砂糖菓子の声

「それで、どうしたの?」

 隣から幼馴染の仙葉萌花せんばもえかが、サナとの出会いについて話し終えて一息ついた凛子の顔を、目を見開いて覗き込んできた。

「それで……帰って、お母さんにパーカーお洗濯してもらった」

 凛子がぼんやり答えると、萌花はゆるくパーマがかかった長い髪を揺らしてがっくりとコケた。

「いや、そうじゃなくて」

 凛子と萌花は、大きなガラス窓の前にある長椅子に並んで座り、外を眺めながら話していた。

 二人の背後にある障子戸の向こうの室内からは、控えめに、でもそれなりに賑やかな声が聞こえている。時々、真っ黒い服を着た大人達が出入りしている。

「その、サナって人と、また会えたの?」

 萌花がぐいっと顔を寄せてきた。

 少したれ気味のまつ毛の長い目が、上目遣いに凛子を見つめる。

「うん」

「いつ?」

「夏休みに入ってすぐ……初日に」






 凛子は、夏休み初日の事を、萌花に説明すべく思い出した。

 夏休み初日の朝。凛子は両親が仕事に行った後、家を出た。以前サナと出会った時とは打って変わって、よく晴れた青空だった。

 今日はよく晴れて暑くなると天気予報で言っていたので、袖にレースのついた白いTシャツに、ひざ下までの長めの黄色いスカートという服装で来た。髪はいつもと同じく二つに分けて、いつもよりゆるくシュシュで結っている。

 あの娘――サナがいるかどうか、ドキドキしながら狭い路地を、車に遠慮しながら端に寄って歩く。

 小さなリュックを背負い、左手に持ったお気に入りの雑貨店のショップバッグの中には、あの、お香の香りがする黒いパーカーが、きれいにたたまれて入っている。

 歩を進めれば進めるほど、ドキドキが強くなっていくので、凛子は「大丈夫。大丈夫。いなかったら駅前のショッピングセンターにでも行って、ブラブラして帰ればいいし」と心の中で自分に言い聞かせていた。

 シャッター商店街と化した路地を抜け、小さな川にかかる橋を渡り、あの個人医院の駐車場が視界に入ってきた。

 今は診察時間内なので、車が何台も停まっているし、人の気配もちゃんとある。

 凛子は緊張して、駐車場を覗き込んだ。

 サナの姿は見えなかった。

 奥の方や車の陰にいるかもしれない。

 もっとよく見てみようかと一歩前に出て、背後に車の気配を感じた。

 ハッと振り向くと、軽トラックに乗った老夫婦が困り顔でこちらを見ていた。

 凛子が邪魔で駐車できないのだ。

 凛子は慌てて端へ避けて、ぺこりと頭を下げた。

 軽トラックが駐車場へ入っていくのを背中に感じながら、小走りで個人医院の前を通り過ぎる。

 ――絶対、不審者だ、私!

 凛子は真っ赤な顔で俯いて、早歩きで進んで行く。

 個人医院の隣にある民家の、塀の切れ目まで来たところで、急に何かが凛子の腕を引いた。

「ひゃあっ」

 凛子は間の抜けた悲鳴を上げて振り向いた。

 凛子の腕を、塀の内側から伸びた、ハリガネのアーマーリングが付いた手が掴んでいた。


「あっ」


 腕の主はサナだった。

 見間違えようのないホワイトアッシュのショートボブ。

「しっ! 早く早く!」

 サナは凛子の腕を強く引いて、塀の中へ引き込んだ。

 凛子はよろめきながら塀の中へ入り込む。

「おっと、大丈夫? 強くひっぱっちゃった。ごめんね」

 今日のサナは、白い長袖のシャツに黒いジレを着て、ダメージジーンズのショートパンツ姿だった。

 パープルの履きつぶされたスニーカーが目を引いた。

「あっあの、これ!」

「こっちこっち」

 凛子はすぐにパーカーを返そうとしたが、サナは凛子の手首をそっとつかんで敷地の奥の方へと誘った。

「え? あの……」

 ――ここって確か……。

 今、二人がいる場所は、凛子が幼い頃に住人が引っ越して以来ずっと空き家で、この辺りの子供たちから「お化け屋敷」と噂されているところだった。

 凛子は恐る恐る顔を上げて、民家を見た。

 人の気配がしない二階建ての住居は、レンガ調のタイルの外壁に、たくさんの緑の蔦が這い回っている。

 見るからにおどろおどろしい。

 サナは、凛子の躊躇ちゅうちょなど全く気にも留めない様子で、家の裏手までぐいぐいと引っ張っていく。

「あ、あの、えっと……」

「あ、さては、オバケ出るとか思ってるでしょ!」

 サナがほっぺをぷくっとふくらませて言った。

「出ないって! ここ、アタシん家だもん!」

「えっ?」

「来て来て!」

 サナは弾んだ声で楽しそうに言った。

 家の裏には小さな庭があった。

 雑草もたくさん生えていて、長年手入れされていないのは明らかだったが、緑の葉が活き活きとした木や、雑草に埋もれた花壇もあって、以前はきれいなお庭だったろうこともうかがえた。

