第4章 ペアレンティング・ペンディング ①人気の講演会

 その日、美羽は仕事が終わった後に、ある講演会を聞きに行った。

 区営の公民館の会議室のドアの前には、「C判定だった私がリアル・ペアレントになるまで」と電子看板に表示されている。

 講演するのは星川理央というネットの番組で最近よく見かける女性だ。元キャリアアテンダントという肩書で、外国人のように目鼻立ちがクッキリしている。歯に衣着せぬトークが人気で、討論番組のほか、バラエティ番組にも出演している。

「――というわけで、我が家は3回ともC判定だったんです。二人とも働きながら、ボロボロになりながらレンタルベイビーをしたのに、C判定。もうね、地獄でした。私は旦那を責めたし、旦那も私を責めたし。こんな関係じゃやっていけないから、離婚しようって本気で思ってたんですよ。そしたら、リアルに妊娠しちゃって。ケンカしてても、やることはやってたってことですね」

 そこで笑いが起きる。観に来ているのは、ほとんど20代や30代の女性だ。美羽のようにレンタルベイビーで悩んでいる人も多いだろう。

 理央は話し慣れている様子で、身振り手振りを交えながら、人を惹きつけるようなトークをする。

「リアルに妊娠してから、何度も悩みました。このまま産んでいいのかなって。だって、旦那は子育てにまったく参加してくれないって分かってたから。で、もう、出産するときは不安しかなかったんです。だけど、産まれた娘を見た瞬間、旦那は変わったんですよ。デレーとしちゃって。産婦人科を退院するころには、嫁にはやらないって言いだして、ハイになる変な薬でもやってるんじゃないかって思いました」

 そこで軽い笑いが起きる。

「レンタルベイビーのときはどれだけお願いしてもおむつも替えないし、ミルクもあげなかったのに、自分からせっせとやりだしたから、やっぱ生身の人間だと愛情が全然違うんだなって思いました。男性はロボットだと感情移入しにくいみたいですね。で、これなら大丈夫だって、親子で何とかやって行けるって思ったんですよ。二人目が生まれるまでは」

 理央はそこで言葉を切り、水を飲んだ。

「二人目が生まれたタイミングで、旦那は海外勤務になったんです。で、ついていきました。赤ちゃんもいるし、上の子だってまだ小さいし。で、旦那は現地のスタッフとうまくコミュニケーションをとれなくて、その分自分で仕事をしなくちゃいけなくて、子育てする余裕がなくなっちゃったんです。その国ではメイドさんを雇うのが普通だったから、うちでも雇って、それで何とか子育てと家事を乗りきったって感じです。旦那よりもメイドさんが頼りだったって感じで。で、帰国しました。で、子育てに復帰してくれるのかなーって思ったら、子供が全然なつかなくなってて。やっぱり、一緒にいられる時間が少なかったからでしょうね。上の子はかわいがってた時期もあったから、旦那もショックだったんですよ。『あんなにかわいがったのに、覚えてないのか?』って。で、なつかないから面白くない。そうなったら、何もしなくなっちゃって。休日も部屋に閉じこもって一日中ゲームをしてて、子供と遊んでくれない。で、責めたら、『こうなったのはお前の育て方が悪い』って言われるし。こんなパパだったらもういらないかなって、悩んで悩んで……結局離婚しちゃいました」

 会場のあちこちで、「ああ……」と声が上がる。おそらく、自分事のように聞いている人が多いのだろう。美羽もハンカチをギュッと握りしめた。

 理央は会場をグルッと見渡してから、話を続けた。

「離婚する時に、やっぱりネックになるのはお金です。私は働いていた時の貯金があるから、しばらくはやっていけるだろうって思って。で、ブログを始めたら、いつの間にか話題になって、今は電子書籍も出版できたし、ネット番組にも出演させていただいてるので、何とか生活できるんですね。今のところ、パパがいればよかったって後悔することはありません。家事はロボットに任せればいいし、仕事で出かける時はベビーシッターさんに来てもらえるし。子供達もパパに会いたいとか全然言いません。だから、うちは離婚して正解だったって思います。今日、ここにいらした方の中には、C判定でも、その後何とか夫婦で子育てを乗りきったっていう話を期待してきた方もいらっしゃると思います。そういう方にはごめんなさいっていう感じです。うちは結局、うまくいかなかったんで。でも、結局レンタルベイビーの判定ってロボットで子育てをシミュレーションした結果に過ぎないから、そんなに深刻に受け止めなくていいんじゃないかって思うんです。だって、私のまわりで最後までずっとA判定だったのに、実際に子供を産んだらうまくいかなくて、離婚した友達も何人かいるんですよ。皆さんのまわりにもいませんか? 逆に、ずっとC判定でもうまくいっている夫婦もたくさんいると思うんです。うちとは違って。だから、本当の子育ては、結局子供を産んでから始まるんですよ。で、私から皆さんにお伝えしたいのは、頑張りすぎないでってことです。皆さん、レンタルベイビーでボロボロになっていらっしゃるんじゃないかって思うんです、かつての私とおんなじように。でも、思いつめないでほしい。あくまでも練習で、本番じゃないんですから。最近、A判定の人がC判定の人を見下したりしてるでしょ? あり得ないです、ホントに。自動車の免許と同じで、教習所ではうまく運転できても、免許取って路上に出たら、いろーんなことが起きるじゃないですか。子供が飛び出してきたり、スマフォ見ながら運転してる自転車にハラハラしたり。それと同じで、実際の子育てがはじまったら何が起きるか分からないんです。だから、そんなに気にやまないでってことと、過信しないでってことを私は同時に言いたいんです」

