45.凄腕の女剣士
「まずいよね…… 蔦重さん」
「そうですなぁ。土岐殿。こりゃご浪人様が納得するのは……」
納得するわけがない。ここいる浪人――
俺の身辺警護役として募集した人のひとり。
俺は、ちらりと横目で六尺(一八二センチ)はあるかという浪人を見た。
江戸時代では破格の巨体といっていい。
#嗤__わら__#っていた。
笑うじゃない。「嗤う」だ。
目の前に現れた女剣士をジッと見つめてい嗤っていた。
己に対する侮蔑への怒り。そして殺意すらあふれ出しそうな双眸で女剣士を見ている。
そして、唇だけが横になった三日月のよう吊り上がっている。
とてもじゃないが「正式な採用予定の人が来ましたのでお引き取りください」といえる雰囲気じゃない。
全身が漆黒のベタで塗られ、殺意を帯びた目と嗤いの形を作った口だけが浮き上がっているようだった。
もうそれは「作画:平野耕太」のような感じだ。
そもそも、天下の老中・田沼意次が推挙する人物がやってくるということから、他の希望者は事前にお断をいれてある。
だが、この浪人だけは納得せず俺の新しい屋敷にやってきた。
要するに「それは筋が通らない」ということ。
そして「選ばれた人間が自分より上である」ということ見極めるためにここにいるのだ。
で、やって来たのが女剣士だ――
しかも団子を食いながら、悠々とやって来たわけだ。
「さて……」
団子を食べ終わった女剣士は、口を開いた。
刃のような視線をむける浪人を見やる。その凶悪な視線をそよ風ほどにも思ってないように見えた。
「身辺警護は、わたしだけと聞いていたのですが。こちらのご浪人は?」
#市山結花__いちやま ゆいか__#と名乗った女剣士はいった。
爽やかな風のような声だった。
「なるほど面白きものよ―― 待った甲斐があったか……」
浪人が低く響く重い声で言った。こっちにとっては、全くもって面白い状況じゃない。
少なくとも俺にとっては最悪だよ。
この浪人は、サムライというよりは剣士だ。
平和な世の中で、己の剣の腕を磨き続けた武芸者なのだろう。
身に帯びた雰囲気が今まで見たどんな江戸の人たちとも違う。
ズット――
すり足で女剣士に対する間合いを詰める。
浪人の身に纏った剣呑な空気の色が変わっていく。どす黒い闇のような色にだ――
肉の奥に秘めていた獰猛で濃厚な気のようなものが、浪人の全身から流れ出すのが見えてくるようだった。
空間が帯電して言葉を発することすら、命の危機を感じるレベル。
江戸時代で初めて出遭った生粋の剣士――
人を斬り殺すことで立身出世をしていた時代のサムライ――
それは、一撃で人を殺せる刃を振るえる種類の人間だ。
「ああ、おや…… いや、田沼様から推挙状です」
浪人の発する異様な空気、そして動きをガン無視して、女剣士は俺の方にやって来た。
江戸時代の小柄な人たち―― 男でも160センチはないだろう平均身長の時代だ。
(175ある俺よりもでかい……)
遠目で、大きく見えたのは髪型のせいかもしれない。近づいてきて背丈がはっきりわかった。
180センチは無いにせよ、175センチある俺より確実に背が高い。
現代風にいえば「ポニーテール」で、この時代で言えば何ていうのか? お下げ? 違うか……
とにかく、長い黒髪を後ろでまとめ、それをかなり高い位置で結って、真紅の布で縛っている。
江戸時代に来てから、こんな髪型の女の人は見たことは無い。
で、男装というか、少なくともこの時代の女性が着ているような着物じゃない。
そして、大小の刀を腰の細い帯に差している。
女剣士・市山結花――
そう名乗った彼女は、着物の懐から、書状を出して俺に渡した。
「本当に田沼様の?」
俺は書状を手にして言った。蔦重さんも覗き込む。
「間違いなさそうですね」
「そうですね…… 蔦重さん」
俺は改めて目の前に立った彼女――
老中田沼意次が、推挙した女剣士・市山結花をみやる。
(現代にそのまま来ても、モデル級だよ……)
この時代の女性の平均身長は、146センチの田辺京子と同じか下手すりゃ低いくらいだ。
その中で、175センチ以上はあるかもしれない女性。
しかも、美形だ。少なくとも21世紀的な基準で見ても、文句なしの美人。
やや釣り目気味だが、磨き上げた黒水晶のような大きな瞳。
