六.忍び寄る刻限


 隔絶かくぜつされた闇の空間に、金色の姿がうずくまっている。それを見おろすような格好で立つのは、闇に溶ける長髪長身。

 夜空の瞳を険しく細め、腕を組んで視線を落としていた。


「銀河のことわりを歪めるなど、おれは賛成できねえ。死者は静かに眠らせるべきだ。まして、亡骸を盗んでこいだなんて……おまえらしくもない」

「本当に、申し訳ない」


 びた声が闇に響いて呑まれる。

 二人の足もとには、少女の小さな身体が横たわっていた。それをハルの手がそっと抱えあげる。何かを決意した紫水晶アメジストの双眸が一度、瞬く。

 まとった長い外套がいとうが、闇をこすって乾いた音をたてた。


「この幼い命の未来を絶ってしまうくらいなら、たとえ禁忌だろうと星のことわりを犯すことのほうを、俺は選ぶよ」

「おまえがそこまで言うなら、止めはしないが」


 分かんねえな、そうシエラは呟いた。


「おまえにしては感情的すぎないか。おまえの眼に映る悲劇を全部、救うのは不可能だ。第一公平じゃねえ。死んだ者は帰ってこないから、『死』なんだろう? そんなの、おまえだってよく分かってるはずだ」

「解ってるとも」


 ハルが柔らかく微笑む。

 その笑顔は、どこかひび割れたような危うさをはらんでいる。


「だからこそ、だ」

「……そうか」


 泣きそうなハルを見るのはシエラ自身にとっても痛い。

 そもそもが自分の読みの甘さが一因でもあり、だからと言って元を辿ろうにもどこまで遡ればいいのか。むしろそれを探りだすことに何の意味があるというのか。

 居た堪れなくなってシエラはその追及をそこで終わらせる。


「それより、あの水竜のちび……っつーかあの件に関してはおれが全面的に悪かった。その上で、今さらだが、おまえが引き取ってくれないか?」


 どちらにしてもシエラには苦しい話題だ。

 この状況に至ってしまい結局ハルにすべてを打ち明ける羽目になるのだったら、はじめから話しておけば良かった、とは思うが後の祭りだ。

 そんなシエラの葛藤に気づいているのかどうか。ハルは顔をあげて友を見る。


「それはできないし、おそらく必要ない」


 予想外の返答を受け呆気にとられるシエラに対しハルは言葉を重ねた。


「あの子は、彼のそばを自分で選んだんだ。大丈夫、あの子は強いよ。私がいなくなったとしても、彼に染められることはないだろう」


 明瞭に言いきられた言葉を理解するのに、数秒。シエラの表情が変化する。


「ハル? おまえ、……何を言っているんだ?」

「私はあの子が、彼の魂に刻まれた歪みを癒す存在になってくれるのではないかと、望みをかけているんだよ」

「その話じゃない」


 シエラはまっすぐハルを見る。

 その瞳に隠された、真意を読み取ろうとする。


「しない、ではなく、できない? ハル、どうしてだ……?」


 




