43.造船企業共同体構想

「三〇〇〇両の船か…… やっぱ船は高いよな」

「より頑丈に、特製にございますからな」


 俺のひとり言のような、呟きに、一緒に「造船所」に来た男が呟いた。

 

 田沼派の武士というか官僚が俺に同行している。

 勘定組頭の土山宗次郎と勘定奉行に抜擢されたばかりの松本秀持だ。

 俺の呟きに答えたのは土山宗次郎だった。


「確かにそうですね――」


 俺は返事をする。


 一応、俺の身分はこの時代では「学者」であり「商人」であるという立場だ。

 幕政の中枢を握っている老中・田沼意次がバックについているので、田沼派の武士は俺に一目置いている感じだ。

 多分、田沼意次あたりから言い含めされているのだろう。

 

 このふたりは史実では田沼意次と一蓮托生。

 意次失脚後は、悲惨なことになっている。特にこの土山宗次郎氏は……


「完成まであとわずかですな」


 松本秀持が言った。結構でかい声で。

 船大工たちが、ジロリとこっちを見た。

 なんか「黙って見てろ! ゆわれねぇでもきっちりやるんだよッ!」という矜持に満ちた雰囲気の視線だ。

 

 遥かに身分が上の松本秀持が一瞬たじろいだ。


 職人が技術にプライドを持っている。そして、職人の技術は身分を超えて尊敬される。

 江戸時代に出来あがったこの価値観。これが近代日本の発展を長く支える原動力にもなったと思う。


「ちょっと余計な注文つけましたから、職人さんも大変かもしれないですね」


 俺はたじろいだ松本秀持をフォローするように言った。

 色々と余計な設計変更が加わったのは俺のせいでもある。最終的に決めたのは田沼意次であるが。


 外装エンジンを付けるための後部の改造も完了している。

 そして他にも改造点が――


「いやぁ~、アッシらも色々勉強させてもらってますぜぇ。土岐先生」


 不意に声がした。声の方を見やる俺。

 この造船所を取りまとめている、船大工の棟梁だった。

 こっちに向かって歩いてきている途中だったのだ。俺の声が聞こえたらしい。


 一緒に作業をしていたのか、寒いといっていい天気の中、手拭いで汗を拭いていた。


「船底にヒレをとっつけりゃぁ、浅瀬じゃ気いつけねぇと面倒にはなりやすがね、船の座りはぐっとよかぁなるでしょうぜ」

「そう言ってもらえるとありがたいです」

「やっぱ、長崎帰りのエライ先生は考えることが違わぁな」


 棟梁は感心したような感じで俺を褒めるが、俺のオリジナルアイデアでもなんでもない。

 ヨットなどでは普通にある構造をパクッただけだ。


 今回の蝦夷地探索用の船には、外装エンジンの他に、船底にフィンを付ける改造をしている。

 横波などの急激な力に対し、転覆しにくくなる構造だ。

 ただ、浅瀬で運用もできるという弁才船の良さを相殺してしまう恐れがある。

 そこで、ヨットのように大きなフィン一枚ではなく、三枚のフィンで船の安定性を高めることにしたのだ。


「しかし、あの機巧―― ありゃぁ、すんげぇもんですよ」


 船大工の棟梁は言った。

 二一世紀から持ち込んだ外装式のエンジン+スクリューのことだ。


 すでに船台上での試運転は成功。起動、停止、運転方法なども確認済みだ。

 船大工、それに蝦夷地に向かう幕府の人たちも、外装エンジンには驚愕、仰天だった。

 中にはエンジン音に腰を抜かした人もいた。座り小便するかと思ったくらいだ。

 名誉のために、名前を言わないが、幕府側の結構偉い人だ。


「油を燃やして、その風で風車みたいなハネを回すって仕組みはききやしたが、すげぇもんですよ」


 俺が電動アシスト自転車で「ひぃ~ ひぃ~」言いながら、持ってきた大重量物もそう言ってもらえるとありがたい。

 なにせ、お値段も高いのだ一台で二五〇万円。二五〇馬力を叩き出す国内一流メーカの外装エンジンだ。

 

