農夫と村の問題

ようやく村の入り口が見えてきたところで、一行は村長以下村の有力者たちに出迎えられた。一通り儀礼的な歓待の言葉を受けた後、ルロイはある人物が他の村人の陰に隠れている様子が目に入った。

「ボドさんお久しぶりですね」

「こっ……これは、ルロイの若旦那」

 ルロイはボドに元気よく手を振って駆け寄る。この村を訪ねた目的の一つであった。一年ほど前、ルロイはボドの家畜飼育契約の成立に立ち会ったのだ。

 心なしか、ボドの表情は強張っていた。いつも人の好い素朴で陽気な笑顔で迎えてくれた農夫ボドの姿はないことに、ルロイは気が付いていた。

「こ、これはお代官様。わざわざご足労頂き……」

「能書きはいい、このドン百姓!お前、分かっているな?」

 フランツはボドの言葉を途中で遮り、横柄に顎をしゃくってみせる。

「へっ、へい……」

 フランツに歩み寄ったボドは気まずそうにあたりを見回した後、フランツに耳打ちする。どうやら納税の件であれば、自分の家で話すので付いて来てほしいという事らしかった。


「貴様、先月滞納した分の租税の納付を猶予する代わり、先月分を含め今月納める租税は肥えた豚一頭分だろう。それがないとは何事だ!」

 いかにも農村の家らしいボドの家で、ボドを中心に皆簡素な木製の椅子に座ってボドの話を聞きこんでいる。彼の妻と子供たちには外してもらっている。

「それが、最近森に住み着いた賊にやられまして」

 ボドは気の毒なほどに恐縮しきって、体をこわばらせながらようやくそこまで言った。

「本当だろうな?最近は家畜の値段が高騰こうとうしている、それを利用して裏で肉屋に売ったりしてはいないだろうな?」

「めっ滅相めっそうも。豚一頭の代わりに、畑の作物諸々を納めます。足りなければ借金してでも貨幣で納めますよ」

 ボドは哀願あいがんするような目つきで、しかし媚びへつらうような卑屈な態度でフランツに臨みはしなかった。その瞳には、したたかに生き抜くその土地の民全ての意地とでもいうべき尊厳があった。

「まぁいい、どっちにしろこちらは仕事を遂行するだけだ」

 せっかちそうにフランツは椅子から立ち上がると、一同に背を向け玄関の木戸に手をかけた。

「おい、公証人の若造。ワシは村の畑を検分してくる。そいつの家畜の飼育契約の事務処理ならその間に済ませておけ。いいな」

「ええ、はいはい」

「それと、こんな辺鄙へんぴなところじゃ何があるかわからん。貴様は俺の護衛だ。付いてこい」

「へーいへい」

 けだるそうにギャリックが頷いて見せ、フランツの後へと続いてゆく、そのまま乱雑に木の扉が締められると、ボドはようやく安堵したように表情を和らげた。だが、それも束の間で、先ほどはまた違ったより真剣そうな面持ちになってルロイを見据えていた。いままで後ろめたく曇っていた何かが晴れたようであった。

「その、旦那を信用できると思って折り入ってお願いがあるんで」

「どうしたんです、急に改まって」

「その、騙されてたんでさ」

 ボドは青ざめた表情のまま、それまで堪えていた感情を抑えきれずに涙を浮かべて歯を食いしばっていた。

「落ち着いて、何があったか話してくれますか?」

 ルロイが静かに諭すとボドはところどころどもりながらも、ことのあらましを語りだした。

 なんでもこのルーポの村には半人半獣の神をはるか太古から土地の守り神として崇めていたそうである。村は凶作で、毎月の租税を支払うのも苦しい。そんな中、全身毛むくじゃらで恐ろしい牙を生やした獣人を見たという噂が村に広まってゆく。それがちょうど、三か月前のことである。ボドは悩んだ挙句、それを神の化身と信じて村の凶作を解決してもらうため夜の森へと出向いたのだった。

 しかし、麦の実りはやはり良くならない。それで、また試しに森で毛むくじゃらに問い詰めてみたところ今更契約を反故にする気ならば、罰として命をもらう。とそれはもう、視線だけで呪殺されかなない勢いだったとボドは早口で説明した。

「まだ家畜は残っちゃいますがね。生活の事を考えれば、このままじゃ食い詰めちまうんでさ……」

「そういう事でしたか」

 家畜飼育契約では、家畜の所有者と農民との間で、契約期間におけるその家畜の価格の上昇分を両者で折半する。家畜そのものは契約満了時に所有者に返還してもよいし、売却していれば貨幣でその売却した金額に加えて、価格の上昇分を払えばいい。

「レッジョの法では、表意者の意思表示に重過失が証明できればその意思表示を取り消せるんですよ。ええ、つまり今回の件でいうと、ボドさんが毛むくじゃらの化け物を森の神と錯誤さくごする事実に対して重大な錯誤さくごがあったことを証明すれば良い訳です」

もっともボドの場合、家畜契約飼育契約で預かっていた最良の家畜を何頭かその人狼にくれてしまっている。多少人間らしい知性がありそうとは言え、モンスターの人狼に既に消費したであろう家畜そのものや金銭での弁済は期待できない。どちらにせよ、ボドは家畜の主に弁償せねばならないが、せめてこれ以上人狼からの危害を加えられないように手を講じなければならない。

