第26話あかり、真のキラキラ女子になる

 丸みのある毛束がそれぞれタイミングをずらして宙へ跳ねる。

 タイトなロングスカートにワンポイントTシャツ。キャンパストートの中には復習のためのテキストとノート、自作した弁当の容器。マイボトルの中身は一口分のレモングラスティー。

 「今日はどっちのバイトも休みだし、しっかり掃除してちゃんと勉強するぞ~!」

 この日の下校はあかりの単独だった。親友のまなみは、父の精神科通院の付き添いを理由に大学を休んでいた。

 学校外では今でも友情が続いているが、学内では互いの同級生と過ごす時間が増えた。夏休みが終わる頃にはあかりの存在感が周囲に馴染み、消ゴムを貸してほしいと声をかける年下の同級生が一人、二人と現れた。

 食堂では自作の弁当を除きに来たことがきっかけで、ランチを共にする友人ができた。

 まなみも人付き合いの恐怖を完全に払拭できたようで、あかりに手を降るとき常に三、四人の同級生に囲まれている。

 今では互いの知らない日常を口に出し合うのが一番の楽しみである。

 「おじさんの病気、早く完治したらいいな~。冬は鍋パしたいし」

 まなみにメールを送ってみようかな、とスマホを取り出したときだった。

 「あかり」

 キャラクターTシャツとクラッシュジーンズに身を包んだ男性が校門の前で立っている。

 顎の中心のみ二センチほど髭を伸ばし、髪は流行りの刈り上げにはちみつのようなブラウンに染めている。

 「電話、なんで出ないんだよ」

 「その声、カイト? なんか雰囲気変わったね」

 あかりは抑揚を限界まで抑えた声で問うが、あかりの視界はスマホが占めている。

 校門を出ると、カイトはあかりの後を駆け足で追う。

 「誰かと思ったよ。なんか別世界にいる感じがする。今まで飲み屋の女と一緒にいたんでしょ」

 あかりはスマホを耳に当て、赤信号を見るまで歩き続ける。

 「よく分かってるじゃん。さすが俺の女。バカなギャルどもとは頭の作りが違う」

 カイトはあかりの顔を覗くため、あかりの肩越しに背を丸める。

 その瞬間、あかりは咳き込む。これまで感じたことのないタバコの強い臭いを吸い込んでしまった。タールの量は恐らく十四ミリグラム。以前のカイトは十ミリグラム以下だったはずだ。

 「ど、どうした? あかり?」

 カイトがあかりの顔に手を伸ばすと、あかりは拒む代わりに自分のスマホを握らせる。

 『君が例の男か』

 あかりのスマホの画面には「テルヤ君」と親指の爪と同じくらいの大きさの文字が並んでいる。

 「あかり? ちょ、電話の奴誰?」

 あかりはカイトの顔を見ようとすらしない。

 『単刀直入に言おう。今後またに近づいたら、警察に通報する。あかりの彼氏として」

 そこで通話が途切れる。あかりはスマホをキャンパストートにしまう。

 「おい、あかり! どういうことだよ。俺という男がいながら……」

 あかりはようやくカイトを視界に入れる。揺らめく蝋燭ろうそくのように体を引きずる。

 「『どういうこと』? こっちのセリフよ。人を馬鹿にするのも、これで最後にしな。今まで貸していたお金は返さなくていいから」

 カイトは頭に血が上り、右腕で宙を押し上げるように振る。

 これは予想外だったので、あかりは目を見開き両腕で顔を庇う。

 あざ、残るかな。心の内で自身に問うた瞬間だった。


 カシャッ!


 カイトの腕がピタリと止まる。代わりに視線という暴力であかりの背後に威圧を与える。

 「睨んだって無駄よ。証拠はバッチリ掴んだから」

 「ゆうきさん……!」

 その瞬間、あかりは転倒してしまう。ゆうきのタブレットを奪おうと、カイトがあかりの肩を後方に押し、駆け出したからだ。

 ゆうきはタブレットをバッグの中に放り投げ、履いている鋭利なヒールをカイトの腹部に刺す。

 「世の中舐めてんじゃねーよ、クソガキが。失せろ」

 あかりにはゆうきが俯いて見えるので、表情を把握できない。

 開口して全身が震えるカイトで判断する他なかった。

 ゆうきが蹴り上げ、カイトを逃がした後の十分間、ゆうきは平然とした態度に戻り、ガラケーで通報した。

 一方、あかりはその場に座り込み、両手から溢れ出す汗を枯渇したコンクリートが貪欲に吸う。

 「ま、よく頑張ったんじゃない? あかりさん」

 ゆうきはあかりに手を差し伸べるが、腕を上げることすらできない。

 その理由を、ゆうきは察知した。

 「大丈夫よ、かわいいキラキラ女子にはあんな態度を取らないから」

 震える両手を引き、ゆうきは強制的にあかりを立たせる。

 逆らうことができず、あかりは涙を流しながら両足を震わせる。

 「やったじゃん、先月叫んだこと、実現できたし」

 「……そりゃ、言いました。言いましたよ? 『まだカイトを振っていない』って。でも、あんな怖い思いをするとは思わなかったんですもん」

 ゆうきは正方形のフェイスタオルを差し出す。相変わらずポケモンのモチーフが施されていたが、このときだけ、あかりは気にしない。

 タオルの繊維に液状化した化粧を吸わせ、鼻水で風船を作る。


 いつだったか、あかりは四つ目のステップで書き出したやりたいことを七つ書き出していた。そのうちの一つが、きちんとカイトと別れることだった。

 住を通して自分を磨いている過程の中で、あかりはカイトの人間性、自分への愛情を疑い始めた。

 何か月も連絡が取れないことで、あかりはカイトへの愛情そのものをも疑うようになり、SNSがきっかけで完全に気持ちが冷めた。

 カイトは飲み屋の女らしき人物と仲睦まじい写真をアップしていた。

 最初のアップから徐々に外見が派手になり、最終的には眉ピアスを施すまでになった。

 ホストとして働いているスーツ姿の写真も十枚ほどアップされていたことで、再会した直後、本当はカイトであると理解していた。

 それでも語尾を上げたのは、相手の態度を試すためだった。

 堕落した心身を目の毒だと判断し、あかりは視界に入れないように努めた。

 「それにしても良かったじゃん。新しい彼氏ができて。あの人でしょ? いつだったか、私のタイピングを褒めてくれたカフェの店員さん」

 あかりは頷く。動作には恐怖が表れていない。剽軽ひょうきんな態度に戻ったゆうきに安堵した。

 「これでもう、完全にクソヤローを忘れられるね。それより、どういう経緯で付き合うようになったの? テルヤさんと。交番へ向かいながら、簡単に話してよ」

 「え、え~? ゆうきさん、意地悪」

 首を左右に振るあかりは、嬉しさで目尻が下がり、唇が波を打っている。

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