった裏路地に、僕も足を踏み入れましてね」

「!」

「そこまで言えば、それから僕が何を見たか、何をしたか分かって頂けるかと」

 ルロイは再び机上の黒い手袋へと視線を移した。

「友人の錬金術師に分析してもらった結果、この手袋自体は特殊な武具などではなく血液が凝固した塊に過ぎませんでした。手の形は明らかに人間の大人のもの。マーノネッロのやり口を推察すると、これを凶器ならしめているものは外的な魔法の力。手を極めて鋭い手刀に変形させ、そして犠牲者の血を手に集め魔法発動の対価として捧げる禁術。この魔法陣を見てあなたのその手の甲を思い出しました」

「ふふ、そういうカラクリか……」

 サンチェスは脂汗をかきながら、ぐったりと手袋の残骸を見つめ俯く。

「なぁ、あんた……さっきからずっと気になっていたんだ。そんなに言うならなぜウェルスの力で公証してみせない。『お前はマーノネッロか?』と問いただせばすぐに決着はつくはずですぜ……」

「僕は官憲ではありません。ましてや正義を気取ろうなどと……」

「では……なんだ!」

 サンチェスは殺意さえにじませ、両の拳で机を叩きルロイにすごみ問いかける。

「僕が本当に証明したいのは、そんなことじゃないんですよ!」

 ルロイも一歩も引くことなく、どこか悲しみをたたえた目で己の感情をサンチェスにぶつける。しばらく無言が続き二人は睨み合っていたが、いずれにしてもここまできた以上ルロイは、なすべきことをしなければならないのだった。机から証書を取り出しルロイは真に問うべきことを羽ペンで筆記していった。

「真実の神ウェルスの御名の下に、ルロイ・フェヘールが汝ファン・セラーノ・サンチェスに問う。先ほどの『全ては子供たちのためである』との言葉に偽りはないか?」

 一瞬、サンチェスの顔が呆けた様に固まった。何を聞かれているか理解した時にはすっかり毒気を抜き取られていた。

「はい、あっしにゃ……もう、それしか残されていねぇですから」

「それだけ答えてくれればもう十分です」

 証書は答えが真実であり、偽りのない潔白を示すように白く輝いていた。

「若旦那、あっしを見逃すので?」

 わざとらしくサンチェスは悪党じみた太々ふてぶてしい笑みを浮かべる。

「そちらこそ、本当に正体を隠したいなら、有無を言わせずその手で僕を殺せば良い。僕がマーノネッロの件であなたに言文の力を使わないのは、あなたがそうしないのと多分同じですよ……」

 サンチェスの太々しい笑みはすでになかった。張りつめた表情でサンチェスは机上の黒く歪んだ手袋を握りしめ椅子から立ち上がった。

「私は官憲ではありませんからねぇ。そもそも裁く資格などない訳です。できるのは真実を明らかならしめる公証だけ……信じますよ。あなたを……少なくとも、今は」

「正気か、若旦那?」

 それだけ言って、サンチェスはルロイに背を向け玄関扉へ手を掛けていた。

 その背には闇に生きる人間の雄弁なまでの厳しさが刻み込まれているのだった。

「私は何も見なかった。だから、それ以外の事は公証する必要などございません」

「感謝なんてしませんぜ……だが、子供らのことは……」

 最後に一度サンチェスはルロイに振り返り、右手を心の蔵へ添え深々と頭を下げた。

 その言葉には自分を信じてくれたルロイに喜んでいるようにも、自分を裁かなかったことへの失望とも今のルロイには感じ取ることができた。

 ルロイとサンチェスの間に、昼下がりの濃い日差しとそれが作り出す影とが、白と黒のコントラストのさかいを作り出す。ルロイの机を日が照らし背を向けたサンチェスは日陰に身を置いている。