 夜陰を照らしだす月光と、渦巻く星の川。夜は時に、光を得てさんざめく。

 ひとを包み安眠やすいをもたらす夜のとばりはそれでも、命を与え育む陽光ひかりからおそらくいちばん遠い。

 夜に住む月の姫は太陽に憧れるけれど、決して逢うことはできないのよ。恋い焦がれるけれど想いを叶えることはできないの。

 昔読んだお伽噺とぎばなし。悲しいお話なんて欲しくなかったから、続きは聞かなかった。

 いったい、どんな結末だったのだろう。

 もしもそんなふたりが出逢うとしたらきっと、奇跡。

 同時に、いつ引き裂かれてもおかしくない、つかの間の夢幻むげん

 夢のような現実と、確かにわたしは思ったもの。

 それでも月は、太陽なしで輝くことはできない。

 あなたなしで、わたしは生きてはいけない。

 だからどこへも行かないでください。

 わたしを置いて、どこへも行かないでください。

 遠ざかる背中に手を伸ばしても、わたしの指はあなたに届かない。




 目覚めると泣いている。

 ひどくさみしく、せつないうずき。

 独りの夜は嫌。心が凍るから。

 向けられる背中が遠い。心が裂けてしまう。

 あなたが、言ったのでしょう? わたしの瞳に宿る、時の魔力。

 わたしが未来ゆめは、定められた未来図だって。






「ねえ、じゃーここは、なんて島なの? ハルさん」

「それは島ではなく、大陸と呼び習わすな。この島よりずっと面積が広くて、住んでいる者たちの容姿や文化もこことずいぶん違っているはずだよ」


 執政室を訪ねれば、ハルは机に世界地図を広げてジュラと話をしていたようだ。

 今の世情にそぐわぬ和やかな雰囲気を見て、アスラは眉を下げため息をつく。そもそもジュラの出自はいまだ不明だというのに、これはどうなのだろうか。

 入ってきたアスラを見て、ジュラは緊張もあらわに背筋を伸ばした。


「こんにちは」

「アスラか。おまえも一緒に座るといい」


 ハルはといえば、いつも通りの泰然たいぜんとした笑顔だ。

 アスラは二人のそばに椅子を持ってきて腰掛ける。これはこれでいい機会だ。今日こそこの少年の正体を問い詰めなくてはならない。


「ハル、端的に聞きますが。この子は未来から時渡ときわたりをしてきた、『時の司竜』ですよね?」

「……さすがに、おまえも気づく頃合いか」


 ハルは知っていたのだろう。真面目な顔でかしこまる少年の頭を撫でながら、肯定の意味でうなずいた。


「おまえも分かっているだろうが、ジュラの本来の時代ときが『未来』である以上、それがいつの、どの世界かを聞き出すことは禁止だ。……だからそんなに怖い顔をするんじゃない」

「それは、もちろんですが」


 怖い顔をしていたつもりのないアスラは、義兄あにたしなめに複雑な気分で応じる。


「と、言うかですね、ハル。そういう事情なら尚更のこと、ジュラを早く元の時代に帰すべきじゃないですか」

「それはそうなのだが。どうやらジュラはあちこち記憶が抜け落ちているようでね。自分がなぜ時渡りをしたのか、どの時代に帰るべきなのか、分からないらしいよ」

「……はあ」


 ジュラが竜の魔力を失っている状態なのはアスラにも感知できる。

 理由も分かっていた。どの時代であろうと。つまり時の司竜は。今の時代の司竜はアスラであり、そこにジュラが割りこむことはできないのだ。

 時の司竜には時渡ときわたりの権能ちからがある。それがゆえ、時がねじれて修復不可能になるほどの弊害へいがいが起きないよう『世界』が定めた規律ルールなのだろうと思う。

 そしてこの規律ルールは、どの時代にも属さないような空間——次元の狭間や結界領域などであれば適用されない。

 つまり、ひとまず世界の外へ出てしまえば、ジュラの中には時の司竜としての魔力が戻ってくるということだ。そうなれば自力で元の時代へ帰るのは容易たやすいはずなのだ、……本来ならば。


「僕、元の世界で何があったのか覚えてなくて」


 子供らしく表情のよく変わる顔が、今は悲しそうに下を向いている。

 竜族の外観年齢など当てにならないが、その所作しょさは十歳ほどの見た目よりもっと幼いように見えた。

 少年が発見された時に着ていた衣服は現在いまの流行ものではなかったが、異質に見えるほど違っていたわけでもない。言葉がきちんと通じる……のは竜族の翻訳能力トランスレイトゆえであり、手掛かりにはなりそうもなかった。

 大きな怪我を負っていたとか恐怖に怯えていたとかではなく、幸せそうに熟睡していたのだというのだからますます不可解である。

 思案にふけるアスラに、ハルが話しかけた。


「過去ならともかく、未来のことは俺では探る手立てがない。だからアスラ、忙しくさせて悪いのだけどね、この子をあるべき時代へ返すすべを探ってくれないか?」

「……分かりました。どうせ、僕以外に適任もいないですし」


 帰さねばならないというのは大前提だとして、どこにどうやってという部分を探るのは、あれこれ考えてみても自分以外できる者はいなさそうだった。

 重くため息をつきつつ腰を上げれば、すがるような藍の目と視線がぶつかる。


「ごめんなさい、お願いします。アスラさん」


 その瞳に言いようのない懐かしさを感じてしまい、動揺を覚えつつもアスラは首肯で応じた。





 とは言っても、取れる手段はそれほど多くない。

 記憶を拾える時の竜だからこそ見つけられる痕跡があるかもしれないので、ひとまずジュラがはじめに眠っていた花園へと向かう。

 元海賊たちにまつわる件、妹の事件以来ずっと姿を見せないジェラーク、未来からきたらしい時の竜——、ざっと考えただけでも手に余るような案件の数々を思い、鬱々うつうつとした気分でアスラは空を見あげた。


 吹き抜ける風にはかすかに雨の匂いがする。

 今日は風が強く吹いていて、晴れてはいるが雲の流れが早い。視線を転じて足もとに目を落とせば、通路を覆う青草と花壇の花が煽られ揺れていた。


「特に次元の裂け目とか、時空嵐のあととかは、なさそうだけど」


 一種の災害でもあるその手の乱れに巻き込まれたというのでなければ、かすかな痕跡を見つけだすのは難しい。であれば記憶を拾うほかないと思い直し、屈みこんで地面に手を当てた時、かすかな声が聴こえた気がしてアスラは顔をあげた。

 目視できる範囲には誰もいない。

 怪訝けげんに思いつつ再び視線を落とした時に、今度こそはっきりと自分を呼ぶ意思を聞き取り、アスラは立ちあがった。


「誰だ!」

『よかった、やっと届いた』


 陽炎のような揺らぎがゆっくりと像を結ぶ。

 銀光が人の形をとって、それが声を発した。男性とも女性ともつかない、それでいて耳馴染みよく人懐っこい声音は、ジュラと似ていた。


『警戒しないで、アスラ。……オレはジュラの前世の、記憶の残滓ざんし、みたいなもの。君に、頼みがあるんだ』

「前世の記憶の、残滓? 幽鬼ゆうき、ではなく?」


 驚愕きょうがくはあったが想定内だ。ジュラの時渡りを導いたのは間違いなくだろう。

 異なる時代に飛びこんだ反動で存在が薄らいでいたのかもしれないが、これだけ自我が明瞭であれば消滅の心配はなさそうだ。

 幾らかの安堵あんどを覚えつつ、アスラは銀光の相手と対峙たいじする。


『あまり詳しいことは言えない。オレはジュラに掛けられた記憶操作の呪いを解くために、ジュラに時代を遡らせたんだ。時の司竜は、記憶を、守り伝えなくてはいけないから』

「……なるほど、ジュラの記憶が抜け落ちてるのは、竜族による呪いなのか。……でも、この時代を選んだのは何か理由が?」


 告げられる事実は不穏な未来を確定するものだったが、詳細を問いただすことはできない。それは未来を歪めることに繋がるからだ。ただ確認のみを行ない、アスラはするべきことを自分の中で整理する。

 この時代の外に送りだせば、あとのことはが何とかするのだろう。

 何気なく口をついただけだったが、アスラの問いに向こうは少し沈黙したようだった。ややあって返されたのは、謎かけのような言葉。


『オレが選んだんじゃないよ。でもきっと、……これはだったんだと思う』


 つい見返したアスラが、しかし何かをいう間はなかった。

 異変を感じて振り返った先に喧騒けんそうを見、悪い予感が全身を駆け抜ける。反射的にアスラは城の方へ、ハルのもとへと駆けだしていた。




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