第13話あかり、1st ステップ

 「あーあーあーあー! 見事に片付いちゃって。夜逃げでもしてきたの?」

 ゆうきの落胆する声が隣室に聞こえないかと心配になるあかり。

 マスクと三角巾を外そうとするゆうきの手を、全身に力を込めて阻止する。

 「ま、ナメクジが出るよりはマシかしら。それにしてもこの殺風景、色気もクソもないわね」

 「色気なんて要りません!」

 ベッドとローテーブルのみ置いてある部屋にて、あかりは羞恥よりも怒りを感じる。

 あかりの恋愛事情を察知したゆうきが「色気」という言葉を口にすると思わなかったからだ。

 「そういうことじゃなくてね~、女子特有の柔らかさ、温かみのことを言っているんだけど。すぐ男性と連結する癖、やめないと苦労するわよ~」

 ゆうきはあかりの手に逆らわず、マスクと三角巾、そして割烹着を預ける。

 あかりは出した両手を引くこともできず、ゆうきに導かれるままだ。

 「せめてクッションを置いたら? ここフローリングだし、冷えるでしょう? 女子の大敵よ、下半身の冷えは。ま、今日は座らせてもらうけど」

 ゆうきはローテーブルに並ぶよう、両足を伸ばす。フローリングを叩かれ、あかりはゆうきの隣に腰を掛ける。

 「本当はね、自室をお城にするためのステップが五つあるの。でもこの状態だと飛ばしていいステップもあるわね。でも一気にすると長続きしないから、一つずつ提案させてもらうわ。いいわね?」

 「早く言ってください、ゆうきさん」

 胡坐あぐらで座るあかりが急かす。すぐにでもキラキラ女子になりたい心と休まりたい体が連携を取っていない。同性が隣にいるということですっかり油断している。

 ゆうきは左手であかりの太ももを叩き、右手でカバンの中身を取り出す。

 ジーンズを履いているので、あかりの太ももは赤くならない。それでも圧力を感じ、体育すわりにて両太ももをこすり合わせる。

 「その姿勢で書けるの? テーブルで書けば楽なのに」

 ゆうきは一枚の紙をバインダーに挟んで手渡す。あかりのもう片方の手に握らせたのは、ポムポムプリンのマスコットがトップに付いたボールペン。

 「げ!」

 ボールペンは見慣れているはずだったが、あかりの目が引きつる。チャックの開いたバッグから、ゆうきの私物の一部が見えた。

 ハンカチ、ペンケース、化粧ポーチ、パスケース。すべてがポケモンのイラストが入っているか、無地でもフリルが付いている。

 「あら、私のワンダーランドに入りたいの? 残念ながら人間サイズに合わないのよ、私のバッグは」

 「残念で良かったです。本当に!」

 あかりは腹部に力を込めて声が低くなる。視界を渡された紙で埋め尽くすよう、顔を近づける。あかりの猫背を、またしてもゆうきが無言で叩く。

 強制的に背が伸びても、あかりはゆうきのバッグを見ないように意識する。

 「まずは、最初のステップ。名付けて『おうちでできるコトが三つ増える! ONLY ONEの部屋で何をしたい?』目的があってこそ、何事もうまくいくのよ」

 ポムポムプリンがゆうきの声を借りて話しかける。現実と幻の区別がつかなくなったが、辛うじて自分のフルネームを紙に書くことができた。

 「今のお部屋でできることなんて、寝るか食べるかのどちらかだわ。生きる義務だけ。楽しくも何ともないでしょう?」

 「まぁ……そうですね」

 表情を変えないポムポムプリンに、あかりは敬語で答える。

 「だけど、これがオシャレで清潔な部屋だったら、何ができる? 勉強に集中できるかもしれないし、カフェと違って料金を気にせず紅茶をおかわりしながらでも十分はかどるはずよ。そうそう、あかりさん、カフェにバイトを変えたんですって?」

