第7話 年賀状と手書きの話
年末である。
気が重くなる人も多いだろう。
私は暇を見て少しずつ後片付けや掃除をしているので気が楽だ。
何せ、気楽な独り身。
年越し蕎麦はここ数年、某緑のタヌキである。
お雑煮用の材料もそろえ始める。
大晦日はほぼ、ぼけぇと好きなネットや本を読んで眠気がきたら湯たんぽを忍ばせた布団の中で寝る。
そんな私でも、気が重くなるものがある。
年賀状だ。
始めに断っておくが私は年賀状自体は好きだ。
目の前には印刷を終えた年賀状が輪ゴムに止められある。
別段、TwitterをはじめとするSNSを否定するつもりは毛頭ない。
ただ、私は自分でも呆れるぐらい、面倒くさいことが嫌いで先々で手を打っておくことが好きだ。
それに正月に変わるまで起きているのも自信がない。
何より年賀状が便利だと思う理由は、「簡単に消せない」ということにある。
私は自分が『自己は他人によって作られている』と考えている節があり、人とのつながりは怖いものであり大切なものだと思っている。
『
そして、その『縁』がどう形を変えるか分からない。
今は気に入らない相手は指先一つで削除できる時代であるけど、そこには『縁』が薄いように感じる。(個人の感想です)
さて、年賀状を書いていると時々、『年賀状は手書きで書け』と言われることがある。
これが私の気を重くさせている。
確かに『年賀状ぐらい手書きで書け』と言われる。
だが、私は字が恐ろしく下手なのだ。
また、絵のセンスや構成も分からない。
はっきり言って本人が見ても萎えるほどだ。
そして、手書きを推奨する人は言うのだ。
「字のきれいさは心の美しさ」
これが、どれだけ私の心を傷つけたかを言っている本人たちは知っているのだろうか?
中学生時代に父が仕事場のワープロをお下がりでくれたからこそ、私は今でもこうして物が書ける。
『手書き全てを止めろ』
というわけではない。
ただ、パソコンやスマートフォンを使う人を無下にしてほしくないのだ。
私は、年賀状を作るとき住所管理やウィザードに大変助けてもらっている。
使えるものを使いたい人は使う。
使いたくない人は使わない。
それだけの話。
まあ、本当に気心知れてお世話になっている人は手書きでひとことぐらい書いているけど。
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