フェヘール魔法公証事務所

オレンジがかった赤い屋根と、

漆喰の白亜の壁が織りなす街並みを突き抜ける大通りに、

今日も剣や杖を腰に引っさげ、

戦士に魔導士に盗賊にと有象無象うぞうむぞう無頼漢ぶらいかんが闊歩する。


この大通りは冒険者どもと彼らを相手に商売を営む者らで今日も大賑わい。

ここレッジョ市は由緒ある古都であると同時、

冒険者を引き付ける数多くのダンジョンがその近郊に林立している。

通称ダンジョン都市とも呼ばれ、


《ダンジョン攻略や宝探しで一山当てたいアホ勇者ども御用達の一大経済圏》


レッジョを訪ねたとある口さがない遍歴詩人はこの街をそう評した。

その内容通り、レッジョの中央を南北に貫くピカーニ通りでは、

また血の気の多い冒険者同士の喧嘩が始まったようだ。

官憲が更にやかましく規則正しくブーツで石畳を叩いて駆け抜けてゆく様が裏路地に面した事務所の窓から見える。



真実を司りし神ウェルスの導きの加護があらんことを

「フェヘール魔法公証事務所」



「やれやれ、ようやく静かになった……」


事務所の主であるルロイは、

手元の証書を机上で束ねて整理すると椅子に座ってカップに手をやった。

これから、ささやかなティータイムを楽しむのだ。


脱力して息を吐き出し書類仕事で凝り固まった体をほぐすため伸びをひとつ。

昼下がりに一仕事終え、頭を空っぽにして紅茶で一服するのがルロイの何よりの楽しみであった。


「うららか、うららか――――」


などと平和な束の間の日常を楽しむ様を、

若いくせに爺臭いと茶化す友人知人は多いが、

ルロイとしてはこの騒がしい街で静かに平和を実感できる少ない時間なのだった。今日のお茶は格別香ばしく美味いと感じ思わず深呼吸して目を閉じる。

目を見開き短くため息を吐き、

仕事の続きでもやるかと机に目をやる。


瞬間、とてつもなく嫌な予感がするものがルロイの目に入った。



「うん?あれは……」



凍てつくような青白い手が、

ルロイの座る執務机の反対側の縁に根でも張ったかのようにへばりついている。

しばらくルロイはどうしたものか凍り付いていたが、

嫌な予感というものは得てして当たるものである。



「だずげで、ぐだざあああーーー!!」

「のわっ!」


机の下に隠れていた本体が正体を露わにしたのだ。

ゾンビではない、

盗賊の類でもない、

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている少女である。


一斉に無数の死霊が恨がましく口を開いたかのような絶叫だったので、

危うくダンジョンから逃げ出したモンスター類と間違いかけたが、

とにかくルロイ・フェヘールの束の間の平穏は過ぎ去ったのだ。


「ごごに来れば助げでもだえるど」


やっとの思いで机から上半身を乗り出し、

助けを懇願こんがんする少女は凍えたように体も言葉も震わせている。

おそらくは冒険者の中でも魔導士に類する者なのだろう。

少女は、もう片方のこわばった手に得物と思わしき鉱石の嵌ったロッドを持ち、

体の震えにあわせて使い古した黒いローブの袖がゆさゆさ揺れている。

もとはそれなりにかわいい顔をしているのだろう。

つぶらな黒い瞳に肩を覆いつくすほどの漆黒の髪はさながら、

黒い絹でできたカーテンのようだった。

肌も陶磁器ように白く透き通っていた。

が、どういうわけか病的に青白く染まり挙動不審な言動と相まって、

せっかくの美貌を台無しにしている。


「ええと、まずは落ち着いてください」


別のカップに、ルロイがポットからまだ熱い茶をなみなみと注ぐ。

少女は震えた両手でカップをどうにかつかみながら、

躊躇いがちにつばを飲み込み一気に飲み干した。


「くっ、ぷひゃー」


茶を飲んでようやく落ち着けたのか、

長い黒髪の少女はすこしだけ顔色が良くなった。


「お名前、伺ってよろしいですか?