 「そうですね、プリンさ……じゃなくて、ゆうきさん」

 あかりは目を瞑って首を左右に振る。ポニーテールが弾けて、実在のゆうきの顔に当たる。ゆうきが毛先の攻撃から自身を守っている姿を見ることはない。

 「で、何ですか、できるコト三つって? 早く教えてくれませんか、プリ……じゃなくて、ゆうきさん」

 指で頬を弾かれ、あかりはようやく狭間から現実に戻る。ため息をついたゆうきが視界に入る。

 「だからあなたにボールペンを持たせたのでしょう? 自分のことは自分で考えなさい。自分の人生なんだから。今持っている理想を三つ書くだけなんだから、簡単でしょう?」

 「三つ、だけ……ですか?」

 あかりは自身の高校時代を思い出す。親元を離れて大学に通う姿、理想のライフスタイルをいくつも挙げては、地元の友人との話題に花を咲かせていた。

 メイクをばっちりする、髪を染める、バイトを通じて彼氏を作る、毎日カフェのフラッペを飲む、サークルに入って毎週末は飲み会。ほかにはファッションの着回しや流行を追った美容室に通うことも、教室で語った。細かく分別すれば二十は下らない理想を、たった三つに絞っても良いのか。過去にライフスタイルの師範がいなかったことで、あかりは迷う。

 「どうしても! どうしても私のようになりたいのであれば、別にいいのよ。真似したって。あくまであなたの人生らしく、だけど」

 あかりは無言でゆうきの全身を舐めるように見る。

 大好きなキャラクターに囲まれ、羞恥の欠片も感じない。言いたいことははっきり言って、人を手玉に転がす。独身を謳歌するアラサー。追記すると、戦闘服は中学時代のジャージ。

 「……恐れ多いです。自分で考えます」

 十年後の自分も重ねて想像してみる。過去いまの自分にイタイと言われることは何よりの羞恥だった。

 「遠慮しなくてもいいのに」

 「いえ、さすがにそこまでは甘えられません」

 あかりはポムポムプリンと見つめ合う。きょとんとした無機質な人形がドスの利いた声で訴えている気がした。早く書けよ! と。

 主人に似てくるのか、と驚くが、一度ゆうきに懇願したあかりは怯むわけにはいかない。

 まなみとの友情のために、そして自分自身のために自分を変えると決めた。あかりは前に進むことだけを考える。

 「ゆうきさん、些細なことでも良いんですよね? この部屋でしたいことであれば」

 ゆうきは頷いたが、あかりが見つめているポムポムプリンは微動だにしない。

 「私は……」

 一番したいこと。一番を譲れない三つのことを、あかりは戸惑うことなく文字として連ねる。

 ポムポムプリンもゆうきも、真剣な姿を無言で見守る。ポニーテールはセーターの静電気で貼り付いている。おそらく安物の人工繊維でできているのだろう。

 あかりがこれまでカイトとの半同棲生活と両立するために、安物に見えない安物の服で生活をやりくりしていたことを、髪が物語っている。

 そんな思いは二度とさせない。ゆうきの密かな決心は、あかりに届かない。

 ゆうきの課題に集中しているからではない。ゆうきがまなみにすら話していないからだ。

 十分経ったところで、あかりはポムポムプリンを持ち主に返却する。

 ゆうきの手に渡ったことで、ポムポムプリンが横着なおっさん化したと感じたが、あえて口にしない。

 あかりはすでにゆうきがステップを踏み始めている。下らないことに囚われる暇はない。

 「なるほど……いいじゃない、あかりさん。これを現実にするために努力を惜しまないわね?」

 「はい!」


 あかりが記した三つの目標


 一、親友のまなみと紅茶を飲みながら試験勉強をする

 二、まなみと彼女の父親、自分の両親を招いて食事会をする

 三、ちゃんと浴槽に入って、入浴剤の移り香に包まれて体を休める。


 はたして、あかりは三つのことを実現できるのか?

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