九.望郷に惑う


「ラシェのお父さんは先代の銀河の竜だったんだ。僕が子供のころに知り合って、いろいろあって。僕がハルの帰還を見届けるっていうのは、彼との誓いでもあるんだ。託された願いを果たすため、竜族ではすごく珍しいことだけど、ラシェはお父さんから銀河の竜の権能ちからを継承したんだよ」


 店内に置いてある来客用のソファに座って、ラシェールのれてくれたハーブティーを味わいながら、ジュラはそんなふうに彼との関係を説明してくれた。

 星の日を読み解くのは銀河の竜にしかできないのだという。

 ラシェールは銀河の竜としてだけでなく、ジュラの親友として願いに寄り添い、この日を数え待っていたのだろう。

 彼らの深い想いはティルシュの胸をも震わせる。


「僕の名は竜族の言葉で『のぞみを叶える』という意味があるんだ。……普段は、別に意識してるわけじゃないけどさ」


 ラシェールはそう言って笑うと、卓上に置いてある宝剣に目を落とす。


「これが……『始まりの象徴』ということなの? ジュラ」

「うん、そうだよ。千七百年も失われずに継承されてきたことは、感謝しないとね」


 何にとは、ジュラは語らない。ラシェールは黙ってジュラを見返し、それからため息をつくようにカップに息を吹きかける。

 この優しくてまっすぐな友人によってつながれた絆は、数知れない。

 ジュラは人間の両親から産まれた取り替え子チェンジリングであり、人と竜が混じり合って暮らす国で育った。物怖じせず、偏り見ず、行動力に長けている。そんな彼だからこそ、さまざまなひとからそれぞれに想いを託されたのだろう。

 そしてそれは間もなく、たがわず実現するのだ。


「ところでティルシュ」


 ジュラの隣で話に耳を傾けていた物静かな青年に、ラシェールは視線を向けた。彼がびくと顔をあげる。


「はい」


 彼が国を追われた王族であるということはジュラから聞いた。奇跡の実現のため協力してくれるということも聞いた。だが。

 どこか頼りなく見える琥珀こはくの双眸に苛立ちを感じながら、ラシェールは気になっていたことを口にする。


「ティルシュは、この先どうするつもりなんだ?」


 次の満ちた月が昇れば、目的は果たされる。

 ジュラもラシェールも、おそらくもとの生活に戻るだろう。具体的なことはまだ分からないが、それぞれに帰る家がありそこでの生活もあるのだから。

 でも、ティルシュは違う。

 もしもジュラと別れるのであれば、彼は庇護ひご者を失うことになる。

 けれどこの先もともに居続けるつもりなら、国をあきらめるか彼を戦乱に巻き込むかの二択しかない。

 ラシェールには、ジュラへの協力を口実に彼が自分の未来について目を背けているように思えるのだ。

 そしてティルシュはその問いに答えることができず、黙ってうつむいてしまった。


「国を取り戻すんじゃないの?」


 ジュラが口添える。

 確かにティルシュはジュラと出会って間もないころ、そう言った。その気持ちが偽りだったわけではなく、今も望みは変わってはいない。

 しかし、それに付随ふずいする諸々もろもろに立ち向かう用意ができているかと問われれば、うなずくことができなかった。


 結局だれが叛逆はんぎゃくの首謀者なのかを、いまだにティルシュは知らない。それは、なぜ追い落とされたのかを知らないということだ。

 それほどまでに憎まれるような心当たりはなく、怯える心はいまだ現実を受け止めきれずにいる。

 穏やかで思慮深い父とともに執務を行ない、陽気で世話好きな母とくつろぎのひと時を過ごす。それがティルシュの取り戻したい日常だ。自分自身が執政をり国を導くという重責など、本当は——要らなかったのだ。

 黙り込んでしまったティルシュを見、ラシェールはため息をこぼす。

 ジュラは眉を寄せてしばらくティルシュを見ていたが、やがてけるように笑った。


「無理に正解を言おうとしなくてもいいよ?」


 だがその言は、なぜかティルシュのかんに障った。


「無責任なこと言わないでください」


 わからないくせに、と思ってしまう。

 親友とももおらず家族の安否もつかめず、得体の知れぬ何かに憎まれて追われている今の心境が、友に恵まれ愛されているジュラにわかるはずないではないか、と。

 棘を含んだ口調を聞き咎めてラシェールの眉が動くが、ジュラは、困ったように首を傾げて応じる。


「んー、だって正論が救いにつながるわけじゃないし、正しいか間違いかは時が経たないとわからないこともあるよ。だから今は、自分の気持ちを大切にしたらいいんじゃないかな。間違えてしまったら、やり直せばいいんだし」

「……そんな、不確かなものに頼って、取り返しのつかない失敗をしてしまったらどうすればいいんですか!」


 不安とまどいが極まって、思わずティルシュは強く言い返していた。

 八つ当たりとしか言いようのない失言を取り繕う間もなく、ラシェールがテーブルを叩いて立ちあがる。


「そんなのジュラに聞くことじゃないだろ!」

「ちょっとラシェ、落ち着いてよ」


 ジュラになだめられて座り直したものの、夜空よる色の双眸は怒ったようにつり上がってティルシュを睨んでいる。

 困ったように笑っていたジュラは、ふいに表情を取り直し、ティルシュをまっすぐ見返してきっぱりと言った。


「そうしたら仕方ないさ。引き起こされた結果から逃げたりはせず立ち向かい、その中で最善を尽くすしかない。……それは、人間きみたちがずっとずっとやって来たことじゃないか」


 ——言葉を失った。

 痛烈に、おのれの甘えを突きつけられた気がした。泣きだしたいほどの羞恥心がせり上がり、ティルシュは堪らなくなって目を伏せた。


「大丈夫だよ、ティルシュ」


 ジュラの声は優しく、それがいっそう胸をえぐる。


「優しくてまっすぐな君が、そう大きく道を違えることはないと思うよ。最善を、あきらめないでいようよ。……君がとても頑張りやだって、僕は知ってるから」


 こんな自分を、これほどに信頼してくれるのはなぜなのだろう。

 傾けられる想いにこたえたいと思った。

 彼のようにまっすぐ未来を見据える強さが欲しいと。

 痛切に、ティルシュは思っていた。



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