35.源内、江戸に帰る

 川の上を流れる風が冷たさを増しているような気がした。

 俺は灼熱といっていい焼けるような日差しの二一世紀から江戸に来ている。

 この時代の暦で九月も中旬。現代のカレンダーでは一〇月の終わりくらいだ。

 現代であれば、まだ冬の気配を感じるような季節じゃない。


 また、強い風が吹き抜ける。橋の上を渡る人たちが身を屈めるようにした。

 俺は江戸の中心といっていい日本橋の「日本橋」に立っているのだった。

 この川は自然の川じゃない。江戸時代に江戸城の外殻運河として建設された水路だ。

 江戸の町にはあらゆるところに水路が張り巡らされている。

 

「すげぇ、数の船だな」


 俺は目立たぬように、#欄干__らんかん__#に置いてあったガラゲーを川面の方に向けた。

 船が映っていることを液晶で確認する。水運が都市物流を支えているのがよく分かる。

 川を埋め尽くすような船が行き交っているのだ。よくぶつからないものだ。


(確かに、歴史の教科書で見たことあるような気もするな)

 

 江戸時代の浮世絵でも、日本橋を画いたものは多く残っている。

 きついアーチのかかった木製の橋だ。

 俺は、ガラゲーをふたたび橋を渡る人たちに向ける。

 日本橋は多くの河岸があったので、陸上の物流の基幹となっている橋だ。


 大きな荷物を背負った人。

 棒手振り。(担ぎ棒をもった行商人)

 米俵を積んだ大八車も結構通っている。


 俺はそんな様子を動画撮影しているのだった。


 俺はこの動画をネットに上げて広告収入を得ることを計画している。

 ネットでは様々な動画がアップされ、その動画で数億円を稼ぎ出している人間もいるのだ。

 動画のネット広告収入だけでその金額になるらしい。


 この動画を「江戸を精緻に再現したCG動画」としてネットにアップする。

 おそらく話題になる。なにせ本物だから。

 でも、これが本物かどうかわかる人間は二一世紀にはいない。

 一八世紀の江戸の街を見たことある現代人は俺しかいないのだから。


 田辺京子も特に反対はしなかった。

 俺はそのやり取りを思い出す。


『う~ん、確かに本物を見た人間はいませんし、一八世紀の江戸の写真も有りませんが。注目を集めすぎる気もします』

『江戸時代の専門家の考証と、最高水準のCG技術で再現した江戸の街ってことで、注目を集めるなら別にかまわん。ウェルカムだ』

『江戸時代の専門家とは私ですか?』

『そうだよ』

『えーー!! 私、江戸の都市構造とか、研究対象外なのですけど!』

『細かいな…… いいんだよ。そんなこと気にする奴はいないし、気になるならオマエの名は出さないし』

『先輩!』

『ん?』

『もっといい動画があるかもしれません!』

『なんだ? そんなのあるのか?』

『はい。私と先輩の愛の営みを世界に生放送しましょう! ああ、それを考えただけで京子は――』


 そこで俺のビニールバットが唸りを上げたのは当然だった。

 ただ、アイツは叩かれることでさらに発情しかねないのでやっかい。

 まあ、江戸専門家モードのときは、頼りになるが、エロビッチのスイッチが入るとどうにもならん。

 しかし、なんであんななのか…… 中学時代はそんなことなかったのだが。


「まあ、いいか―― 後は、これを適当に編集すればよしとっ」


 俺はガラゲーでの撮影を終えた。

 そして、それを懐にしまいこむ。別に盗撮用の機材を用意しなくとも怪しまれるようなことはなかった。

 

        ◇◇◇◇◇◇


「まあ、これが蝦夷地の古地図というか、今の時代に近い状態の地図ですかね」


「これは、かたじけない。土岐殿」


 俺と京子でネットを漁って集めた北海道の古地図をプリントアウトしたものを田沼意次に渡した。

 今日は登城しない日になっており、昼くらいから江戸屋敷で話ができている。

 

「しかし『ばぎぃ』とは面白き機巧よ。馬より簡単かもしれぬ」


 田沼意次が笑みを作り、中庭の方を見て行った。戸を開けばこの部屋から中庭に出られるのだ。

 そこに俺が現代から持ってきたバギーがある。

 蝦夷地探索に使用するための機材だ。

 エンジンは五〇ccとはいえ七馬力を発揮する。荷物の運搬力はかなりなものだろう。

 一応四輪駆動で、車体も軽く、不整地にも強いはずだ。


 俺の部屋に入れて江戸時代に持って来れる大きさとしては、これが限界に近い。

 一二五ccのエンジンを付けたミニジープのようなものもあるが、流石に部屋に入らない。


「後ろにリヤカーをつなげれば、荷を運ぶのに使えると思います」


「二三〇年後の世界で見た『車』の小さき物よな。ワシもひとつ欲しゅうなったわ」


 すでに車の存在を目で見て知っている田沼意次はバギーをすんなり理解する。

 でもって、それを欲しがったりする。


 先ほど、中庭で少しだけ動かしてみたのだが、運転はゴーカートのようなものだ。

 それほど難しくはない。

 ただ、老中様の「ワシも乗ってみたいのう」には困った。


 仕方ないので、老中様をお膝の上に載せて乗ってみた。

 ブレーキをいつでも踏めるようにだ。冷や冷やしたが、ゆっくりウロウロ走った。

 老中様、大喜びで、上機嫌なのである。ハンドルも少し操作させてあげた。


「老中・田沼意次として一〇〇〇両で買うが。どうか?」


 本気で欲しがっているよ。老中様。


「まあ、江戸屋敷内で転がすならいいですけど、これで市中出たら大騒ぎになりますよ」


 俺は田沼意次が江戸の町を四輪バギーに乗って爆走シーンを思い浮かべる。

 あまりにもシュールすぎる。「暴れん坊・老中 未来チート編」か……


「そこまでのことはせぬが、広い場所でも走らせてみたいものよ」


 田沼意次はそう言うと、湯飲みに入ったコーラをグイッと飲んだのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


「船の建造の方はどうですか?」


 蝦夷地探索の物資を送り込む船は幕府の方で建造している。

 俺はその進捗具合を確認する。


「冬になる前に、完成はするだろう。冬を抜けたら早々に出発せねばらなぬからな」

 

「あっちに、渡してある船外機は、大丈夫ですよね」


 船に取りつける予定の船外機はすでに江戸に持ってきている。

 現物は、船大工のところに渡してあるのだ。

 その存在が外部に漏れるのはあまり好ましくない。しかし、船を設計するにはやはり現物が必要だった。


 船大工の棟梁は「こりゃなんですか?」と訊いたらしいが「ご公儀機密」ということで存在を口にするのも禁じている。

 当然、そんな物を船に着けると言うのも口外禁止だ。口にしたら極刑となる。


 船外機は、国内有名メーカーの二五〇馬力エンジンの物を購入した。二五〇万円だから一馬力一万円だ。

 江戸の千石船は、細かく分ければ色々な型式があるが、積載量が一五〇トンで、排水量二〇〇トン程度。


 で、このエンジンをつけると和船がどのくらい速くなるのか?

 同規模の漁船が六〇〇馬力で一五ノットというのをネットで調べた。

 造波抵抗は馬力の三乗に比例するので、船体の抵抗が同じなら計算上一二ノット前後がでる。

 まあ、江戸時代の和船と現代の漁船の造波抵抗が同じ訳もないので、おそらく一〇ノット出れば御の字だろう。


 江戸時代最速の船は「番船」だ。

 産地から江戸への初物競争をするために、スピードアップの競争をしていた。

 これが、最高の風を受けたときで7.5ノット程度。

 つまり、常時一〇ノットは、破格の性能といえる。


 もし、エンジンを大量導入したら、江戸の海運物流に革命が起きてしまう。

 まあ、今は、そこまでやる気はない。

 このエンジンは、幕府の物ということにするつもりだ。


「口は堅い。また、あれを見ても、その見当の付く人間は江戸にはおらぬだろうよ」

 

「まあ、秩父に一人いますけど」


「ま、アヤツは特別じゃからな」


 俺の言葉に、田沼意次はニヤリと笑った。

 アヤツとは、平賀源内のことだ。

 今は秩父鉱山の開発を進めているところだ。


「源内も手が空き次第、蝦夷開発に行ってもらいたいのだがな……」

「まあ、能力は最高ですからね」


 平賀源内は、歴史の評価以上の時代を超越した奇人・天才だった。

 すごく良い人なのだが、この時代の基準からすればかなり変わった人間に見えるだろう。

 俺ですら戸惑うことがあるくらいだ。(江戸時代人であるという理由ではなく)


「後は、江戸城にエレキテルを流し込む計画―― なんとか水車は建設できそうだ」


「ランタンの評判は?」


「うむ、大奥、上様とも喜んでおる。さらに、油代の節約になるということで、上様より後押しをいただいた」


 乾電池式のランタンを、田沼意次の支持基盤。将軍と大奥に配ったのだ。

 評判は上々だ。考えてみれば当たり前。行灯など問題にならない明るさで、扱いも簡単。出火の心配もなくしかも安い。

 水車に発電機をつなげれば、水の流れが、タダで電気を作りだしてくれる。


 初期投資のお金が必要だけど――


「こちらも、二一世紀のエレキテルが結構高いので、何を買うか選定中なんですよね」 

 

 マイクロ水力発電機は個人で買えるが、種類が多く何がいいのか、今一つ分かりかねるところがある。

 

