ハルサキ。詩にとっての義姉弟であり、親友であり、初恋の相手であり、利便的な仲間であり、共に生きてきた、強靭なワイヤーで繋がったような人間。

 

 詩のすべてだった。


 スラム街でシャブをやった人間から、身を挺して詩の命を救ったのもハルサキ。

 軍人の襲撃から一緒に逃げたのもハルサキ。

 犯罪組織の幹部を殺して、スラム街を出ていく決断をしたのも、ハルサキ。


 一〇年前の花咲町で起こった、『超自然現象:花の日』の犠牲者も……。

 『ハルサキ』……?


「い、いないって……どういうことだよ……!?」

 詩の冷淡な姿が、一秒ごとにはがれていく。そこにいたのは、少年時代に怯えて生きてきた『詩』だった。ニャルラトホテプ……神は勝ち誇る。

「うッ、うッ! は、ハルサキはッ! 私が言ったそばからこの町に行って、異能力を手に入れるために行動してたんだけど!」

 突然、わざとらしいウソ泣きを始めるニャルラト。

「彼女は、哀れなことにねッ!? 一番信頼していた『ナツキ』に誘拐されて、犠牲となったのです! うええええええん!」

 詩は、必死に赤兎に駆け寄った。こいつは……『ヤバい』。赤兎は、歯を食いしばりながら、なんとか立ち上がる。

「う、詩ッ。大丈夫ッ。私は妖ッ。これぐらいの簡易的な妖術なら、すぐに回復できる……」

「お、お前……ハルサキに何w」

 すると、ニャルラトは笑った。ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべたかと思うと、今度は目を見開いて高らかに言う。

「うっへへー! 本当はさ、田中桃子とかいう女子高生と日向姉弟の能力が都合がよかったんだよね! 『世界を滅ぼす』と『何でもかなう』?」

 詩は、赤兎の太ももを赤く染めている札を必死に引き抜こうとする。そんな詩を横にニャルラトは独り言のように続けていく。

「でもさでもさ。君の能力も、案外『何でも行けるクチ』だったりするよね? 虚言だっけ? 嘘を言っても本当にできちゃう奴。相手の認識を捻じ曲げて、クオリアを操作できる術ッ。それを使えば、姉弟の暴走と田中桃子の能力開放も、素早く進んじゃうよね?」

「ッ!」

「僕は、面白いと思うんだ! ハルサキは、物理的にいなくなったわけじゃないからさ。まだ希望はあるよ……。『僕に協力してくれない』?」

「ハルサキは……ッ。『ハルサキはどこにいる』ッ!?」

「来れば分かるよ、廃工場の奥にね。でも、『もういなくなっちゃってるから』」

「……」

「来てみりゃわかるって!」

 詩は、赤兎を引き連れてゆっくりと、野原に建つ廃工場の奥へと進む。


 日比野相木は、ずっと走りっぱなしだ。いったん方向を確認する。

(詩とかいう人物ッ……データベースを調べてみたら、あれは完全な『不法入国だ』。犯罪組織の一員か、もしくは何かほかの目的があるのか……。j初めはそう思っていたが、どうやらことはそう単純じゃないらしいッ。十六夜さんの言うには『彼は能力者』だッ。もしかすると、ニャルラトの標的にされるかも……)

 すると、後方から声が聞こえてくる。車からだ。夜道を照らすライトが、背中を明るく色づかせる。

「日比野君ッ!」

 日向太陽の声だ。

「乗っていってくれ。警察官として、傷害事件の可能性があるなら追わなければならないし……。能力者が何か良くないことを起こしそうだというのもわかるからッ」

「……わかりました。遠慮なくッ!」

 日比野は、飛び乗る。車が走り去っていく道路には、街灯の光だけがあった。


 カツカツ。

 コンクリートを叩く音。足音だ。

「ささ、着いたよー!」

 ニャルラトホテプが、工場内の一角のドアを開ける。

「じゃじゃーん! これが君の義姉、『ハルサキ』ちゃんでーす!」

「え……?」

 そこには、一人の人間がいた。鎖で繋がれた若い女が。

 血がべっとりとついており。コンクリートの床に横たわっているその姿は、ぼろきれを想像させた。

「ハル……サキ?」

 詩は確認した。確かに、酷く傷付いているのを除けば、記憶にあるハルサキそのものなのだが。

 返事がない。

「し、死んで……」

「あはは、死んでないよー」

 ニャルラトが否定する。しかし。

「いやー、こうも簡単に『壊れちゃう』とはねー? 詩君の場所を吐かせようといろいろ頑張ったんだけどさ。僕の狙いに気が付いちゃったみたいで、一向に言ってくれなくてねー。ほら、でも一応僕って『人間の設定』じゃん? だから、あの手この手で痛めつけてみたんですけどー?」

 早口で、笑いをこらえながら言ったニャルラトは、口を手で押さえる。

「指を斬り落としたり、足を焼いたりしてたらさー。『精神が逝っちゃった』みたいで! クププププププ……。まともにしゃべれなくなっちゃってんのーッ! 食事もとれなくなったから、死ぬのは時間の問題かな?」

 詩は、ぼろきれに隠れている体を確認した。

 痣。

 傷。 

 火傷。

 そして切断面。

 周りには血がまき散らされており、薬物を打たれたとわかる注射痕があった。

 目に光がなく、ガクガクと揺れている。

 次の瞬間。


「うがあああああああああああッ!」


 突然、ハルサキが人間とは思えないような悲鳴を上げて、暴れだした。鎖が揺れ、血がまき散らされる。

「痛いッ! いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいだだだだだあああああああああああああああッ!」

 ニャルラトは、平然と説明する。

「びっくりした? フラッシュバックだね。うん。ショックが強すぎたかー……」

 詩の眼からは光が無くなっていた。

「まともにコミュニケーションなんてもう取れないから、もはや『ニンゲン』じゃないね! あははははははははははははははは……」

「なんでッ! ……なんでこんなこt」

「あれー? 『君だって、やってたじゃん』?」

 とぼけた顔で、ニャルラトは、詩にグイと顔を近づけた。

「僕がボスに仕立て上げた、可愛い可愛いモブをさ? 爪剥いで、歯を抜いて痛めつけてたじゃん?」

「あれは……ッ」

「んー! しかたないよねー! でもねー。『僕のこれは、仕方ないことじゃないんだなー』?」

 人差し指を立てて、ニャルラトは白い歯を見せる。

「スラム街で学んだもんね。うんうん。やらなきゃやられるってのをさ。でも、僕は神だから! 許されるんだー!」

 支離滅裂な思考を打ちたてて、ケラケラ笑っていた。

「なんと、むごいことを……」

 赤兎は、口を押えて涙を流す。神は、それを見逃さない。

「なんで他人事なの? うさぎちゃん?」

「へッ!?」

 詩は、赤兎の方を見る。ニャルラトは、次の言葉を発した。

「うさぎちゃんも、詩君次第でああなるに決まってるじゃんかー!」

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