39.新たな課題と、江戸と現代の交易

「土岐殿……」


 田沼意次はいつになく真剣な表情で俺を見つめる。

 そして身を乗り出してきた。

 声が漏れないために、バカみたいに広い大書院という部屋の真ん中に集まって話している。

 だから、顔があり得ない程に接近してくるのだ。


「土岐殿の意見。ワシは分かる。あの未来の世界を見たゆえに理解もできる」


 重々しい声で、田沼意次は言った。

 魑魅魍魎の生きる幕政の中心で、下層武士から這い上がった漢(おとこ)の顔でだ。

 迫力が半端ではない。悪人顔だし……


「しかし、それは、今での他の何よりも危険な考えかもしれぬ――」


「え?」


 彼は「国の中で統一された平等な教育」という俺の提案に強い懸念を見せたのだ。


 今まで様々な現代の物品を受け入れ、喜んでいた田沼意次。


 現に今も、湯飲みにいれた現代のオレンジジュースを口の中に流し込んでいる。


 これまでだって、十分危険というか、「江戸時代にもってきてどうなの?」と言うモノを持ちこんでいる。

 教育関係だって、蘭学者を中心に塾を始めた。


 薩摩(鹿児島県)での桜島噴火の予言の本まで出版している。売り上げはイマイチだが。


 この江戸時代の産んだ先進的な政治家は、今まで俺のやることに反対をしたことはない。

 懸念を示したことはある。今回も反対というよりは「懸念」であるが、その調子がかなり強い。

 田沼意次という人物の個人的な警戒感を感じさせるものだった。


「意次殿の心配は分かりますがね―― オレは、正論だと思いますけどね。世の中バカばっかじゃだめですぜぇ。ま、バカでも物を教えればマシになるバカもいますぜ。バカばっかの国じゃよぉ―― バカの国でおしめぇだ」


 本当にバカが嫌いなのだろう。

 自分以外は全て「バカ」とまではいかないにせよ、自分以上に天才はいないと確信を持っている源内さんが言った。

 まあ、言うだけの天才であることは確かなのだが。


「源内、すこし黙ってくれぬか」


「――」


 浪人である平賀源内に対し、身分を超えた関係にある田沼意次。

 源内さんに、甘々のところがある彼が強い調子で言った。

 さすがの源内さんも居ずまいを正し、軽口を止めた。


「土岐殿―― その件については、ワシの胸の内、しばらく考えさせてくれぬか……」

「はい、それはまあ、いいですけど」


 俺としてはそう答えるしかない。

 まあ、他にも多くのプロジェクトを抱えているのだ。

 一般人に対する教育問題が、何が何でも最優先というわけでもないのだ。


 江戸時代の教育水準は一般に高いといわれる――

 識字率の高さが、その指標であげられる。

 確かに、嘘ではない。

 同時代の世界の国で、庶民が名前を文字で書けるというのは例外的な話だ。

 

