第七章 その6 こだわりミュージアム

 ついに私たちにも昼休みが巡ってきた。時刻は1時過ぎ、レストラン『カンカン亭』の混雑もやや緩和し、今なら入ってすぐに席に着くこともできる。


 休憩時間の被った私と里美さんはふたりで入店すると、窓際の対面式の席に案内された。


 そしてメニューを開くと、カラフルで美味しそうな料理写真とは裏腹に、記載された価格にうーんと口をへの字に曲げる。


「意外と高いですね」


 一番安い定食で800円。職員割引を使っても640円。


 お昼は高くても500円まで、をモットーに生きている私にとってはなかなかの値段だった。これは普段から日常的に使うことはできない。


「あのお店の料理人を呼んだくらいだしね。安さよりも味と話題性を重視したのかもね」


 たしかに、以前悠里乃ちゃんたちと食べに行ったあのお店も、価格帯は普段の私なら選択肢に入ることすらないような高さだった。加えて讃岐牛やキュウセンなどの地元産の良品質な食材を使ったレストランと銘打っている以上、材料費だけでもそれなりにはなるはず。ワンコインでいただけるほど世の中は甘くない。


 いや、300円あればかき揚げトッピングうどんを食べられる香川県民の金銭感覚が若干おかしくなっているだけかもしれないけれども。


「とりあえず一番スタンダードそうな……『本日のおさかな定食』にします」


「じゃあ私もそれにしましょ」


 大抵、日替わり定食といえば手頃な価格でコストパフォーマンスも良い。売れ筋メニューであることを加味しても、この店の美味しさの基準といえるだろう。


 そして待つこと数分、運ばれてきたのはやはりキュウセンの塩焼きと小鉢、みそ汁にご飯と360度どこから見ても和食の和食。あの洋食屋さんとはまったく違っている。


 正直なところ、市内の大衆食堂ならばこれだけで780円はやや高いと思う。職員の胃袋を満たすためよりも、来館者にターゲットを絞っているのだろうか?


 だがそんな懸念も、少し焦げ色のついたキュウセンの身を口に運んだ瞬間にすべてどうでもよくなってしまった。


「あら、美味しい!」


「キュウセンってこんなに美味しくなるんですね。知らなかったなぁ」


 淡白な身にしっかりと塩が浸透して、味わいの深さをさらに演出している。火加減も絶妙なのだろう、しっかりと火を通しているはずなのに食感はぱさぱさなんということはまったくなく、むしろしっとりしている。


 極端に言えば魚に塩を振りかけて焼くだけのはずの塩焼きが、ここまで美味しく感じられるなんて思ってもいなかった。


 他の料理も文句なしだ。添えられたひじきの煮物も胡瓜のお新香も、メインの味を引き立てながらそれぞれが違った美味しさを持っている。とても800円では足りない、1000円払っても足りないと思うのではないだろうか?


「ご好評を頂けたようで、幸いです」


 そんな私たちの食べっぷりを見ていたのか、いつの間にやら机の隣に男性が立っていた。


 ふなで食品のいつもの営業の人だ。開店の手伝いに来ているのだろう、いつものスーツ姿ではなくホールスタッフが着用する黒いエプロンを着込んでいた。


「ありがとうございます。この味ならお客さんもここを利用するために博物館に来てくれそうですね」


 ガタイの良い男のエプロン姿に吹き出しそうになりながらも、私は男性に感謝する。この人が売り込んでくれなければ、カンカン亭が博物館に入ることも無かっただろう。


「当店の料理長が早朝から市場に赴き、その日最も活きの良い魚を選んで調理しています。メニューに何が上がるか、それは当日にならないとわかりません」


「本格的ねえ、こだわりのお寿司屋さんみたい」


 里美さんが感心した様子で焼き魚の最後の一口を食べ終える。単に定食を食べているだけなのに、どうしてこんなに艶っぽいのか、同じ女として最大の謎だ。


「料理長の腕は確かです、そこらのホテルや料亭にも負けていません」


 美人に褒められたのが嬉しいのか、男性は私には見せたことの無いほど誇らしげに胸を張る。私、ちょっと拗ねてしまいそうだ。


「そんな凄い人がここに来るなんて、なんだか信じられないなぁ」


 つい思ったままのことをぼそっと漏らす。だがそこで誤解を招きそうな言い方をしてしまったことに気付き、慌てて「あ、すみません。そういった意味では」と付け加えた。


「いいえ、本当のことですから。地方の一企業にはもったいないほどの職人です」


 男性はにこりと微笑みを向けてくれた。営業スマイルかもしれないが、それでも無事開店までこぎつけたことに対する安堵のような、本心も漏れ出ているようだった。


 だがその顔もほんの一瞬で豹変する。


「何度言えばわかるんだ!」


 何の前触れも無い、あまりにも突然のことだった。厨房の奥から聞こえてきたのは、男の怒号。ガシャンと何かが割れたような音もしたが、それさえもかき消すほどの大声だった。


「こんな盛り付けじゃあサラダが不味く見えるだろ! 色合いに気を配れって言ってんだよ、バカが!」


 あんなに楽しそうに食事をしていたお客さんたちもたちまち静まり返る。皆、箸を止めて固まっていた。


 営業の男性はああと頭を押さえ、小さく「またか」と呟いた。


「まずい……では、お食事をお楽しみください!」


 そう言い残すと男性はロケットのようなスピードで、厨房に駆け込んでいった。たしか元野球部と聞いたことがあるが、あの瞬発力を見るとその身体能力は今でも衰えていないようだ。


「何かしら?」


 里美さんも唖然とした顔で男の背中を見送る。


「たぶんですけど、あれが……」


 なんとなくだが心当たりがあった私は、大きくため息を吐いた。以前、営業の男性から聞いた料理人に関する不安。それはこういうことだったのか。

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