 公たるものは光へ、陰たるものは闇へ、それぞれが帰すべき場所へと立ち戻ってゆく。

 ルロイへの一礼がすむや、サンチェスはぞんざいに扉を開け足早にレッジョの雑踏へ消えていった。

「まぁ、仮に私が裁く側の人間だったとして、何が正しく何が悪いかなんて永久に分からないかもしれませんがね……」

 誰もいなくなった事務所でルロイが呟く。

『本当にこれでよかったのか?』と、今更自問はもうするまい。

 そして、三日後――――

 正式にオルファノ兄弟団の再設立申請の許可が市参事会で通ったことを知るに及んで、ルロイ・フェヘールはようやく枕を高くして眠れたのだった。




 後にディエゴが言うところによると、事の顛末はこうである。

 すべてはフランチェスコ・ディ・ガリアーノ治安維持局局長の野心から始まったものであった。

 もともと、冒険者風情やよそ者である孤児たちを疎ましく思っていたガリアーノ局長は、同時に兄弟団の潤沢な財産に目を付けていた。南街区はレッジョに居ついた冒険者やそのおこぼれに与ろうと勝手に住み込んだ不法住居者が多い。治安の維持を名目にその南街区に拠点を置き不穏分子を一気に摘発するつもりでいた。

 まず、金で雇ったファビオという冒険者をおとりに立てる。

 マーノが孤児を襲ったファビオを仕留めに動いた隙に局長の配下が孤児院を襲い、兄弟団を解散に追い込むため孤児院に火を放ち建物を全焼させる。

 なお、ファビオの死体については殺害と同時に夜の河に突き落とされそのまま見つかることなく、海に流された模様である。

 後は、正式な市民でもない浮浪者同然のディエゴに、適当な罪状をでっち上げて擦り付けた上で治安維持局の名のもとに捕縛すればよい。

 ガリアーノ局長の目的は、レッジョを騒がすマーノネッロを仕留めると共に新たな拠点設立への場所と金を手に入れること。この目的を同時に達成する目論見こそが義賊マーノネッロに孤児院襲撃の強盗の濡れ衣を着せ、しかる後にディエゴをマーノネッロとして捕縛、見せしめに処刑することであった。

 上手く事が成れば、ガリアーノ局長は邪悪な殺人鬼を倒した英雄としての名誉を得る。それだけでなく、兄弟団の財産を手に入れその金で自らの権限拡大のための憲兵隊の砦を孤児院の跡地に立てる。表向きこのような痛ましい悲劇を繰り返さないために。と、心にもない弔辞ちょうじを垂れならがらである。

 つまりは、ガリアーノ局長にとって金、権力、名誉、そして敵の排除が一気に叶うという胸算用であった。

 実際には、ディエゴを捕まえる前にガリアーノ局長はマーノネッロの手に掛かりその野望もまた潰えた訳だが――――

 ガリアーノ局長も細剣の達人としてその名を馳せたかなりの強者。

 マーノもまたガリアーノとその配下との決闘に辛勝を収めるも、手傷を負い自らの手袋を落とすという大きな失態がこの時生じたのだった。

 ――――それから先は知っての通りである。

 先日のレッジョ市の各地で冒険者が暴動を起こしたことも、市庁舎焼き討ちも全てはサンチェスとディエゴを始めとした兄弟団の生き残りが、奪われた財産を奪還し、仲間の命を奪った元凶であるガリアーノ局長への復讐を果たすための反撃の狼煙のろしであった。

 それから数日たって、とにかくレッジョの年代記に記されることにもなる市庁舎襲撃事件以降、僕はマーノネッロが人を殺したという風評を聞かなくなった。

 その一方、実に奇妙なことであるがマーノは弱い者の守護者であり法で裁けぬ悪を裁く英雄であるという詩が旅の吟遊詩人によってレッジョのそこかしこで吟じられ、マーノネッロは民衆の間で新たな伝説となっているのである。

 巷では依然、市庁舎襲撃とガリアーノ局長殺害はマーノの仕業と信じる冒険者や市民も少なくない。

 この種の都市伝説となったマーノへの得体のしれない恐怖から、人々は自らの心の疚しさを自覚してマーノの復讐を恐れて孤児から物を奪うような輩も出なくなったと僕は思いたいのであった。

