三.港にて
「
見張りの下っぱ海賊が大声でそう叫びながら駆けこんできたとき、海賊王は不機嫌の絶頂だった。
というのも、今日は朝から港の
普段なら目下の言い分など気にする自分ではないのだが、確かに今日は異常なほど巡回警備が厳しかった。
であれば不本意ながらも正論には従わざるを得ず、かといって素直な性格でもない彼は不満を抑える気にもなれず、八つ当たりに船扉へ蹴りを入れたら蝶番が外れ、それを直しにきた部下にまた小言をもらったのだった。
まるで子供のような経緯で不機嫌を極めている海賊王を眺めながら、シエラはぼんやり考える。
倒れているのがどこの誰かは知らないが、今のエフィンにとっては格好の獲物だ、関わらせてはいけない。都合よく自分がここにいるのだから、代わりに様子を見にいってやろう——と。
海賊王が面倒そうに顔をあげ席を立つより早く、シエラは彼の先に回り込んで外へ出、扉を閉めてやった。
「何しやがる、シエラ!」
中で吠えているエフィンがすぐには出てこれぬよう、扉に魔法で鍵を掛ける。どうせすぐ壊されてしまうだろうが、時間稼ぎというやつだ。
渡り板を降りると見張りがオロオロと歩き回っていたので、側まで近づきつつ声を掛ける。
「どうした、行き倒れか?」
「いやー、手負いっスね」
「ふうん」
投げだされた腕は日に焼けた戦士のものだったが、浅いものから深いものまで満身
その
ギリギリでその不意打ちをかわしたものの、シエラの前髪が切れて数本散る。
気を失っていたはずの男は右手に折れた剣をつかみ、虚ろげな瞳でこちらを見据えていた。
「おい、やめろ」
シエラは目を
「
「よせ馬鹿! 返ってややこしくなるだけだろうが!」
聞こえた様子なく渡り板を駆けあがっていく見張りに気を取られたシエラを、再び斬撃が襲う。左手で短刀を引き抜き男をいなしながら、畜生とシエラは毒づいた。
なんでこんなに強いんだ……!
なまじ技量が
無軌道に繰りだされる攻撃を左手で打ち払いながら、右手でもう一刀を引き抜いた。鞘に入ったままのそれを怪我の深そうな左腕へと力に任せて投げつける。
彼が
「あ、やっちまった」
息はある、それはひとまず良かった。しかし、さっきの打ち合いで傷が開いたのか、石畳に赤黒い染みが広がってゆく。
慌てて抱え起こし傷の具合を見れば、背には深い刺傷と左腕には骨に達するほどの斬傷が確認できた。
手負いどころか瀕死の重傷である。失血多量と体温低下、このままでは確実に死んでしまう。だが、彼の出自が不明なこの状況で癒しを施すのもためらわれた。
この状態でさえあれだけの抵抗を見せたのだ、極悪人で脱獄逃亡の最中だとしたら、目も当てられない。
——おまえだったらどうするよ。
こういう時に
「おまえは、分かりやすい奴だからな」
答えを期待した台詞ではない。シエラは右手をかざし、光を招じる。
それほど大きな魔法ではないが、確実にこの男を死地から救う奇跡の顕現。見る間に傷がふさがり、安堵のため息が漏れた。
生きてさえいれば——どんなに深い傷であろうと、魔法によって治癒することは可能なのだ。しかし失われてしまったものだけは、相応の権能と力を持つ者にしか取り戻すことはできない。
だがその彼がありえない奇跡を約束したことをシエラは知っている。
その
久しぶりにエフィンの船に乗り合わせていたのも、それに関係した用事のためなのだ。別に、海賊に転職したわけではない。
「……ったく、手間かけさせやがって」
とにかく傷さえふさいでやれば、時間が体力を回復させるだろう。あとは、自分と変わらない背丈の男をどうやって運ぶか——と思案していると、足音も荒く海賊王が船から降りてきた。
「シエラ、てめェ!」
