第8話あかりのハートフルな断捨離

 「え、ゆうきさん? せっかく掃除機をかけたのに、何を広げているんですか?」

 掃除機に溜まったゴミを捨てながら、あかりが尋ねる。まなみは重力で埃が舞い散らないよう、素早くゴミ袋に封をする。

 あかり、まなみ、そしてゆうき。窓を全開し換気をする中、三人とも割烹着にシャワーキャップという男っ気のない恰好をしている。ゆうきの提案だった。

 中でもゆうきは裾が解れた黄緑色のジャージという、羞恥の極みを全身で表している。

 後に二人が訊くには、同級生の男子とけんかを繰り返してすり減った中学指定のジャージということだった。ゆうきのフルネームがトップス、ボトムスともに刺繍されている。

 「さぁさ、できましたよ。断捨離ボックス! アンド断捨離バッグ!」

 「……そのまんまですね。だから大量に段ボールを持参したんですね」

 リビングに広げられたのは、一人用ローテーブルが解体されないまま入りそうな大きさの段ボール四つ、四十五リットルのビニール袋二つ。そこにゆうきが自立したポップを添える。

 「あかりさん、これの通りに、今あるもの全部! 分けてください」

 「え、全部?」

 あかりは一周自転する。キッチン、トイレ、バスルームを含めた全部という意味に、ゆうきが頷く。

 「先生、それ無理ありますよ。いくら私も手伝うったって、さすがにあかりの私物を処分するにも限界がありますし」

 「だからあなたがいるんじゃない」

 光の屈折で、ゴーグル越しの眼差しが見えない。声はマスクで覆われ、適度な低いトーンになっている。躊躇う若者にいら立っているのか、呆れているのか。もしくは得意げになっているのか。ゆうきの感情が伝わらない。

 「いいですか? あかりさんはまず、三つのカテゴリーに物を分けてもらいます。確保、売却、そして捨てる。『捨てる』のみ、こちらのゴミ袋に入れてくださいね」

 ゆうきは無地のゴミ袋にガムテープで固定する。市町村にもよるが、市指定のゴミ袋を貼れば、多くの地域では百円ショップのゴミ袋でも出すことができる。

 「ここで一つ絶対条件! 一つの物を手に取るのは三秒まで。判断の基準は以下の通りです」


 □それ、季節問わず半年の間で一度でも使った?

 □それ、手に取って、何かしたくなったりワクワクする?

 □それ、高かったとかなんとか言って、使うのに躊躇っている?

 □そもそも、それ、惰性で何にも考えずに買った?


 「一つでも当てはまるようであれば、即売却か処分してください。今のところは売却方法は考えなくて大丈夫です。大きな傷がなければ『売却』ボックスに入れてください。そしてまなみさん」

 ゆうきはまなみの背を押し、キッチンへ誘導する。

 「ここはね、比較的第三者の目が有効な場所なの。あかりさんがリビングを片づけている間、ここをお願いね」

 「え、でも先生。私、料理とか苦手で……」

 ゆうきは食器が埋められているシンクに目を向けるよう、まなみのシャワーキャップがずれないよう、後頭部に圧をかける。

 「あら、だったらなおさらいいわね。料理好きな人って色々こだわるから、キッチン用品が増えるのよ。料理にこだわりがなければ道具の数や種類がシンプルになるから、ここはまさしく、まなみさんに打ってつけね。食器を洗ってから断捨離を始めてね。それまでに私は断捨離ボックスを作っておくから。基準は次の通りよ」


 □ほかの食器とコーディネートできるデザインなのか?

 □一食で使用する際、使用する皿の枚数が二、三枚で済むようなデザインか?

 □飲んだり食べたりしやすく、なおかつ洗いやすいか?


 「これが一つでも当てはまれば、確保しておく価値があるわ。食器はできるだけ装飾の少ないデザインがお勧め。調理器具も同様。火の通りや使いやすさも重要なポイントね。使いやすさといっても、多機能である必要はないわ。そして、あかりさんの親友であるあなたにとっておきのポイントを一つ」

 ゆうきはマスクを外し、まなみに耳打ちする。

 「え、そんなことでいいんですか?」

 「あなただからよ」

 ゆうきはマスクを装着し直し、右目の瞼を弾く。

 まなみは複雑なポイントを提供されると思っていた。予想を裏切る言葉を耳に入れ、マスクを取り外す。口内に埃が入らないよう、上下の唇を一センチ離した状態をキープする。

 あかりにはその声が聞こえない。言語不明の声を発し、すでに断捨離を始めている。

 「さぁさ、まなみさん、始めちゃって! 私はあかりさんの様子を見てくるわね」

 「……はぁ……」

 まなみは胃が捻られたような、目に見えない曲線を息で描く。首を左右に揺らしながらシンクの蛇口を捻る。住人に遠慮して、給湯の蛇口は固く締めたままにしておく。


 ジャージに割烹着姿のゆうきが近付いても、あかりは両肩が上がることすらなくなった。奇抜な姿を見慣れた証だ。

 「あらまぁ、ここまで思い切ったお客様はあなたが初めてよ、あかりさん」

 ゆうきとあかりを隔てる小さな山――「売却」と「捨てる」に分かれた物でできている。「確保」は洋服や化粧品、下着、大学で使う教材だった。

 「……」

 あかりは何も答えない。ゆうきはそれ以上言葉を発しないことにした。表情こそ見えないが、惜しみなく曝け出す雰囲気に棘がある。

 ゆうきはお勤め時代から自営に至るまで何千、何万という人間を見てきた。経験上、そっとしておくのが一番だと判断する。

 「先せー……」

 水を弾く腕を晒したまま、まなみがゆうきのもとに駆け寄るが、ゆうきはマスクに人差し指を立て、呼び声を遮る。

 まなみの肩を押し、玄関の扉を開けさせる。まなみもまた、ただならぬ空気を察知したので、両手でマスクを覆い無言を努める。


 「もう、喋って大丈夫よ」

 ゆうきは外側の扉に体重をかけ、自分のマスクを外す。

 その声はまなみにだけ聞こえるような小声だったので、まなみもゆうきにだけ届くように声を抑える。

 「あのポイント、すごいですね。あれ一つで食器が片付いちゃったんですから」

 「だから、親友の力が必要だって言ったでしょう? 『あなたが出されてうれしい物だけを選ぶ』っていうポイントが」

 ゆうきはポケットから取り出し、まなみに手渡す。

 「割烹着とシャワーキャップは預かっておくから、そこのコンビニに行ってきてくれない? 三人分の飲み物は、空き容器を処分しやすいよう、紙パックにしてね。もちろん、このポイントカードにポイントをつけてもらって。その間、分別した食器をあかりさんに最終確認してもらうから。手伝ってくれて、ありがとうね」

 駆け足で階段を降りるまなみの背を見送り、ゆうきは玄関のドアノブを握りしめる。

 「さぁて、この後どうなるかしらね~」

 耳を当てると、小刻みに途切れる声が微かに聞こえる。

 音を立てないよう細心の注意を払いながら玄関を開けると、あかりはゴーグルを外している。

 「あ~あ~、あかりさんってば」

 ゆうきは二つ目のポケットから取り出し、あかりにハンカチを差し出す。

 奪うように受け取ったあかりは、ゆうきを見ようともしない。

 「……どうして、気づいたんですか? オトコのこと」

 

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