僕はここで公証人をしているルロイ・フェへールです」

「アナ……アナスタシア・ローゼンスタイン。

死霊使いの冒険者やってます。仲間内ではよく『嘆きのアナ』って言われてます」

「話を聞かせてもらえますね?」


神妙な面持ちでルロイが口を開く。

アナと名乗る少女がここに来た理由も大体差しはつく。

ルロイ・フェヘールは公証人であって、

法的な契約が書かれた書類とそこに列をなす文字を追うことで日々の糧を得る。

そして、ここは冒険者の街レッジョ。

必然的にダンジョンで獲得したアイテムの取り分だの、

装備品の貸付にかかる金銭貸借だの、

ダンジョン管理者と冒険者同士の利権の争いなど、

つまるところ下手をしなくても刃傷沙汰になることなど日常茶飯事であった。

それを未然に防ぐため、ダンジョン内での利権や権利の配分はあらかじめ、

レッジョの都市法で取り決め、冒険者やダンジョン管理人、それに関連する商人などの当事者の間でも文書として残しておく。

当然、ダンジョンがらみの冒険者同士の争い、

諸々の犯罪行為によって街の秩序を乱す行いには厳しい刑罰の定めがある。


こうした法整備が進んだのも、よそ者のアホ勇者どもに余計なバカ騒ぎを起こしてほしくない市民と市参事会のごく自然な願いだった。

それでも起こってしまった刃傷沙汰ともなれば、

裁判所や弁護士の出番となるがルロイのような公証人が担当するのは、

土地の売買など関わる登記や、

雇用契約等、

あとは遺言、相続など法的な権利を公証して書き記すことが主な仕事となる。


「昨日の『冥府の泉』の最奥まで行って薔薇石ばらいしを見つけたんです」


アナは顔の涙と鼻水を袖で拭いながら、落ち着いて話し出した。


『冥府の泉』はレッジョの北東にある洞窟型ダンジョンで、

ゾンビや死霊といったアンデッド型のモンスターが徘徊すること以外とりわけ際立った個性のないダンジョンであった。

最近はあらかたアイテムも掘りつくされ、

ダンジョン攻略に挑む冒険者の数も少なりつつあった。

もう一つの薔薇石ばらいしは、

このレッジョで冒険者相手に商売をしていれば名前くらいは知っている。

外観は文字通り薔薇ばらの花の形をした赤い魔法石で、

稀代きだいの魔法具職人により少数製造された俗にいうレアアイテムである。なんでも死者の念を増幅させ持ち主に多大な力を与えるといわれ、死霊使い名乗るアナにとってみればぜひとも手に入れたい逸品といえる。


薔薇石ばらいしですか、凄いですね。あのダンジョンにまだそんなレアものが残っていたなんて」

「そ、それはもう。見つけたときは嬉しかったです。でも――――」


そこからアナは一気に暗い表情になり事の顛末を語った。薔薇石ばらいしは死者の念を増幅する。が、それもいわば諸刃の剣である。

多数のアンデッドが巣くう『冥府の泉』のそのまた最奥の死者の怨念や呪いを薔薇石ばらいしが吸い続け、それが生者に害を及ばすこともありうる。

そこまでをアナが説明すると、

ルロイはカップに残った茶を一気に飲み下し軽く頷く。


「なるほど、その顔色の悪さは薔薇石ばらいしに宿っていた悪霊の呪いのせいだったと」

「はい、呪いをかけられて意識失っちゃいました。すぐに目は覚めたんですけどぉ」

「体の異変に気が付いたと」

「死霊使いが悪霊にしてやられるなんてぇ……」

 両手で頭を覆いながらアナは、後悔と恥辱に歯噛みしていた。

「では、早く教会か神殿か、

とにかくそういった場所で呪いを清めてもらえば……」

「それが、ここからが厄介でしてぇ」


 すっかりしょげ返って泣き出しそうになりつつも、アナは続ける。


「今朝がた行った教会で、悪霊が宿っていた薔薇石ばらいしがないと呪いが解けないって。その上薔薇石ばらいしは仲間の一人に騙し取れて、売られちゃったんです」

「なるほど、確かに厄介だ」


やたら血の気の多い者、宵越しの金さえない生活破綻者、素性の知れない犯罪者のような手合い。そんな連中が全体の半分以上占める冒険者同士が寄り集まればそんなことは珍しくもないない。

むしろ、暴力沙汰にならないだけまだましな方である。


「教会に行ってる間、危なそうだから代わりに預かっておいてやるって……」


恨みがましくうめくと、苦痛に表情をゆがませていた。首のあたりの皮膚が青白い様子からわずかに黒く変色していった。アナの言う忌々しい呪いが進行したようだ。


「あわわ、教会の祓魔師ふつましさんから今日の日没までに薔薇石ばらいしを見つけてどうにかしないと。このままだと、死んじゃうみたいです」

「落ち着いて、しかし手の込んだ呪いですね」

「あう、呪いの大本となった呪物をどうにかしないと解けない呪いもあったりしますからぁ、呪物となり果てた薔薇石ばらいしをですね……清めないとどうにもならないんです」


こうしたことには門外漢ながら、呪いと言えば神聖魔法で解除できるくらいの知識はルロイにもある。アナの言う通り悪霊の力の根源がまだ薔薇石ばらいしに宿っていて、その根源をどうにかしないことにはアナの体自体を清めても焼け石に水ということなのだろうか。難しい顔をして考え込んでいるルロイにアナは続ける。


「それで、鑑定士に売り払ったことまではわかったので、その鑑定士の店行って事情を説明して返してもらえるよう頼んだですがぁ」


いよいよ絶望的に表情を暗くしているアナに、ようやくルロイに事のあらましの輪郭が見えてくる。


「自分が買い取った薔薇石ばらいしが、まさか詐取さしゅされたことなど知らなかった。とシラを切って返してくれない訳ですか……」

「うう……」

「大丈夫です」


ルロイは執務机のさらに奥にある本棚から分厚い冊子を出してページをめくってレッジョ都市法のある条項を指し示した。


《第三者が詐欺を行った場合、相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる》


たどたどしくアナが条項を読み上げる。


「分かりやすく言いますと、薔薇石ばらいしが騙し取られたものであるとその鑑定士が知っていた場合、薔薇石ばらいしをだまし取った冒険者との取引をあなたの意思で取り消すことができる。ということになります。そうなれば、薔薇石ばらいしの所有権はあなたに帰属します」


説明がてらルロイは、重い法典のページをバサリと閉じると本棚へそれをしまう。軽くため息をついて、一息つく呑気なルロイの背中を見据えるアナの視線はやはり不安さを隠せないでいる様子であった。


「でも、騙し取られたことを知っていたことの証拠なんて見つかるか……」

「その点は心配いりません。私が『魔法公証人』と呼ばれる所以になりますが、その事実をその場で公証して差し上げますよ」


ニィと口元で笑って見せるルロイは、

すでに外出用のケープを羽織り必要な道具一式の入った革袋を括り付けるベルトをしっかり装着していた。


「では、善は急げ。行くとしましょう」

「ふぇ……ど、どこにですか?」

「もちろん。その鑑定士の下へ、真実をつまびらかにするために」


ルロイは悪戯っぽく笑みを浮かべていた。

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