 ただそれは、教育システムが行き届いているというより、日本語の特性が有利に働いている面もある。

 発音と文字が対応した「かな文字」の存在が、識字率の表面の数字を引き上げる。

 だから、江戸時代の庶民の読んでいる本はやたら、かな文字が多い。


 教育は、識字率とか計算できるとかだけではなく、国の存在を意識できる「国民」を作るってことに意味がある。

 国家という組織が、人が生きて行くための方便。共同幻想であるにせよ。

 そう言った国民を創り上げていないと、近代化はあり得ない。


「今回は失敗はできぬ―― 確実に早く、この国の変革をなさねばならぬ。だからこそ、焦りは禁物じゃ」


「幕府の中心部で、何か動きがあるんですか?」


 俺は声をひそめ聞いた。


 幕政の実態を知っている田沼意次にしか分からないこと。

 彼が抱え込んでいる問題もあるだろう。

 そう言った情報も、共有をしておきたかった。


「確実ではないが……」


 乾電池のランタンの明かりが作りだす濃淡。それが、田沼意次の顔を更に兇悪な悪人顔にする。


「土岐殿の存在とワシの関係―― 探り出しておるものがおるやもしれぬ―― まだ、確証はないが……」


 その言葉を聞いて、俺は背中に冷たいモノを感じた。

 権力の中枢はいつの時代でも魑魅魍魎の住む世界だ。

 これまでが順調すぎた。

 やはり、ただでは済まない、何かが動き出したのかもしれない。


        ◇◇◇◇◇◇


「ま、田沼様だって、正論だってこたぁ分かってるんだぜ――」

「そうでしょうね―― 蝦夷地調査だって、江戸城電化(エレキテル化)だって失敗できない――」


 源内さんの屋敷に戻って、俺と源内さんは話をしていた。

 俺はもうそろそろ、21世紀に戻って、向こうで約束している人物に会わねばならない。

 かなりのハードスケジュールだが、時代を越え、色々と動くことは楽しいと言えば楽しい――


 ただ、リアルにこの世界に生きている田沼意次様は「楽しい」だけじゃ済まないモノを抱えている。

 そのあたりの感覚のズレには俺が気を付けなきゃいないことなんだ。


「で、でっかいエレキテルはいつ来るんだい? 江戸城にエレキテル作るんだろ?」


 この時代にいながら「楽しいこと」しか考えて無さそうな人が言った。


「もうしばらくかかると思います―― 源内さん」


「でよ、普請の時期が分かったら、教せぇてくれよ。俺も見てェンだ。これからは、それなりに江戸に帰(けぇ)れると思うしな」

「分かりました。源内さんがいてくれれば、心強いですし」


「そうかい―― ま、オレは天才だしな。頼りにするのは分かるけどよ」


 そう言って、ちょっと照れたようにして、よく冷えたビールを一気に飲んだ。

 俺の方は、まだやることもあるし、アルコールは飲んでいない。


 水車を利用した水力発電機の設置。

 この時代で頼りになりそうなのは、源内さんくらいだ。

 未知の機工の仕組みに対する洞察力、分析力はもはやチートのレベルに有る。


「秩父の方は?」


「まあ、なんとかなるようにはしておくさ――」


 今行っている秩父鉱山も開発も重要だ。

 もしばらくすれば、金鉱脈にぶち当たって、凄いことになるかもしれないのだ。


 かつて、日本を代表した巨大鉱山が江戸に出現するのだから。


「あとは…… 蒸気機関関係、工学書ですか―― それは今度もってきます」


 この天才は蒸気機関の開発も同時並行で進める気なのだ。

 まあ、資料は用意できるが、それだけで、簡単にいくなら、幕末の人たちは苦労はしなかったのだ。


 できれば、明治期に翻訳された技術書が欲しいが…… 

 

(アイツ、その辺り知っているかな……)

 

 これから日本に戻って色々話をしなければいけない相手のことを考えた。

 江戸時代に関する知識に関してだけいえば、頼りになる奴なのだ。

 それ以外は、存在すること自体が不健全だっただが。


「それから、ワタル殿の屋敷の件―― 田沼様の懸念が本モノだとすると、あんまり派手な物件はよした方がいいかもしれねえが…‥ かといってザルのような家じゃ困るしなぁ」


 源内さんは、どうすべきかという感じで、口に咥えた煙管を弄ぶように上下さ思案する。


 現在、源内さんのところに居候をしているが、江戸での拠点を探してくれるように、蔦屋さんに頼む予定だ。

 ただ、屋敷を構えれば、そこは二一世紀の秘密が集積されることになる。

 セキュリティとかそういったことも考えなければいけない。

 マジで時代劇みたいな隠密とか、忍者がしのび込んでくるのだろうか……


「確かに、外部に色々知られない様な、そんな家がいいですよね――」


「まあぁなぁ……」


 というわけで、一歩進めば、新たな課題でも出てきて、俺の江戸改革計画は、進んでいくわけである。


        ◇◇◇◇◇◇


「蒸気機関ですか……」

 

 丸眼の奥の大きな瞳をジッと上方向に固めて思案気にする田辺京子だった。

 