「お、いい所に来たなエフィン。過去の事を子供みてえに怒ってねえで、手え貸せ」
「過去!? っつってさっきの事じゃねーか! っつーか、俺に許可なく人拾ってんじゃねー!」
「いいから足持て、エフィン」
右から左に聞き流すシエラの態度にエフィンはぶつぶつ文句を言っていたが、シエラが男の頭側を持てば黙って足側を持ちあげた。
傷はもう治癒してあるので、多少手荒く扱ってしまっても問題はないだろう。シエラが今使っている船室へと運び入れ、ベッドに横たえる。
「どうする気だよ、シエラ」
「そうだなあ。何にしても着替えさせてやらねえとな?」
言いながら振り返ったシエラの愛想いい笑顔が意味するものに勘づいて、エフィンは慌てた声をあげる。
「おい、真水が貴重なのは俺たちだって変わらねーんだぜ!?」
「わかってるさ。だからってこのままにしてはおけねえだろ?」
有無もない。エフィンは無言でシエラを睨むが、言っても無駄だと悟ると、部下に言付けてまた戻ってきた。
「知ってンのか? この男のこと」
「いや。でも恐らく、港の厳戒態勢はこいつを捜してってところだな」
「へぇ」
そんな会話をしているうちに部下がバケツで水を運んできたので、それをシエラに渡すように告げる。
部屋の入り口に鈴なりになって覗いていた部下たちを追い散らしながら、エフィンは不機嫌なまま自室に戻っていった。
冷水に浸し絞った布で血に汚れた身体を拭いてやっていると、彼は身じろぎして目を覚ました。
「……ここは?」
「一応、おれの部屋だ」
彼が目を見開いてシエラを見る。右手が探るように動いているのに気づき、シエラは眉を寄せた。
「おまえみたいな物騒な奴に剣を持たせておくわけねえだろ」
「俺は捕まったのか?」
「追っ手がこんな丁寧に手当てすると思うのか」
「ならあんた、誰なんだ」
警戒もあらわに彼が問う。その隙のない表情が、シエラの記憶にかすった。
「なにやら見覚えあると思ったが、おまえ、ローヴァンレイ国の王子——いや新王の護衛じゃねえか? 新王はどうしたんだよ」
途端、彼の全身から緊張が抜けた。
「今ごろ気づいたのかよ。ってことはあんた、国の人間じゃないんだな」
「そうだな——人間じゃねえな」
国の興亡、王統の移り変わり、いずれも竜族には関わりのない歴史の事象だ。
義がどちらにあって救うべきなのはどちらか、など興味のないことだった。……普段であれば。
「信用していいのか?」
彼が問う。
追い詰められた獣のような瞳に見あげられ、シエラは少し迷い、答えた。
「おれは金では動かない。おまえに懸けられてる懸賞金の額にも興味はない。だから、話してみろ」
その言葉に何を思ったにしろ、彼は悔しげに唇を噛んで、うなずいた。
「俺はクフォン。察しの通り、国王の護衛……親衛隊長だ。先日の
「なるほど。……そういう事情なら、ここでおまえを拾ったのは縁かもしれねえ」
顎に手を添え考えこむシエラを、クフォンは不安げに見返す。
「なんの話だ?」
「あ、いや、悪い話じゃない」
色濃い心配と疲労が
その様子が微笑ましく思えて、シエラの表情が緩む。
「実は、おれはここの国王、ティルシュ=クルスレード=ローヴァンレイに用があってさ。なのに到着した途端に
「え、……もちろんだが」
それを聞いてシエラは、
「協力させてくれねえか? おれはおまえたちの味方に——力になれると思うが?」
その、闇の天空をはめ込んだような瞳に呑まれそうに思い、クフォンは息を詰める。信用できるのかという根源的な疑問は、なぜかそのとき湧かなかった。
ただ、思った。
このひとはいったい、何を負っているのだろう、と。
なぜか、そう思ったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます