第一章 海に棲む獣

一.掛け違う願い


 帰ってからずっと難しい顔で書類を読み込んでいる兄の横に、少女はそっと紅茶の入ったカップを差し入れた。その気配に彼が顔をあげる。


「ああ、ありがとう。エティカ」

「それでハルさま、あいつらをどうするの? 兄さま」


 妹に問われて、ただでも憂鬱ゆううつそうだった彼の顔がますます険しくなった。

 彼——ジェラークという名の少女の兄は、城に書務官として仕えてる。

 おそらくその関連の書類であろう紙の束を机に置いて、彼は深くため息を吐きだし頬杖をついた。


「別に、……どうもしないそうだよ」

「どういうこと? だってあいつら、あんなにひどいことしてたよね」


 驚いて声をあげる妹を不機嫌な表情のまま見返して、ジェラークは唇を噛んだ。

 どうもしない、というのには語弊ごへいがある。だが、重役ではないジェラークに委細いさいまでは知らされていなかった。

 彼が把握はあくしているのはあくまで表面上の処置であり、彼が不満を抱いているのもそのことなのだ。


「オレが知るか。……確かに全員を放り込むほど城の牢は広くないし、かといって処刑もしないって言うんだから、どうもできないだろ」

「処刑しないの? あの方は、国王さまなのに」


 つい尋ね返したエティカだったが、それに対する答えを兄が持っていないと気づき、口をつぐむ。

 ジェラークは黙って机上の書類を睨みつけていたが、ふいに呟いた。


「あのひとは人間ではないから……オレたちの気持ちが解らないのかもな」

「そんなこと……」


 ない、と言い切ることをエティカは躊躇ためらった。

 それが兄の本心でないことは分かっていたが、それだけ兄が今回の件に傷ついたということをも察してしまったからだ。


「兄さま、今は考えても仕方ないよ。それより、ご飯にしよ?」


 居たたまれなくなり話題を変える意図も込めて促せば、兄はうなずいてくれた。支度をするため部屋を出た途端、無性に悲しさが込みあげてくる。

 あふれそうになる涙を袖で拭いながら、エティカは、自分の中に形をとり始めていた暗い想いを無理やり打ち消した。





 ライデア国は、ここ『青い風の島ウィザール』のほぼ半分を占める大国である。

 国家としての歴史も、豊かさも、他の国は及びもつかない。

 その背景には、国のおこりが伝承の時代にあり、はじまりの時より国王が代替わりをしていない、という特殊な事情がある。


 ライデアの国王ティリアル=ロ=ハルは、世界の創始に関わったとされるの竜族のひとりであった。

 竜族とは、人間と似た在り方でありながら人間よりはるかに長い寿命、強靭きょうじんな身体、膨大な魔法力を有する、そして巨大なドラゴンの姿に変幻できる種族である。

 彼らは同族同士で村を作り住むことが多いが、中には人間の国に住む変わり者もいる。その最たる例がライデア国王と、その義弟の時の竜だった。


 一般の人間にとっての竜族は未知の存在だが、ライデア国民にとっての竜族は自国の王だ。彼は気さくで近づきやすく、終始穏やかな存在だった。

 光に属する竜であった彼のことをいつしか人々は、敬意と羨望を込めて『太陽王』と呼ぶようになっていた。





 そうやって穏やかに歴史を刻んできたライデア国であったが、近年、隣国で起きた戦争、海路や港町を荒らす海賊たち、他大陸からの移民、などの対応に追われ不穏な陰を拭えずにいる。

 中でも最大の懸念けねん事項であった海賊の討伐が終わり、その事後処理やら今後への対策やらで積み重なった仕事もようやくひと段落したところだった。


 依然いぜんとして慌ただしい空気が張り詰めた王城内を、慌ただしく走っていく姿がある。癖の強い長めの銀髪と草色の目の青年である。

 常ならば、廊下を走るのは危険だからと率先して取り締まる彼自身がこうやって走っているのには、理由わけがあった。


「ハル!」


 勢いのままに扉を押し開け飛び込んだ先は、執政室。机に向かい何か書き物をしていた部屋の主が、目を丸くして彼を迎えた。

 ゆるく波うつ光色の髪を背に流し一つに束ねている。紫水晶アメジストを思わせる双眸は、いにしえ時代と変わらず穏やかだ。彼こそがライデア国王ティリアル=ロ=ハルそのひとであり、青年にとっては義兄でもある。


「どうした、アスラ」

「それは僕が聞きたいですよ!」


 青年——アスラは叫んで、持っていた報告書の束を机の上に叩きつけた。


「そもそも討伐だって何の相談もなしに一人で出掛けて片付けて、でも無事だったから良かったって思ってたのに! どうして捕まえた海賊たちを、また野放しにするんです!?」

「野放しではないだろう」


 声を荒げるアスラはたかぶった気分を反映してか、銀髪の毛先が重力に逆らい気味になっている。

 もとから膨大な魔力を宿しているゆえに時々それを制御しきれなくなる短気な義弟を、ハルは困り顔で眺め、答えた。


「奴らのアタマと話し合って、こちらの条件を飲ませた上での解決だ。平和裏に終わって何よりじゃないか」

「貴方にとってはそうかもしれませんが! そんな温情、誰が納得すると言うんですか。世論的にも国民感情にかんがみても、海賊は死刑が一般的でしょう?」


 言葉の最後はさすがに声を抑えつつも、アスラは強い口調で言い募った。

 捕らえた海賊たちを無罪放免にした、ということではない。被害を受けた者たちへの物的補償は国として行ない、身体的な害は国王みずからが癒した。

 しかし、加害者である海賊たちに再起の機会を与えるというハルの決断を、アスラはどうしても納得することができずにいた。


 国王の単身討ち入りによりこのたびの被害は最小限に食い止められたとはいえ、彼らの所業を遡れば慈悲をかける理由がない。

 過去において財産や生命を奪われた者もおり、今後彼らがどう償おうとそれがくつがえることもないのだ。

 何より、世論的にも海賊や盗賊のたぐいは極刑が一般的だ。

 それを踏襲とうしゅうしないという決断が国民にどう受け止められるのか——それをアスラは危惧きぐしている。

 さまざまな感情が入り混じる義弟おとうと表情かおを、ハルはしばらく黙って観察していたが、やがて、今度は優しく笑って言った。


「大丈夫さ、アスラ。今は私のやり方に不満を持つ者が多いとしても、いずれは分かってもらえるだろうよ」

「でも」

「アスラ」


 なおも続けようとするアスラを、ハルが止める。


「彼らだって、我々の国の民だよ」


 アスラは思わず言葉を飲み込む。彼が何を言わんとしているのか、分かってしまったからだ。

 当然のことだが、今まで『賊』としてしか海賊たちを認識していなかった。けれどハルにとっては彼らも『救いを必要としている人間』たちであるのだ、と。


 しかし、——そんなが果たして可能なのですか。


 胸に浮かんだ疑問をどうしても口にすることができず、アスラはただ息を詰めて視線を落とした。




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