 家の屋根が大きくせり出した下に、その庭を見渡すように、公園にありそうな丸い木のテーブルと、切り株型の椅子が設置されていた。

「かわいい……」

「座って座って!」

 サナはにこにこ嬉しそうにして、切り株の椅子を指した。

「あたしがしょっちゅう使ってるから、椅子はきれいにしてあるよ!」

 そう言いながらサナは、凛子に指した向かい側の切り株にすとんと腰かけた。

 凛子も、少し遠慮しながら座った。

「あ、あの、これ、ありがとうございました」

 凛子はドキドキしながら、パーカーが入った袋を差し出した。

「あ、このショップ、かわいいよね!」

 サナは袋を見るなり嬉しそうにそう言うと、パーカーを袋から取り出して広げた。

「わっ、洗ってくれたんだ? ありがと!」

 サナはそう言うと、さっそくパーカーを羽織ってフードをかぶった。

 凛子には死神か魔法使いか、そんなファンタジックな姿に見えた。胸がドキドキした。


 ――カッコイイ……!


 きっとこの黒衣の、ホワイトアッシュヘアのきれいな少女は、凛子が抱えるコンプレックスや悩みなど、歯牙にもかけないのだろう。

 何となく、そう思った。

「ね、ね、名前聞いてもいい? アタシはサナ! 前も言ったけど!」

「あ、はい。凛子です。月沢凛子」

 サナは凛子の名前を聞くなり、目を見開いてテーブルの上に身を乗り出した。

「ナニソレ! カッコイイ名前! いーなあ!」

「えっ? えっと、そんなこと、ないです」

 凛子は慌てて手を振りながら否定した。

「そんなコトあるよ! だいたい、アタシがカッコイイと思ってるんだから、アタシ以外の人がそんなコトないとか言っても、カンケーないし!」

 凛子の胸はいよいよ高鳴った。

 ――自分以外の人の言う事はカンケーない。

 そんな風に思えたら、どんなにいいだろう。

「あ、あの、ここに引っ越してきたんですか?」

 凛子は家をちらりと見ながら聞いた。

 先ほど「アタシん家」と言っていたし、田舎では目立ちすぎる外見も、どこか都会から引っ越してきたのだとしたら納得できる。

 それにしても、家に人の気配は全くないのだが。

 全ての部屋はカーテンが閉まっているし、物音も何もしない。静まり返っている。


「うーん……まあね。今は住んでないけど」


 サナはへらへらと笑いながら言った。これまでのサナと違って、歯切れが悪い。あまり聞かれたくないことなのかもしれないと、凛子は思った。

「ね、ね、そんなコトより、ジョートー高校だっけ? 何年生?」

「え、えっと、一年です」

「そっか、一年生か! おっと!」

 突然、音楽が流れた。同時にブーブーという振動音が聞こえる。

 サナは弾かれたように立ち上がり、隣の椅子においてあったボディバッグからスマートフォンを取り出した。

音楽が鮮明に聞こえた。


 ――あ!


 鳴っていた着信音は、凛子にとって聞き飽きるほど聞いてもなお愛しい音楽だった。


 ――しゅくる!


 「しゅくる」とは、十代の若者に大人気の「歌い手」だ。

 「歌い手」は、他の誰かが自主制作した音楽などを歌って、その動画をインターネット上で公開している人たちのことで、多くが顔を隠して活動している。アマチュアに近い存在ながら、ネット上で人気が出ればプロデビューすることもある。

「しゅくる」はその「歌い手」たちの中の一人で、昨年プロデビューした女性ボーカリストだ。

 プロデビューしてからもずっと、顔を出さずに活動している。


「うん……うん大丈夫。ん……トモダチのトコ」

 パーカーのポケットに片手を突っ込んで、いやいやするように、小さく左右に揺れるサナの背中を見ながら、凛子の胸はときめいていた。

 ――しゅくるのこと好きなのかな?

 ――さっきの着信音、どのアプリでダウンロードしたんだろう。まだ配信されてなかったと思ったけど。

 凛子が心の中で、しゅくるの話をしようかどうか葛藤しているうちに、サナは電話を終えたようだった。

 スマホの画面をフリックしたまま数秒眺めてから、ぴょこんと跳ねるようにしてこちらに振り向いた。

「ゴメンゴメン」

 サナは笑顔で席に戻った。

 凛子は勇気を振り絞って声を出した。

「あの! しゅくる……好きなんですか?」

「へっ? しゅくる? あ、さっきの電話の? うん。好き。知ってるんだ」

 サナは驚いたような顔をした。田舎では歌い手のファンは珍しいのかもしれない。凛子のクラスの友人たちの中でも、しゅくるを知っている子はほとんどいなかった。

「あの、私、しゅくる、大好きで。でも、あんまり周りで知ってるコ、いなかったから」

 凛子は顔が熱かった。きっと真っ赤な顔をしているのだろうと思うと、ついついうつむいてしまう。

「アタシもアタシも! 大好きしゅくる! 知ってるコ、少ないよね!」

 そう言ってサナがテーブルの上に身を乗り出した。

 凛子が恐る恐る顔を上げると、サナはキラキラした瞳で凛子を見ていた。

 凛子はなんだか嬉しくなった。

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