賢者への刺客
賢者の願望は、さすがに虫が良すぎた。
新都ニダロスにて、宣教師の報告を受けたオーラヴ王は、船を逆さにしたような形に口を歪めた。飲んだエール酒が苦かったからではない。
「その賢者、というのは、どうも気に入らないな。そうも明瞭に改宗を拒否したというのは、この俺に喧嘩を売っているということだな」
ノルウェーの、オーラヴ王の支配が及ぶ範囲において、キリスト教への改宗を拒んでいる者はまだ少なくない。とはいえ改宗に応じないからとて即座に処刑していては、恐らく人口の半分くらいを殺さなければならなくなってしまう。改宗にある程度時間がかかることはオーラヴ王も理解していた。
しかし一口に異教徒と言っても、一般の信者と、信者を導く立場の巫女のような者は、同じに扱うことはできない。
「おい、やっかい詩人よ」
「オーラヴ王、それはオレのことですかな?」
「お前以上にやっかいで面倒くさい詩人がどこにいる。ハルフレズよ、お前はまだ、アースの神々への未練を残しているのか?」
「オーラヴ王は、毎回毎回、その質問ばかりですな。オレはオーラヴ王にとって最も忠実な臣下にして最大の友人でもあるというのに」
「お前の歌う詩を聞いていたら疑り深くもなるわ。疑われるのが嫌なら、また例によって異教徒処刑によって、お前の優秀さを示してこい」
オーラヴ王の言葉を聞いて、詩人ハルフレズの目が、獲物を狙う剽悍な蛮族アッティラの如きものになった。
「今度の標的は誰ですか?」
「オップランという所のソールレイヴという男だ。先見のソールレイヴだとか賢者などと呼ばれているらしいぞ。その地の巫女と結託して、宣教師に改宗せよと言われても頑なに拒んでいるらしい」
「オップランですか。そこは、オレの嫌いな奴のカールフの出身地で、あまり行きたくないんですよね。それに、ニダロスから海回りで行くと無駄に遠回りすることになりそうだし、時間がかかってしまいます」
ノルウェーの北岸にあるニダロスの町から、賢者ソールレイヴの住むオップラン地方までは、巨人の家ヨートゥンヘイム山地を超えて行けば単純な距離としては近い。ただし、秋から冬にかけての雪と氷に包まれた極寒の高山は、長さで測れば近くても容易には抜けられない難路である。それならば、距離としては遠回りではあっても、船の扱いに長けている峡湾の民としては海路を辿って行った方が早くて安全だ。スカンジナヴィアの南西端に楔を打ち込んだように三角形に切り取っている部分があり、そこはオスロ峡湾と呼ばれている。そのオスロ峡湾の奥から川を遡って、森と湖の国であるノルウェーで最大の湖であるミョーサ湖の最北端まで行ったところだ。
「今すぐとは言っていない。来年の夏でも良い」
「それでいいというなら、行ってきますよ。その賢者を殺してくればいいんですね?」
「いや、殺さずにそいつの両目を奪ってもらいたい。『先見の』ソールレイヴなどという生意気な二つ名を持っているようだから、ならば両目の光を失ってもその先見の明を発揮して賢者たりえるのか、試してみようではないか」
詩人ハルフレズは難しい顔をした。
「単純に殺す方が簡単なのですが。殺さずに目を潰せと。だったら戦斧を使い難いですな。目を抉るなら短刀を上手く使う必要があるかな?」
オーラヴ王は目を細めて詩人を睨んだ。
「お前の持っている斧は装飾が施されていて随分と立派な物だが、あの女好きのハーコンから授かった物だったはずだよな? そんな斧に頼らずに自分の腕で戦ってみるといいさ」
「了解しました。オレは詩を詠むだけでなく、斧も短刀も縄も、どんな武器でも使うことができる優秀な戦士であるということを証明してみせますよ」
ノルウェーはこれから長く暗く閉ざされた冬に向かって行く。
しかし冬は必ず終わる時が来る。
本来ならば冬の終わりは待ち遠しいものだ。
だが、来年の夏。賢者ソールレイヴに対して刺客が差し向けられることが確定した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます