第16話あかり、3rd ステップ

 「さぁさぁ、このゆうきさんががっつり鍛えてあげるわよ! あかりさん」

 マスクと伊達眼鏡、三角巾、そして割烹着姿のゆうきがトーンの高い声で天井に穴をあける。

 片手には生成りのハンドバッグ、もう片方の手には市指定のゴミ袋。

 「……ゆうきさん、念のために訊きますが、その格好で電車に乗りませんでしたよね?」

 「だからロングコートを着たんでしょう? それよりコートをかけるから、ハンガーを貸してちょうだい」

 ジーンズに包まれたあかりの両膝が地に着く。両手は意識して宙に浮かせる。

 「せめて、私くらいラフな格好で電車に乗ってくださいよ。恥ずかしい」

 メンズライクのネルシャツを着たあかりのトーンが一段階ずつ下がる。

 「そりゃあ~、恥ずかしいわよね。こんな埃だらけの部屋に住んでいるんだもの。良かったわ、黒の靴下を履いといて。真っ白だと汚れが気になっちゃうものね」

 かわいいキャラクターグッズが大好き、だけどなぜかLINEのスタンプは美川憲一を愛用、そして人の話を聞かない中学ジャージ姿。胸元にハートのアップリケが付いた割烹着。

 飄々ひょうひょうとしているが、ときには瞳で地獄の炎を見せる。そんなゆうきに、あかりは何度も感情を揺さぶられた。

 何を考えているのかさっぱり読めない。親友のまなみをキラキラ女子に変えた力がどこに宿っているのかすら見当もつかない。

 あかりは悔しさ半分、困惑半分の気持ちでゆうきを見上げる。若者をあしらうゆうきがどこまであかりの本心を見抜いているのか、どの範囲で見て見ぬふりをしているのかも、中学ジャージというオブラートに包まれたままだ。

 「もう、やる気あるのかしらね~? 今日も大事なステップを踏むというのに。三つ目のステップ、まさか忘れたとか言うんじゃないわよね?」

 「忘れていませんよ。『楽チンお掃除術! ズボラなインテリアアドバイザーが実践しているコト』でしょう? ってか、ゆうきさんって本当にズボラなんですか?」

 あかりはゆうきが手に提げている生成りのハンドバッグを指さす。マチのないバッグは許容範囲を明らかに超えている。立体化した力士を連想させる。

 「ま、O型の実力を見てみなさい。まずはこれ、はい」

 ゆうきは柄の短い、十本以上の毛束がそれぞれふんわり広がったほうきとちりとりを取り出す。

 「掃除機ってね、意外とごみを取り出しにくいのよ。とくに部屋の四隅は。安物だったら、なおさら」

 クローゼットに隠していた中古の掃除機を、ゆうきはあかりの前で取り出す。

 「懐かしいわ~。私もかつてはこんなのを使っていたの。でもね~、吸い込み口にす~ぐゴミが溜まって、使い物にならなくなっちゃった。だから処分したわ」

 あかりは受け取った箒とちりとりを握りしめる。自分が倹約しなくてはならなくなった、この場にいない原因の扱いを脳内でシュミレーションしている。

 「うだうだしないで、さっさと掃くのよ。って、まさか使い方を知らないとか言わないよね? 学校で習ったでしょう」

 「知っていますよ、それくらい」

 あかりは四隅を除いた部屋全体を箒で撫でる。三秒もしないうちに、ゆうきがあかりの両腕を掴む。

 「分かっていないじゃない。いい? 本当の使い方はこうよ!」

 ゆうきは箒とちりとりをあかりから奪い、腰をかがめる。

 黒い靴下は滑るように速く前進する。あかりがハンドバッグから無断でマスクを取り出し装着するまでに、ゆうきは六畳一間分の細かいちりをちりとりに集める。四隅にも髪の毛が一本も残っていない。

 「すごい、ゆうきさん。神業かみわざですね」

 あかりは心に温もりを感じ、何の疑問を持たず拍手する。

 「すごいでしょう? 箒がね。これなら、深夜でも掃除できるし、騒音でお隣さんにも気を遣わないで済むわ」

 「しかも短時間でここまできれいになるなんて!」

 ゆうきは蝶番ちょうつがいのクローゼットの裏面にバスタオルを当て、画鋲がびょうで固定する。

 「ほら、これで掃除道具が見えなくなるでしょう? しかも箒もクローゼットの中身も清潔に保てるわ」

 「それで、ゆうきさん! 次は何をすればいいんですか?」

 あかりは入居したての状態に戻った部屋に心がさらに温もり、ゆうきの中学ジャージ姿が気にならなくなった。

 「まぁまぁ、慌てなくてもいいでしょう? あなたには真のキラキラ女子になれる要素がすでにあるんだから。そうね~」

 ゆうきはハンドバッグに手を突っ込む。あかりは一秒たりともゆうきの動きを待つことができなくなった。

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