魔王軍作戦会議

 見るものに無機質な印象を与える、石造りの床と壁。血のように赤い光がそれらを照らしている。

 かつてこの部屋には絨毯が引かれ、天井にはシャンデリアが吊るされ、部屋の各所には大小様々な調度品が置かれていた。ここは広くて豪華な寝室だったのだ。

 しかし、今やその面影はほとんどない。

 絨毯は引き剥がされ、小さな調度品は放り出され、大きな家具類は砕かれたのちに運び出された。シャンデリアはその位置こそ変わっていないものの、吊るされているのは燭台と蝋燭ではなく、鮮紅色の炎を灯した怪しげな髑髏どくろだ。

 その怪しい赤い光の下で、一体の異形が声を上げた。


「時刻だが……全員揃っているな?」

 声の主は、紫の肌にツノと翼と尻尾を備えた一体の悪魔。しかし全身に加齢によるシワと無数の古傷を刻んだその姿は、一目で戦歴と武功を窺わせる、言わば古強者であった。

 その老練な悪魔は、赤い照明の下に集った者たちをジロリと睨め付ける。その場に集った形も大きさも不揃いな魔物たちは、おとなしくその視線を受け入れる。

 『力こそ全て』を信条とする魔物たちだからこそ、この古強者には易々と逆らえない。何故ならば、日夜戦いに明け暮れる魔物たちにとって、老いとは強者のみが手にできる栄誉であり、老いてなお隠居せず表舞台に立つ者は強者の中の強者、真なる強者に他ならないのだ。

「それでは、定例戦略会議を始める」

 そして、魔物たちの会議とは思えない静かさの中で、会議は始まった。


「まずは戦線の状況から。南方戦線はこの数日でわずかに前進、逃げ遅れの人間ごと数個の村を飲み込んだ。目標は変わらず進路上の砦だが、斥候の情報を加味し、一旦戦線を留め、迂回と浸透でもって補給線を断ち、その後攻勢をかける。続いて西方戦線だが──」

 そうして、老悪魔は淡々と、それでいて非の打ちどころのない報告と行動方針を語っていく。

 それもそのはず、この老悪魔は魔王の右腕として魔王に次ぐ権限を与えられた魔王軍元帥であり、西方戦線・南方戦線・東部海岸戦線の三方面を統括する立場にもある。

 無論、各方面の戦線にはそれぞれ指揮を取る将軍がいるが、彼らはただのお飾りに過ぎない。実質的にはこの老悪魔が三方面の大軍を手足のように操っていた。

 そして、老悪魔は一体で三つの戦線を普通以上に回し続けていた。すなわち、攻撃をいなし、隙を見ては攻め、柔軟に戦線を維持しながら着実に戦線を押し上げている。人間は知るよしもないが、人間の軍勢はこの老悪魔一体に押し負けていると言っても過言ではないのだ。

「──以上、三方面の戦線の状況だ。我の見立てとしては、現在の不安要素は皆無である」

 あくまで感情を表に出さない老悪魔の声とは裏腹に、それはかなり強気な発言であった。しかし、やはり反発する者はない。それほどまでに彼の戦果は輝かしかった。

「では、次は深部作戦の状況だ」

 瞬間、場の空気が一変する。

 戦線での攻防を敵陣の浅い部分での行動とするならば、深部作戦はまさにその逆。戦線を超えた遥か向こう、敵陣の奥深くに侵入し作戦を実行するものである。

 そして、魔王軍の深部作戦は、戦果を挙げ続ける各戦線とは対照的に、全くと言っていいほど戦果を挙げられていなかった。

「前回の会議で、時期をそろえて深部作戦を発動することで、人間軍全体を揺るがすことができるという話であったが……いや、まずは事実の確認からだな」

 そう言って、老悪魔は一枚の紙を取り出した。

「今日までに実施された作戦は全部で五つ。アクマコウモリによる街への降下襲撃、聖剣の奪取または封鎖、王都地下への魔獣投入、森林の大規模な魔物化、フリームスルス殿の敵地蘇生。加えて、復活の近いドラゴンの骸や暗殺者集団などは、上手く使えばこちらの戦力になるとも言っていたか」

 そこで広げた紙から視線を上げ、老悪魔は他の面々を見渡した。その視線は今や鋼の刃よりも鋭い。

「……して、結果はどうであった?」

 誰も答えない。誰も答えたくないのだ。

 何故なら、5個の深部作戦はことごとく失敗。加えて、予備として見ていたふたつの戦力も跡形もなく破壊されてしまったのだ。

 これにより、今回の深部作戦が大失敗に終わっただけでなく、作戦そのものの継続ももはや困難となってしまった。

 このただでさえ重い大失敗は、戦果を挙げ続ける老悪魔との対比で、より酷く、より致命的に映る。故に、誰もこの不名誉を引き受けてしまわないように、口を閉ざし続けた。

 だが、黙っていれば見逃してくれるほど、老悪魔は優しくなかった。

「何も言わぬということは、責任を取るつもりもないということか。では、役立たずどもの首は残らずすげ替えねばなるまいな!」

 そう叫ぶや否や、老悪魔は手刀に赤黒い電撃を纏わせ、一気に振りかぶった。

 だが、電撃を纏った手刀が誰かの首を焼き切るより早く、

「待った。その許可は与えてないな」

 やけに高い子供のような声が割り込んだ。

 瞬間、老悪魔は身を翻し、素早くその場に片膝を付いた。

「申し訳ありません、魔王様。出過ぎた真似をお許しください」

 すると、先ほどと同じ高い声が何もない空間から答えた。

「いいよ。元帥には世話になってるからね。ただし、魔王軍は兵士の一体に至るまでボクのものだ。ボクの命令によらない処刑はやめてくれ」

「ご命令のままに、魔王様」

 そして、声だけの魔王は、残りの会議参加者に声の照準を向け直した。

「さて、今回の深部作戦の失敗には相当のイレギュラーが絡んでいることをボクは知っているわけだけど……それはそれとして、失態は失態だ。落とし前はつけなくちゃならない。本来ならば首のひとつやふたつは飛ばすところなんだけど、代わりに挽回のチャンスを与えようと思う」

 答えたのは老悪魔の方だった。

「おお、なんと慈悲深きことでしょう。この者たちにもう一度機会をお与えになるとは!」

「そうだろう、そうだろう。じゃあ早速、その作戦について話そうか──」

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