 もちろん、これは年代記に決して記されることのない真実である。


                       「レッジョ一市民の日記」より


「一体、何を書いてるんですか?」

 ちょうど、ルロイが椅子に座って長い伸びをしてみせたとき、玄関口からサシャの声がした。一瞬、気まずくなってノートを閉じる。

「ええ、ちょっと書き留めておきたいことがあって、仕事の覚書おぼえがきを……」

「表紙に日記って書いてありますけど?」

「えっ!」

 ノートを閉じてうっかり表紙を見せてしまったことをルロイは後悔する。

「ふふっ、気になる♪」

「あ、これは……その、決して見ても面白いものじゃ……」

 日記を慌てて脇に挟み、手を振って否定のサインをするルロイは面白いほど狼狽うろたえてしまっていて、サシャには逆効果だった。

 そう言えば、今日はサシャに事務所の掃除とたまった書類の整理整頓を頼んでいる日なのだった。仕事の合間にと日記を書いていたらもう正午を回っていた。

 手にバスケットを持ってサシャが悪戯っぽく笑顔を浮かべて大きく勇み寄ってくる。

「見せてくれなくていいですよ。色々大変だったんですよね、モリーとサンチェスさんがあなたに感謝してましたから」

 サシャは軽くウィンクをしてみせ、バスケットを机に置く。

 中を見ると、今度はランプレドット(牛肉もつ煮込み)をバスケッタで挟んだパニーノサンドだった。サシャは今リーゼの工房に加えて、新しく再建したオルファノ兄弟団の孤児院でもかいがいしく家事雑用もこなしている。

「まったく、こんなに散らかして……」

 すっかり孤児たちの姉としての立ち位置が板についてきたのか、サシャはため息交じりだが手慣れたように事務所の掃除に取り掛かってくれている。

 ルロイは、バジルソースがよく効いたランプドレットをもさもさと味わいながら、冷めた紅茶でそれを胃の中に流し込む。

 今回も大当たり。よく煮込まれたモツの旨さが引き立つと同時、肉の脂っこさをバジルソースが程よく中和している。

 まったく幸せを感じる取り合わせである。

 ふと今、あの孤児院のことがルロイの脳裏を過った。兄弟団再設立の許可がようやく通ってからというもの、あれから一度も足を運んでいない。

 サシャの様子からして、サンチェスも子供たちも元気にやっているのだろう。

 平穏な満ち足りた日常――――

 きっと今、自分はそれを噛み締めている。

 そういえば、まだポットに紅茶が残っている。すでにぬるいがいい感じに茶葉が漉されているはずだ。

「貴女もいかがです。冷めてますが濃い口の紅茶、きっと元気が出ますよ」

「何ですかいきなり?」

 ルロイはポットから茶をカップに注いでサシャに渡す。サシャは訝しがりながらも労働で喉が渇いていたのか一気に紅茶を飲み下し一息ついた。

「うーん。いや、日常とは尊いものだなぁ……なんて――――」

 ルロイは顎に手を当て、少し渋い顔をしながら誰ともなしに味わい深く言葉を結んだ。

 それからしばらく、白けたような沈黙が二人の間に流れ、やがてサシャの大爆笑によって沈黙は打ち消されるのである。

 『何を老け込んでんですか』と何度も腹を抱えるサシャに笑われながら、ルロイは後頭部を掻いて苦笑いを浮かべる。

 こうしてルロイ・フェヘールの一日も過ぎ去って行く。

 黒手の殺人鬼『マーノネッロ』を巡る血塗られた謀略はこうして幕を閉じた。

 失われた者は戻ってこない。

 傷ついた心が癒えるのには、まだ時間が必要だ。

 あるいは、傷は癒えることなく過去と共に引きずって行くものかもしれない。

 しかし、それでもこの街の人々は今日という日常を生きて行く。

 きっと、これからも――――

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