■0996■

単刀直入な客

巫女は思い出す、

ヨートゥンヘイムに住む巨人たちを。

遥かいにしえに生まれし者たちを。

それは遠い遠い昔、

我らを育んだもの。

今、私は語ろう、

この九重の世界を。

九人の女巨人を。

枝多き名高き世界樹を。

地下の深淵を。



 少したどたどしい、ぎこちない感じの語りではあった。この小さな神殿に集まった近隣の子どもたちは、ゲルドの語りを聴き終えて蜂蜜入りのお菓子を貰って帰って行く。神殿といっても、簡素な小屋に多少の装飾を施しただけのものだ。

 一人の男の子が、ゲルドに向かって質問を投げかけた。

「巫女のお姉ちゃん。今のお話の中に、キリストは出てこなかったけど、どうして?」

 言葉に詰まり、視線を宙に泳がせるゲルド。小さな子どもにまで、キリストの名は浸透しつつあるのだ。

「キ、キリストはね、アースの神々とは違うのよ。南の方の、ヨールサラランド、だか、なんとかだったか、ミクラガルドだったかという地で生まれた偉い人なのよ。我々のようなノルウェーに住む峡谷の民は、アースの神々の教えを忠実に守って生きて行けばいいのよ」

 ヨールサラランドはエルサレム、ミクラガルドはコンスタンティノープルのことだが、勿論ゲルドは聞いただけだ。行ったことも無ければ、どのくらい遠い場所にあるのかの見当もつかない。

「そうなの。なんか変だなあ。まあいいや。網のつくろいを手伝いながら父ちゃんに聞いてみよう」

 と言いつつ少年は、栗鼠のラタトスクのようにお菓子を頬張りながら帰っていった。

 子どもたちが全員神殿から帰ってから、ゲルドは大きく息をついた。いつも以上に重く肩が凝っている気がして、右手で左肩を揉もうとして、緑柱石や氷長石や菫青石などを連ねた儀式用の首飾りを下げたままだと気付いた。これらの石は、美しい貴石ではあるが、峡湾の民の間ではありふれているのでさほど高価ではない。エイストラサルトの海、すなわちバルト海の沿岸エストニア産の琥珀を使った額冠の方が貴重品だ。

「お疲れさま、ゲルド」

 子どもたちが出て行った戸口から顔をのぞかせているのは、ハシバミ色の目に少しくすんだ金髪が特徴の若き賢者ソールレイヴだった。

 ようやく緊張を解いて柔和な笑顔を浮かべたゲルドだったが、その笑顔は冬の真水のようにすぐに凍ることになった。

「お客さんが来ているよ」

「こんにちは。この出会いを導いてくれた主に感謝を。私は、オーラヴ王の後援を得て、偉大なる唯一の神であるキリストの教えを広めて各地を旅している宣教師です」

 包み隠すことなく己の素性を名乗った宣教師は、随分背の高い男だった。成長のための血肉が全て背の高さが伸びる方向へ行ってしまったのか、極端に痩せていた。トネリコの枝よりも細そうに見える。

 ゲルドは虚を突かれた格好だ。オーラヴ王がキリスト教への改宗を推進するというからには、いずれ宣教師がこの地にもやって来るであろうことは予想できていた。しかし、来たとしても普通の民にキリストの教えを噛み砕いて説いて聞かせ、改宗を勧めるところから始めるだろうと思っていた。まさか、敵の本拠地であるアースの神々を祀る神殿に押し掛けて、巫女に会いに来るとは。

「随分若い巫女さんですね」

「この村の正規の巫女は、今はこの場所にはいませんが私の母です。私はその娘で、巫女を継ぐ者です」

「そうですか。まあ娘でもいいでしょう。古き神を奉じる巫女であるというあなたが改宗してくれれば、話は楽なのです。神は唯一です。信じる者は救われます。死んだ後は天国へ導かれるのです。さあ、あなたも、誤った教えを棄てて、正しいキリストの道へと悔い改めてみませんか」

「あのですね。そんな単刀直入に改宗してくださいと言われて、はいそうしますと巫女の私が応じるとでも思っているのですか」

「うーむ、駄目ですか。私、難しい教義論争とか苦手なんで、素直に改宗してくれるのが一番ありがたいんですよね」

「随分珍しい宣教師さんだな。僕が事前に考えていたのとは違うな」

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