 ここで作っている千石船は現代の大きさでいえば「排水量二〇〇トン程度」だ。

 ざっくり計算したが最高速度で一〇ノット以上も期待できる。


 エンジンだけではない。

 それ以上に重い燃料も運んだ。

 ドラム缶二本分をネット購入。リヤカー搭載量ギリギリだった。


 俺以上に酷使されているリヤカーもそろそろ買い換えた方がいいかもしれない。

 なんか、輸送中に軋むような音が聞こえ出している。


 俺が大元帥明王様にもらった「時渡りのスキル」で作れる時間を超えるトンネル。

 トンネルの中を俺は、電動アシスト自転車で三五〇キロの搭載力を持つリヤカー二台を引いている。満載時の合計重量は七五〇キログラムだ。

 おかげさまで、太ももがずいぶんと太くなった。


 時渡りのトンネルの中では自転車の使用までしか許されていない。

 原付きバイクが使えれば楽なのだが、大元帥明王様に禁止されている。

 まるで、高校の先生か教育委員会のような神様だ。


「油で空気を熱すれば、風が生まれます。その力で風車を回して、船を進めます。風がなくとも、船は進めます」


 俺は、もう一回外装エンジンの説明を簡単に行った。

 前はたき火を起こして、その風で風車を回すということを見せている。

 それで、機巧の仕組みはなんとなく納得してくれたようだ。少なくとも「伴天連の魔術」ではないと理解はしている。

 

 江戸時代には実用機械は少ないが「機巧」という精緻な機械が存在している。

 一八世紀の江戸人は、原理が分かれば、仕組みの詳細が分からなくとも、「そんなもんか」と受け入れる。

 日本人は、科学とか技術に対する好奇心が元々強いのだろう。

 原理さえ分かれば、怖れることはない。そして原理を理解する知的能力を持っている人が多い。


「ま、後は進水してから、動かすのが楽しみですぜ。先生」


 海でのテストはしていないが、とにかく、動きさえすれば問題はない。

 基本的には、風の状態が悪い時の非常用だ。

 

「あの帆布も、頑丈だし、取り扱いは楽になりますぜ。しばらくアッシらのことだけに、あの帆布を入れてもらうことできやせんかね?」


 船大工の棟梁は、様子をうかがうような視線で、ふたりの武士を見ながら言った。


 帆布は、現代から持ち込んだ丈夫な布を使っている。


 視察に来たふたりの武士。

 土山宗次郎と松本秀持が「あんまり欲をかくなよ」と言う感じで棟梁を見つめる。


 その視線に気づき、気まずそうに棟梁が首をすくめる。ただ表情は悪びれてない。


 ふたりの武士は声を上げ、叱責することはなかった。


 商品の独占による税収を上げるというのは、田沼政治の基本でもある。

 金銭の実務に関わっている土山宗次郎と松本秀持には、そういった理屈が分かっているのだろう。

 他の武士なら、金の儲け話をしただけで、「汚らわしい」と怒り狂ったかもしれない。

 金の重要性を認識し、金儲けを汚らわしいと批判しない武士というだけで、このふたりは貴重な人材だ。


(よく考えてみれば、金儲けの話を表だってすることを嫌う武士の価値観は二一世紀でも生き残っているよなぁ……)

 

 本音は違うかもしれないが、表だって金儲けの話をすることに「嫌悪感」を感じる人は二一世紀でも多い。

 俺は欲しい。金が欲しい。儲けたいのだ。儲けることで皆が幸せになればいい。特に俺が重点的に。


 ただ、この帆布は金儲けの材料にはならないのだ。

 

「それはまだそれほど多く作れないのですよ」


 俺は棟梁に言った。この帆布はあくまでも、この二隻用なのだ。

 現代から持ってくる布で、江戸時代の日本に存在する弁才船に使う帆の需要を賄えるはずがない。


「そうですか…… 先生」

 

 残念そうに、棟梁は言った。


 しかし、天明五年(1785年)には、木綿を寄り合せた太い糸を使った頑丈な帆布が発明される。

 工楽松右衛門という、現代の兵庫県にいる船大工が発明するのだ。

 まだ六年先の話ではあるが、遠い未来ではない。それは「松右衛門帆布」と呼ばれ大人気となる。


 それまでの帆布というのは、脆弱で強風で破れやすく、取り扱いも面倒だった。

 丈夫な帆布は本当に必要とされていたのだ。


 ただ、この新しい帆布は高い。今までの倍以上の値段といわれる。

 工程が複雑なので、それは仕方ないのだ。

 