黒のカラコンを入れているような感じだ。当然、江戸時代にそんなものは存在しない。
生粋、天然の大きな黒い瞳だ。
「しかし…… もの凄い#別嬪__べっぴん__#じゃないですか。土岐殿」
蔦重さんが俺に耳打ちするように小さな声で言った。
江戸の版元(出版社)として、美女に対して目の肥えている蔦重さんがそういったのだ。
現代でいえば、モデル、アイドルを散々見ているような立場の仕事をやっているのだから。
時代ごとの好みとか、流行とか、そういったものを超えているのだろうか。
凛とした佇まいの、クールビューティの女剣士――
(あの#田沼__おっさん__#なに考えているんだ――)と、俺は思わずにはいられない。
何か裏があるのか? わざわざ女剣士を送ってくる。
少なくとも田沼意次がなんの計算もなしに、動くような人物じゃないことくらいは分かる。ただ、その意図が現時点では読み切れない。いくつか予測はできるが……
俺はあらためて、やってきた女剣士をみた。掛け値なしに美人だ。美形、美麗だ。
いや、美人は嫌いじゃない。むしろ、この見た目だけなら俺のストライクゾーンど真ん中。
俺のことを振った元カノの加藤峰子と同カテゴリーで完全な上位互換だ。
ちなみに田辺京子は、カテエラで比較不能。
しかし、それでもだ――
俺は身辺護衛の人材を頼んだのであって、コンパニオンとか、愛人を頼んだわけじゃないんだけど。
(愛人…… もしかして……)
俺はある可能性に思い至るが、まだ確証はない。考えすぎなのかもしれない。
確かに、剣士で女でも抜群に強いことは、あるかもしれんけど――
身辺護衛だけでなく、なんかこう他の……
その可能性もあるか―― 田沼意次が俺に対し、この時代で囲い込みを狙っている。
であれば、なし崩しの政略結婚―― まさか……
いや、今は、そんなことまで考えてる場合じゃないんだ。この時代でやることが多すぎるだろ。
現代には一応、(彼女)となった田辺京子がいるわけだし……
いや、でもこの際だな――
江戸に来れるのは俺だけで京子は来れないし…… バレる心配は皆無……
元々「モテモテになりたい」というのを俺は大元帥明王様にお願いしている。
しかし、このっ状況がそうかというと、ちょっと微妙な気もする。
俺の男としての本能、懐疑、理性が脳内で論争していく。今は、結論が出ない論争だ。
頭の中が混乱していくだけ。
「なるほど、市山結花…… 思い出したよ」
重く静かな声が聞こえた。
それで、俺の脳内論争がスッパリと断ち切られた。
さっきから、殺気を空間にダダ流しにしている浪人の言葉だ。
まるで、自分を納得させるような重く静かな声を口の中を転がすように。
それが漏れ聞こえてきたのだ。
「ほう…… わたしの名を?」
自分の名を聞き、女剣士・は肩越しに振り返った。
長く豊かな黒髪がふわりと揺れる。
その髪の芳香は、なんとも言えない物だった。
「知っている」
石のように固く、重い言葉をまっすぐ落とすように浪人は言った。
どす黒い闇のような殺気が人の形をなしているかのようだった。
その闇の中で、双眸は殺気の光を放ち、口は「V字」に吊り上り幽鬼のような笑みを浮かべている。
「そう」
「女だてらに剣術道場を開いているらしいな。市山結花――」
「わたしより強い男がいなからですね。非常に残念なことに」
市山結花も、ザッと体の向きを変えた。
半身で浪人の方を見つめた。
「立ち会うしかなかろうなぁ」
ぽつりと浪人が言った。本当に何気ない風にだ。
(なんでだよ…… 俺の新居でマジの#剣戟__ちゃんばら__#なんてみたくねぇよ)
「あの…… 田、田沼さ……」
ギロリッと浪人に睨まれた。視線がすでに刃のレベル。
「田沼様の推挙の方を採用しますので――」と丁寧に断ろうと思ったが、言葉がでない。
一瞬、脳天から真っ二つに斬られたかと思ったわ。「○牙道」じゃあるまいし――
もはや、老中・田沼意次の推挙があるとか、雇い主の俺の意向とか、そんなこと関係なしという感じ。
江戸時代も平和が続き、180年は経過している。
泰平の世といっても、剣士がいないわけじゃないんだ。
少なくともこの浪人は、そういった種類の人間だ。権威や権力よりも己の剣を信じている。
人を斬る技を磨き、その技を使う機会を望んでいる種類の人間――
(そりゃ、いるだろうよ…… いつの時代でもさぁ)
この浪人がどういう種類の人間かは理解できる。
しかし、理解できたところで、どうにもならん。
蔦重さんもカクカク震えているし――
もう、俺と蔦重さんでは、止めることなどできそうにない。
「立ち会を所望すると……」
「いかにも」
イカもタコもねーよ。
なんで、こうなるんだよ。
くそ、私闘は法度にふれるんじゃないか……
ああ、くそそこまで思い出せん。
いや―― 確か双方合意で、立会人がいればよかったのか……
確か、明治以降禁止されたはず。
俺は、持っている知識で考えるが、はっきり言って無駄っぽい。
「土岐殿、蔦屋殿のおふたりが立会人ということで。よろしいでしょうか」
女剣士・市山結花の透明感のある声音。
そこに、わずかな喜色が感じられた。
同種だ―― やべぇ……
剣士という意味において――
剣に生きるということにおいて――
人を斬るという技を使いたいということにおいて――
このふたりは完全に同じ場所に立っている。
直感で俺はそれを感じた。
「覇極一刀流、市山結花――」
「無限一神流、川武玄介――ッ!!」
浪人は自分の名を叫ぶと同時に一気に突っ込んできた。
まるで、予備動作が見えなかった。そのまま地面を吹っ飛びながら、抜刀――
残像が残るような速度で、真上から斬りこんできった。
キンッと硬い金属音が響く。
クルクルと刀が宙を舞っていた。
(うそだろ…… なんだ……)
浪人・川武玄介はその手に刀を持っていた。そして振りぬいていた。
飛んだのは、女剣士・市山結花の剣だ。いつ抜刀したのか――
いや、そもそも、その刀を跳ね飛ばされて……
宙を舞っていた刀が切っ先を下にして「トン」と地に突き立った。
同時だった――
どさっと浪人・川武玄介が倒れた。
六尺(182センチ)の江戸時代とすれば破格の大男がその場に崩れ落ちたのだ。
「凄まじき剛剣でしたが―― 顔が好みではないです」
市山結花は涼しげに言った。命の取り合いをした直後の声とは思えない。
「団子の串…… え……」
「まあ、死にはしないと思いますが、しばらくは起きないでしょう」
市山結花は団子の串を右手に握ってそういった。
「な、いったい何が…… え?」
蔦重さんが驚きの声を上げた。
俺も同じように驚いている。仰天という言葉がこれ以上ピッタリくる場面はそうそうない。
「団子の串で突いた?」
「あら、お見えになったのですか?」
そう言うと彼女は、飛ばされた自分の刀を拾いに行った。
「振り下ろした相手の刀に自分の刀を当てた。しかし、受け止めない。刀の軌道を変えれば十分だったってことか……」
俺は呟くように言った。決して見えたわけじゃない。でも、何が起きたかはなんとなく分かった。
市山結花は一瞬で抜刀した。俺には見えなかった。そして、その刀が宙を舞っていた。
しかし、その前に相手の刀にぶつけ、その軌道を少しだけ変えたのだ。身をかわすのに十分だけ……
刀を振り切った男は、彼女を斬ることができず、そのまま倒れた。
そして、彼女の手に残ったのは団子の串だ――
その腕を男の顔めがけ、突きだしていたのだ。
「手に隠し持っていた団子の串で、顔の急所を突いたのか?」
市山結花は、拾った刀に異常がないかどうか、見分するかのように見つめた。
遠目でも寒気のするような刀身。正真正銘の人を殺すための刃物だ。
彼女は「うん」と頷くようにすると、刀を腰のさやにすっと収めた。
流れるような所作には、形容しがたい美しさがあった。
「偉い学者様と聞いておりましたが―― 見えましたか?」
そう言って、彼女はまっすぐに俺を見た。魂まで吸引されそうな大きく濡れた黒い瞳。
彼女の言葉が俺の予想を正解だと教えた。まあ、起きたことから見ればそう説明するしかないというだけだ。
決して見えたわけじゃない。ただ、俺は黙っていた。何と答えていいか言葉に詰まった。
「あれほどの剣速―― 真正面から受ければ、刀が痛みます。勿体ないですから。一対一ですので出来ることですが……」
「強いんですね」
もう、それしかいうことは無い。
長身で美麗な上に、とんでもない強さをもった女剣士――
俺は、市山結花を身辺護衛に雇い入れたのだった。
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