「あれから小麦も大麦も燕麦も実らねぇ。アレを神様と間違ったおいらが馬鹿だった」

「その契約を無効として取り消すには人狼を捕まえねばなりませんが」

「何かの手掛かりになるかもしれねぇですが……」

 ボドはもぞもぞと上着の内側を探って、木片のようなものをルロイへ差し出した。どうやら樹皮を巻物のように筒状にしたもののようで、押し広げてみると何やら文字らしい文様が羅列られつされていた。

「これは」

「アレと取り交わした血判状けっぱんじょうですだ」

 樹皮のいかめしい文言の下の部分に、一つはボドのものであろう血のにじんだ親指の指紋の横に、ボドの言う獣人の血判と思しき赤黒い痕跡こんせきが認められる。

「ほう、これはまた……」

この土地に古くから伝わる土着の文字なのか、ルロイには判読はできなかった。が、確かにと公証人であるルロイでさえ目を見張る達筆たっぴつの書体であった。人間並みに知性のあるモンスターや幻獣の存在は稀にレッジョでも確認できるも、ここまでのものを作れる存在ならばボドが神と勘違いしたとしても不思議はない。

「おいらもこいつを見るまで半信半疑だった。それでも、こいつはご先祖様の言い伝えにでてくる巻物そっくりだと……おいら字は読めねぇですが」

「ボドさん、このこと最寄りの教会に相談しましたか?」

「まさか、家族にも村のものにも話していねぇのにとんでもねぇ。こんなこと……もしばれたら、悪魔に魂を売った背教者として村八分むらはちぶにされちまいまさ。だから、ルロイの旦那にしか話せねぇですよ」

 レッジョ近辺の宗教事情というのは概ね市参事会が許可した信仰しか許されないことになっている。レッジョはダンジョン攻略に来る冒険者を相手に潤う商業都市であって特定の宗教の聖都な訳でもなければ一つの大きなセクトが幅を利かせていて住民が全てひとつの宗派に属さなければならないわけでもない。が、モンスターや悪魔を信じ、契約までむすんでしまったとなれば、到底ただでは済まない。冒険者が多く集まるということは、その中に黒魔術を中心にその他もろもろよこしまな魔法を使いたがる魔道士や邪教と言ってよいものを広める如何いかがわしいやからも多い。そんな輩がレッジョで好き放題することにレッジョの参事会が神経を尖らせないはずはない。これが、露見すればボドの言う通り良くて村八分、最悪火刑である。

「随分と重い案件ですね……」

「無理ですだか……」

 ボドは視線を暗く落とす。確かに下手をすれば邪教徒を庇ったとしてルロイ本人にまで害が及びかねない。それでも、助けを求める者を拒むことはルロイにはできない。ウェルスの徒である魔法公証人であるのだから。

「いえ、お任せください。どうにか行政官を説得してみせますよ」

「本当か、ありがてぇ」

 ルロイはボドから血判状けっぱんじょうをもらい受けるとそれを素早くケープの内側にしまった。しばらくして、フランツがギャリックを引き連れて戻ってきた。

「おい、公証人の若造。そっちは済んだんだろうな?」

 先ほど以上に面白くなさそうな顔で、フランツはぞんざいに椅子に腰かける。ギャリックもよほど退屈だったのか家の柱に寄り掛かり、うんざりしたように大きなあくびをしている。

「ええ、村の様子はどうでしたか?」

「小麦も大麦も燕麦も、相変わらず農作物の収穫高は低いままだ。長年の耕作で土地が痩せているとは言え、シケた村よ」

 ため息を漏らすフランツの発言からボドの話通り、村人の暮らしぶりは困窮こんきゅうしていることは確かなようであった。それと同時にフランツが功を焦っていることもうかがい知ることができた。

「行政官殿、実はお話が……」

「なんだ?」

 ルロイはボドがしてしまった契約と血判状けっぱんじょうの事は伏せ、村の家畜の損害と謎のモンスターの存在について話した。

「ということなんですがね」

「ヒャハッ!いいじゃねぇか。久々に殺りがいのある仕事だぜぇ。こちとら折角の暴れる機会なんでぇ。いいだろなぁ、行政官さんよ」

「ああ確かにな……いやしかし、ワシは一行政官であってそういうことは参事会のお偉方の指示が……」

「何言ってんでぇ、だったら何のために俺を呼んだんだ!」

 小役人らしい保身や規律にうるさい性格と、功名心への執着がフランツの顔の上で戦っているようだった。対照的にギャリックはぎらついた双眸そうぼうと犬歯を周囲に見せつけ、一点の迷いもなくほとばしる血の渇きを満たすことしか頭にないようだった。こちらの意見に加勢してくれるのはありがたかったが、やや気が急きすぎている。かえってフランツが消極的に引っ込んでしまいかねない。

「森に巣くう上位モンスターを倒したとなれば、参事会での評価も高まりましょう。そもそも今のレッジョは冒険者が創ったようなものです。多少の蛮勇じみた僭越も結果次第で参事会も裁量と認めて下さいますよ。悪くはないと思いますがね」

 ギャリックの熱意に、ルロイはもっともらしい屁理屈を覆いかぶせて行政官殿をたらしこむ。フランツの神経質そうな細い眉がピクリと動き、何か自分の意思が固まったかのように釣り上がる。

「よっ……よおし、ここはレッジョのため、村の民のためこのフランツ・フォン・ギュンター立とうではないか」

 どうやら、上手くいったようでルロイは安堵あんどの吐息を、ギャリックは獰猛どうもうな歓喜の雄たけびをそれぞれ吐き出したのだった。

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