「機械自体は、一七世紀後半の江戸の技術で作ることは出来ると思います。当時の職人や。たたら製鉄の技術は高いです」


「そうかぁ」


「大阪商人を中心にして、鉄市場もできていますし、材料の確保は出来ると思いますが……」


 一四六センチの小さな江戸の専門家は、エロビッチモードになることなく真剣に考えてくれている。

 いつもこんな感じなら、頼もしいのであるが……


「何トンの鉄が必要なんですかね? 当時の鉄の流通量は、史料によってばらつきますが概ね1万トン。

 買い占めると、農具などの本来製造すべき鉄器に影響がでるかもしれません」


「まあ、そんなに大量にはならんと思うが…… まあ、ヤバそうだったら、スクラップ持ち込んで、向こうで鉄を造るわ。それなら、技術水準もいらんし」


「良いんですか? そんなに簡単に言って。先輩――」


「高炉作り方、実験の様子は最近の中学校の理科の教科書に載っているんだぜ。知っているかい?」


「え? 本当ですか」


「教科書が変わるのは歴史教科書だけじゃねぇってことだ」


 塾講師だった俺は言った。なんか口調が源内さんのがうつった感じになってしまった。


 当時の日本の鉄は砂鉄を集めた、たたら製鉄が中心だ。

 でっかい白いオオカミに跨った少女が、山を守るために活躍する某アニメに出てきた感じ。

 あれは室町時代だが、そう大きく変化していないはずだ。


「蒸気機関も一個二個ならいいですが、もし多く作るなら、石炭、コークスの生産も考えなければなりませんね……」


 田辺京子の言っていることは俺でも分かる。これでも俺も史学科出身だ。 

 イギリスでの森林破壊の問題が日本で起きかねないという点を懸念しているのだ。


「そうかぁ、まあたくさんは造らないけどねぇ」

「確かに―― 江戸時代は人が余ってますから、なにより人力が一番安いエネルギーなのです」


 田辺京子とはその後も色々話した。

 鋤の改造。足踏み式の千歯こきなど、農業生産の効率を上げる技術の導入も可能だった。


「低温に強い米も手配可能です。自家採取も出来る品種があります。ただ、上手くやらねば収穫が年々落ちるのは避けられません」


「うーん、その辺りは俺も勉強不足だな……」


 東北、そして蝦夷地開発には、低温に強い米が必要だ。

 この地方の不作が、近代に入ってからも日本の方向性をゆがめて行くのだ。 

 なんとかしたい思いはある。


「そのあたり、米に拘りすぎるのも、よくないかもです」


 今日の田辺京子は、本当に田辺京子なのかと思う位に、頼りになった。

 確かに参考になる意見だ。


「で―― あれだ…… 動画の方はどうだったかな? 江戸の動画は」


 俺は江戸で撮影した動画をネットにアップしている。

 最初にそれを見た田辺京子は言葉を失い、震えながら「次はぜひ吉原か品川宿場の盗撮を――」と言ってきたものだ。

 その時に比べ、今はエロビッチモードのスイッチはずっとオフになっている。


「あ~ あんまり反応よくないです―― 『よくできたCGだなぁ』という感想と、外国からチラホラ」

「広告料は……」

「あまり期待しない方が良いと思うのです」


「ただ、いくつかの大学から問い合わせのメールがきているのです」

「アカデミックの世界じゃなぁ…… 金にならんし……」


 俺は腕を組んで天井を見上げる。


 で、頭の中で状況を整理する。


 ネットの金儲けはやはり、一筋縄ではいかない。

 人と見分けのつかないCG動画の技術も出始めている。

 江戸の風景を写したといっても、喰いつきはイマイチだ。

 娯楽性が低いのだろう。


 面白い動画を探すネット住民の主流が求めているニーズとはずれているのかも知れない。


 だが、このままでは、現代で活動する資金が枯渇してしまうわけだ。

 