「金子が足らぬか? 土岐殿はあれほど、商いを盛んにしておるのに?」


「いえいえ、江戸のお金、小判を現代のお金にする方法とか、色々―― まあ、解決の目途はついてますけどね」


「ふむ、それならばよいが」


 結構高い買い物を連続して行っているので、ちと二一世紀の資金が心配になっているのだ。

 そのための、江戸時代の動画撮影だったわけだが、もしそれがアカンようなら、小判を担保に金を引っ張るしかない。


「あとは、無線機ですね。音をエレキテルで遠くに一瞬で伝える機巧ですが……」


「うむ、それも出発までには、こちらで試しを行う必要があろうな」


「そうですね」


 とにかく「蝦夷地調査プロジェクト」「江戸城電化プロジェクト」はほぼ計画通りに進んでいるのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 俺は吉原の方に足を向けていた。

 吉原の動画を撮るというわけではない。

 確かに吉原は昼間から営業しているが、その動画をいきなり出すのはもったいない。

 街並みなどの動画の評判を見ながら、小出しにしていこうと思っている。

 

 で、俺が向かっているのは#蔦重__つたじゅう__#さんのところだ。

 俺の江戸時代におけるビジネスパートナーである。

 江戸屈指の版元(出版社)で、店舗は吉原にあるのだ。


「自転車くらいは、あってもいいんじゃないかな……」


 俺は口の中で呟く。

 なんでも徒歩移動の江戸時代。

 江戸の技術で自転車が作れれば、かなり売れるかもしれない。

 どうなのか、検討してみようかなと俺は思った。

 要するに、俺は歩きつかれているのだ。


「蔦重さんは―― って、あれ! 源内さん!! 戻ってきていたんですか!」


 耕書堂の奥に入ったら、見覚えのある天才がいた。

 平賀源内だ。


「よぉ、ワタル殿。そっちの様子はどうだい?」


 平賀源内は相変わらずだった。すごく楽しそうに生きている感じだ。

 それほど、長く離れていたわけではないのに、ずいぶんと久しぶりに感じた。

 なんだろう。この人を見てるだけで俺もなんか楽しくなってくる。


「いや、そっちこそ…… どうなんですか? 鉱山は」


「ま、順調だな。やっぱり、やるときゃ一気に#人工__にんく__#を投入しなきゃダメだ。チビチビやってるから駄目だったんだよ」

 

 そう言って、源内さんは懐から石を出して俺に見せた。


「ほら、この通りだ」


 鉱物の素人に石をみせ「この通りだ」と言われても分からないのだ。


「え? なんですか? この石」


「かッー!! わかんねーの? なんで? ほら、金、銀あるよね。ここ」


「え? 金が出たんですか! 銀も!」


「ま、これからだな。これからガンガン出るだろうぜ」


 平賀源内はそう言って石を懐にしまった。

 仕事が一段落ついたところで、一端江戸に戻ってきたとのことだった。


「で、どうなんだい? 土岐殿は」


「まあ、色々進んでますよ」


 俺は蘭学者を門弟にした塾を作ったこと。江戸城にエレキテルを流し灯りをつけること。蝦夷地開発などについて簡単に説明した。


「ふーん…… 大活躍じゃねぇか。流石だぜぇ。ええ、よう」


 バンバンと俺の肩を叩く源内さん。

 そして、奥から、蔦重さん。本名、蔦屋重三郎が出てきた。


「これは、平賀様に土岐様、むさくるしい場所に――」


「堅苦しい挨拶はいいからよぉ。オレはただ、顔見世に立ち寄っただけだ。ワタル殿はなんかあるんじゃねか?」


「あ、そうです。あの、『予言の本』はどうです? 売れてます」


 薩摩の桜島噴火を予言した本のことだ。それが売れているかどうか確認しにきたのだ。

 この本の目的は浅間山噴火の惨事を最小限に抑えるために布石だった。

 田沼意次にも献本してあるので、取り締まられる心配はない。


「う~ん、今一つですな―― どうもですね……」


 蔦重さんの歯切れが悪い。


「ま、老中様に献本しているとはいえ、薩摩藩の関係者はあまりいい気持ちはしねぇだろうからな。江戸にだって薩摩藩の人間はいるんだしよ」


「そりゃそうですけどね」


 確かに自分の故郷で大噴火があるとか言われればあまりいい気持ちはしないだろう。

 薩摩の人にすれば「チェストー!! 大きなお世話でごわんそ!」ということになるのか。

 ただ、薩摩藩と田沼家の結びつきは確か強かったはずだ。

 政治レベルでも動いた方がいいかもしれない。


「十一月に実際に予言が当れば、反応も違ってくるかな」

「まあ、それであればよろしいのですが…… それよりも、土岐殿の品物の注文がどうにも多すぎて――」


 俺の言葉に、蔦重さんは苦笑を浮かべて言った。

 まあ、商売人なので、売れない本の話より、売れる商品の話をしたいだろう。

 しかも、品薄で機会損失をしているのだから。


「どうでぇ、その辺も含めて、そこらで飲みながら話をしねぇかい?」


 平賀源内は言った。そして、俺と蔦重さんはそれに反対する理由はなにもなかった。

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