 話が終わると、会場には拍手が鳴り響いた。美羽も力いっぱい拍手した。

「それでは、質問コーナーに移ります。星川さんに聞いてみたいことがある方、いらっしゃいますか?」

 司会の女性が呼びかけると、パラパラと手が挙がった。

 指された人は、立ち上がって「レンタルベイビーで一番大変だったことは何ですか」「実際の子育てで苦労していることは」などと尋ねる。理央はユーモアを交えながら答えた。

 美羽も、思いきって手を挙げた。

「次は、一番後ろの席に座っている方」

 当てられて、立ち上がる。小さなマイクを渡されて、美羽はドギマギしながら質問した。

「あの、私もレンタルベイビーをしているんですが、2回目が終わったところで2回ともC判定だったんです。それで、その理由が、旦那が何もお世話をしてないからって言われて……。講習会にも行ったし、私からも何度も『そんなんじゃC判定になっちゃうよ』って言っても、それでもおむつを替えないし、離乳食も食べさせようとしないんです。たまに遊んでくれる程度で、『オレはやってる』って胸張ってるし。それで、その……」

 何を聞こうとしたのか分からなくなって、美羽は言葉を切った。

「お気持ち、分かりますよ。私もまさにそんな感じでしたから。で、そんな旦那さんに対して、どうにかして動いてもらいたいって思ってらっしゃるんですよね」

 理央は美羽が何を言おうとしているのか、察してくれたようだ。

「ハイ、そうなんです!」

「どうやって旦那さんを説得すればいいのかってご質問でいいかしら?」

 美羽は大きく頷いた。

「そうですね。今のご質問は、どこの会場でも必ず出るんですね。私は最終的に離婚しちゃいましたが、そんな簡単に別れられるものでもないですし。ましてや、レンタルベイビーでうまくいかなくて離婚っていう理由もねえ、ちょっとまわりに言いづらいじゃないですか」

 かなりの女性が、うんうんと同意している。

「だけどね、私は自分の経験から言えるのは、旦那の本質は変えられないってことなんです。レンタルベイビーで積極的に関わらなかった旦那が、リアルな子育てで積極的になるかって言うと、やっぱり人間の本質はそうそう変わりませんよ。うちのように、しばらくはやってくれるかもしれないけれど、子育てって1年2年の話じゃなく、ずーっと続くじゃないですか、子供が成人するまで。小学校に入るまでだって6年間あるんですよ? で、子育てって基本忍耐が必要だし。協力しない男が、そんなに長い間耐えられるかって言ったら、ムリなんですよ。それは妻がどんなに頑張っても変えられるものじゃない。だから、最初から諦めたほうが楽かもしれません。私は諦めなかったから、リアルな子育てで苦労したんですけれど。で、『この人は何もやってくれないんだ』って考えて、家事ロボットを増やすとか、ベビーシッターや保育園を積極的に利用するとか、ジジババを巻き込むとか、別の方法を考えたほうがいいです、絶対に。期待するから、ダメだった時にガッカリしてストレスがかかるわけで。諦めてたら、ストレスかからないじゃないですか。で、説得しようなんて考えなくて、C判定でもいいから、旦那も協力してくれなくていいから、とにかくレンタルベイビーを乗り切ることが大事なんじゃないですか?」

「ハイ」と、美羽は理央の言葉を噛みしめた。

「とりあえず、しばらくペンディングしてみるのもいいと思います。私は一気に3回レンタルベイビーをやったから追い詰められちゃったけど、ちょっと時間を置いて、お互いに冷静になってからもう一度始めるのもいいと思いますよ」

 美羽は「ありがとうございます」と頭を深々と下げた。

 講演が終わり、会議室から出ると、「あの、さっきの質問、うちもまったく同じだから、共感しました」と一人の女性に声をかけられた。帰る方向が同じなので、二人で話しながら歩いた。

「私は3回目に入ったところなんです。でも、旦那はぜんっぜん協力してくれなくて……A判定でなくてもいいけれど、一回ぐらいはB判定を取りたいじゃないですか。ほんのちょっと協力してくれればいいだけなのに、何回言っても、『俺にはムリ』って言い張るんですよね。ほんの数分ガマンすればいいだけなのに、なんだろ、この人って。頭悪いなってイライラするようになっちゃって」

「それ……すごく分かります。空に――あ、レンタルベイビーに離乳食をやっとこ食べさせて、ご機嫌になってるからそのままほっといてもいいのに、そういうときはかまってあげるんですよね。で、私が片付けが終わってお風呂に入ろうとすると、『仕事のメール、しなきゃ』とかいなくなっちゃって。私が片づけてる間に、メール送っとけばよかったのに、段取り悪くない? って」

「そうそうそう、そういうの、たくさんある! 私も、この間、洗濯物を畳んでいる時……」

 二人で旦那の悪口を言いながら歩いていると、あっという間に駅に着いた。LINEのアドレスを交換して、「お互い、頑張りましょうね」と声を掛け合って別れた。

 ――どこの家も、旦那問題を抱えてるんだな。

 鬱々としていた気持ちが、ちょっとだけ晴れた気がする。

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