「江戸から仕入れて、ネットショップを開くのはどうでしょうか。先輩」


 俺の思考を田辺京子が中断させる。


「ネットショップ?」

「根付、盆栽、変化朝顔、和時計など、現代では失われた技術によるものが江戸にはあります」

「まあ、着物とかもあるしな―― それをネットで売るか…‥」

 

 ネットショップを展開し、それに江戸の動画をリンクさせる。

 そういった販売手法もあるかもしれない。 

 一行の余地はある。


「いっそ、小判も売ればいいのです。業者など介さず、直接売ればいいのです」


「いや、それ古物商販売許可の免許いるんじゃないか」


「そんなものは、ダミー会社を買って、ダミーの人間を雇えばいくらでもどうにでもなるのです。ブルセラショップですら免許は持っていたのです」


 どす黒い笑みを浮かべ、田辺京子が言った。

 ブルセラショップとか、いつの時代の話だ……

 

「まあ、非合法でないなら、やってもいいが……」

「普通のことなのですよ」

「そんなもんかねぇ……」


 まあ、それ以上話すにしても、俺にはそのあたりの知識はない。

 後で、しっかり調べる必要はあるだろう。

 

「動画もですね―― エロ優先です」

 

 俺はビニールバットを握った。そろそろ来るか――

 エロビッチ京子……


「先輩、これは真面目な話です。江戸の風俗を撮影した方がいいのです。最高のコンテンツはエロなのです」


 田辺京子は、ゲスっぽい口調ではなく、正論でエロを語りだした。

 俺はとりあえず、ビニールバットを置いた。


「まあ…… ビデオデッキ、ネット―― 古くは写真や映画―― エロが普及をけん引したのは事実だが……」

 

 その点は俺も認める。


「で、どうすんだよ。そんなの。俺が花魁を買って、撮影すんの?」


 俺は「絶対嫌です」という表情をして言ったのだった。


「確かに、先輩が江戸で花魁を買ってハメドリするのは、京子としては耐えられないのです。その映像がオカズに――」


 やはりビニールバットで頭を叩くことになった。

 彼女は衝撃でズレタ丸眼鏡を直し、ポニーテールの頭をさする。

 音は派手だが、そんなに痛いわけないのだ。


「やだよ――」

「では、京子が花魁のコスプレをして、本物の衣装は、江戸で入手できるので、京子先輩が生放送で…… あ♡、あ♡、あ♡、あ♡、考えてだけで――濡れ…… あれ?」


 田辺京子は「先輩どうしたのですか?」って顔でこっちを見た。

 じっと、眼鏡の奥のつぶらな瞳で見つめてきた。

 その表情だけに限定すれば、確かに可憐な少女だ。二六歳だけど。


「あれ? バットの一撃はどうしたのですか?」

「やる気も失せた……」

「そうですか…… では、この案は?」

「やだ。死んでもやだ」


 俺は冷たく言った。

 やはり田辺京子は田辺京子だった。


 しかし、ふと持った。花魁の衣装――

 これ、普通の衣装より高くうれないか?

 レプリカ品としても、芸術作品的な位置づけて。


 俺はそんなことを思っていた。

 そして、京子は、もっと別のことを考えていた。

 やはり、コイツは江戸の専門家であると思わせることだった。


「江戸で、和服の縫い子を集め、着物を作るのです。技術の高い和装の縫い子の賃料は現代日本では非常に高いのです。しかし、江戸では格安なのです。それをネットで売だけでなく、着物の会社から製造の仕事を受注するのもありなのです」


 江戸の人件費は安い。

 江戸の金は今手元にいっぱいある。

 他より高い待遇で人を集められることは可能だ――


「そうだな…… やはりこっちでも本格的に会社作って、交易事業を開始するしかないか……」


 現代で、江戸時代へ行けるアドバンテージを利用したビジネスの展開。

 格安の人件費と、抜群の職人の腕による工芸品は入手できる。

 商人からかう必要もない。

 

 江戸の金銀の流出もない。


 可能であれば、工場制手工業的なものを江戸に造り上げて製造をすればいい――


 俺の頭の中で、現代でのビジネスに少し光明が見えてきた気がした。

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