第八章 その2 遠巻きミュージアム

 博物館に『カンカン亭』がオープンして最初の土曜日。まだ正午を回っていないにも関わらず、食堂前にはずらりと行列ができていた。


 元々評判の良かった料理人だ、新店舗と聞いてグルメ情報通が黙っているわけがない。11時のランチタイム前から食堂前に陣取っていた人々は次第に膨らみ、時間になるや否やわっとお客さんが駆け込む。一時的に行列は縮まったものの、そこから先は長くなる一方だ。


「こういうの見ると、30年くらい前の讃岐うどんブームを思い出すよ」


 受付に立つ私の後ろで、館長がぼそりと呟く。それに反応したのはえんでんおじさん姿のまま事務所で一休みする池田さんだった。


「瀬戸大橋ができたばかりの時ですね。小さかったからほとんど覚えてないですけど、毎日本州から旅行客がじゃんじゃんやってきて凄かったって親から聞いてます」


 今となっては流行を超えて定番メニューとして定着している我らが讃岐うどんだが、全国的に有名になったのは意外と最近の話だ。少雨で小麦の生産に適した香川県では江戸時代からうどんは庶民に親しまれていたが、県外まで広く知れ渡ったのは宇高連絡船や大阪万博で販売されたことがきっかけと言われている。さらに1980年代後半にはタウン情報誌での名店巡りコラムや冷凍うどんが人気となり、最大級のブームを巻き起こした。


 80年代後半と言えば瀬戸大橋開通も加わり、船出市としても最多の人口を誇っていた頃だ。その時代のエネルギーの大きさは、当時を知らない私には想像もつかない。


 ちなみに讃岐うどんブームについては『UDON』というタイトルで映画にもなっていたりするので、興味のある方は是非チェックを願いたい。


「これだけ来てくれたらワンチャンあるな。博物館存続も夢じゃない」


 休みを終えた池田さんがよっこいしょと立ち上がる。これから展示室に戻って、また子どもたちから引っ張りだこにされるのだろう。


 だが池田さんは私の脇を通るところで立ち止まってしまった。そして「あずさちゃん、どうしたの?」と眉を歪めて尋ねたのだった。


 池田さんに私の顔がどう映ったのかはわからないが、相当酷いものだったのだろう。


「お客さんは来ても……展示室のチケットは買わないんです」


 私は顔を見せないよう下を向いて答えた。


 そう、こんなにお客さんが来ているのに、多くが食堂で昼ご飯を終えるとそのまま展示室に寄らず帰ってしまうのだ。


 車社会である船出市では多少郊外に立地していることなどさしたるマイナス要素にはならない。当然、買ってくれるお客さんの方が多いのだが、だからこそすぐに出て行ってしまう人の流れが目立つ。まるで人気ラーメン店の隣でひっそりと営業している喫茶店のような気分だ。


「それは仕方ないんじゃないかな? ついででもチケットを買ってくれる人が増えただけありがたいと思わなきゃ」


 池田さんが困ったように答えると、ちょうど子供たちの「えんでんおじさんだ!」という声が聞こえる。サービス精神旺盛の池田さんはすぐさま「はい、どーもー!」と子供たちの相手に向かい、私は受付にひとり残された。


「仕方ない……のかな」


 そしてぼそっと呟く。以前シュウヤさんが言っていたことが心底わかった。何かがきっかけで来館したお客さんを、どれだけ展示室まで引き入れるかが大切なのだと。




「何かないかなー、良いアイデア」


 午後1時を過ぎてようやく巡ってきた休憩時間、私は事務室でスマホをいじっていた。


 この日、私は開店以来通っていたカンカン亭を利用できなかった。お客さんが多すぎて、とても1時間の休憩で昼食を終えられそうになかったからだ。


 しかしこんなのは予想の範囲内。通勤途中にコンビニで買ったツナマヨおにぎりを片手に、思いつく限りの言葉を検索にかけて展示室にどうやって人を増やすかのアイデアをひねり出す。


「リピーターを増やすのが大切ってのはわかってるんだけど……じゃあどうするってわけで」


「さっきから何ぶつぶつ言ってるの?」


 突如後ろから話しかけられ、私は心臓が飛び出るくらいに驚いた。振り向くと、そこには展示室から戻ってきたシュウヤさんが立っていた。


「は、はい。ちょっと調べものに熱中していて」


 いつの間にか思考が外に漏れ出ていたのか、恥ずかしい。とりあえず笑顔で取り繕うも、シュウヤさんは「調べもの?」と首をかしげる。この人は私のことを自分から何か調べるような奴だなんて思っていなかったのか?


「はい、どうやったら展示室にもお客さんを呼べるのかなって」


「それは展示に魅力があるのがベストだね。奈良国立博物館は毎年秋の正倉院展なんか2週間で20万人が来館する人気企画展だし、国宝展も多くの人を呼べる。伊藤若冲やゴッホなんかは名前だけでお客さんが来るレベルだし、最近は歌川国芳も人気だね」


「でも、そこまでのビッグネームなんてうちには……」


 呼べませんよね。饒舌に答えるシュウヤさんも「うん」とだけ小さく頷いた。規模の大きな博物館ほど人気な展示を実現し、さらなる人を呼び込む。余裕のない地方の零細博物館では無理な話、勝てる見込みなんてこれっぽっちも無い。


「だからこそ特定の層をピンポイントで狙うってのも、戦略としては強いんだよ」


「特定の層ですか?」


 私はきょとんと眼を丸めた。そんな私の食いつきに、シュウヤさんはさらにまくしたてる。


「そう、例えば目黒の寄生虫博物館とか東京ドームの野球殿堂博物館とかね。大学の時の友達にも、ミツクリザメだのダイオウイカだのの標本が見たいからって暇さえあれば何時間もかけて東京から三浦市の油壷マリンパークまで通っていたのがいたよ。そういうマニアックな需要に応えて強いファンを鷲掴みにするんだ」


「船出市なら……例えばうどん博物館とか?」


 さっき館長と池田さんが話していたのを引っ張ってしまったのか、真っ先に思い浮かんだのは私たちのソウルフードだった。


「そう、好きな人なら何回でも行きたくなるだろ?」


 得意に話すシュウヤさんを見て、私はなるほどなと納得した。一見しょぼいこの博物館の展示物もシュウヤさんの目には宝の山に映っていたからこそ、今この人はここにいる。こういう熱心なリピーターを多数獲得できるコンテンツを見つけ出すことが、私たち零細の博物館が勝ち上がる方法なのかもしれない。

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