(いずれ、工楽松右衛門も改革グループに引きこんで、生産を機械化させてしまうか――)


 俺はふとそんなことも考える。今から連絡をとってもいいくらいだ。

 造れるモノはなるべく現地生産だ。量産性を上げ、価格を下げる協力はしてもいい。

 研究だって、もうしているだろう。その手助けもできる。


 その上で、有能な人材は味方に引き込み、江戸時代に巨大複合企業体(コングロマリット)を作ることもできる。

 バックには田沼意次様だし、無敵といっていいだろう。田沼政権が続けばだ。


「まあ、もう少しで完成ですぜ。安心してくだせぇや」


 棟梁は視察の名目で来た、土山宗次郎と松本秀持に言った。


「うむ」

「信用しておる」


 土山宗次郎と松本秀持が頷いた。

 確かに俺の目から見ても、もう海に持って行けば十分航行できそうなくらいになっている。

 細かな仕上げが残っているだけだろう。


 実は、胸にスマホを固定して弁才船建造の様子を俺は盗撮しているのだった。

 さっきからずっとだ。


 ほぼ完成している木製の船が船台の上に二隻ならんでいる。

 その船が「江戸の造船技術を舐めるな」と言っているかのような出来栄えだ。


 江戸のネット動画情報は単独ではイマイチ、二一世紀で反響を起こしていない。

 一部のマニアの間から「凄いCGだ」とかネットブログに書かれている。

 複数の大学から色々問い合わせが来てはいる。


 しかし、ネット動画が大金を生み出す「二一世紀の錬金術」の波には乗りきれていない。

 

(江戸の物品販売と合わせて行えば、もう少し違ってくるかもなぁ――)


 江戸から仕入れた現代では再現できないような商品。

 そのネット販売の準備は二一世紀で進めている。

 心配ではあるが、田辺京子に頼んである。

 

 京子は「ネットは専門じゃないのですが、先輩と私の甘く蕩けるような未来のために頑張るのです」と言っていた。


「先輩と私の甘く蕩けるような未来」とはなにのか?

 なし崩しに俺の彼女となってしまった田辺京子がどんな夢をみているのか?


 俺には確認する気力もないので、あえて質問はしない。スルーだ。


 まあ、ネットショップを作る外部の仕組み作りは、専門家を動員しても問題はない。

 ネットショップ構築する技術者は「売る物」がどこから仕入れたものなのかなど、気にはしない。


(そうそうに、二一世紀でも事業基盤を作らんと、江戸―現代の交易が回転しないからな)

 

 一八世紀の日本と二一世紀の日本を経済的に結び付け、お互いにとっての新たな市場を創出するという事業だ。


 江戸時代の日本の造船技術は高い。

 和船が必要以上にけなされた時期もあったが、今は見直されている。

 

 江戸幕府はかなり初期の段階で五〇〇石積以上の船の建造を禁止した。

 江戸を船で攻められることを恐れたからだ。当時は当然、外国の船が攻めてくることなど想定していない。


 軍船だけでなくこの禁令は商船にまで及ぶ。

 しかし、商人たちが猛抗議したら三年で商船に限り大きさの制限は撤回となる。

 商船には基本的に大きさの制限はない。

 

 ただ、経済性や税制(当然税金がかかる)や生産性のバランスの中で最も効率のいい大きさに収束していったのだ。

 だいたい二〇〇〇石から五〇〇石が最も経済効率がいいのだ。

 評判の悪い一本マストも、沿岸航行をする分には、取り扱いが便利だ。

 船体上部が開放構造なのは、荷揚げ、荷積みの効率を上げる。


 安定性、帆走性能、全天候対応などの性能向上は、現代視点、技術の「考え方」を導入することで可能となる。

 基盤となる江戸の技術は高い水準にあるのだ。


 全国各地で造られている弁才船を、規格化し量産性を上げ、性能を上げる。

 更に、外洋航行船も別途建造する。(田沼意次の幕政改革が上手く進めばだけど) 


 日本近代化の#先鞭__せんべん__#をきった造船業を支配してしまうことも可能だ。

 その手始めに「工楽松右衛門」という歴史に名を残す船大工と協力体制を作るのは悪くないはずだ。


(やることがまた増えそうだ)


 忙しくなりそうだが、その忙しさが俺には楽しかった。


■参考文献

江戸の科学力 大石学

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る