第1章 レッツ、レンタルベイビー! ⑥おむつバトル勃発

 山野辺は紙おむつの使い方の図説をホワイトボードに貼りつける。


「ハイ、まずはテープをベリベリとはがしましょう。それをレンタルベイビーの近くに置いて。それから、レンタルベイビーの服を脱がせます」


 参加者はみんな山野辺の説明に合わせて手順を進める。おむつを脱がせると、「あ、男の子だ」と、美羽は思わずつぶやいた。レンタルベイビーには性別があると聞いたが、こういう部分も精巧にできているらしい。


「ハイ、新しいおむつをお尻の下に敷いて……」


 山野辺の説明通りにおむつをつけようとするが、足をバタバタ動かすので意外と難しい。


「そういうときは、両足を持ち上げてみましょうか。ムリに引っ張り上げちゃダメですよ。ひざの裏に手を入れて、ちょっとだけ持ち上げてみてください。こういう感じで」


 山野辺に手伝ってもらいながら、何とかおむつを替えることができた。


「だから、そうじゃないでしょ」


 突然、先ほど布おむつのよさを主張していた女性が声を上げた。


「それだとゆるすぎて、おむつが脱げちゃうでしょ。もっときちんと留めないと」


 母親に指摘されている娘は、怒りを堪えるような表情をしている。


「こんな簡単なこともできないなんて」


 母親が失笑すると、娘は脱がせた紙おむつを母親に投げつけた。


「うるさいっ、もういいから、出てってよ! 気が散るじゃない。だから、お母さんとは来たくなかったのっ」 


 娘の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。おむつを替えてもらっている最中のレンタルベイビーは大声に驚いたのか、泣き出した。母親は目を吊り上げる。


「ホラ、泣いちゃったじゃ」


「いいから、出てって!」


 母親を鋭く制すると、渋々母親は荷物を持って教室を出て行った。


「大丈夫ですか? ちょっと驚いちゃったね~」


 山野辺はレンタルベイビーを抱き上げて、あやす。


「……すみません」


 娘はハンカチで涙を拭いている。怒りのあまり、体が震えていた。


「いいんですよ、たまに意見が合わない親子さんもいるので、こういうことはよく起きるというか。昔の自分のやり方を押しつけようとする親御さんもいて、今はそういうやり方はしないって言っても、聞く耳を持っていただけなかったりするんです」


 山野辺は優しく娘を慰める。


 レンタルベイビーが泣き止んだので、もう一度おむつをあてることになった。


「あのお、こっちはもう終わってるんですけれど」


 さっき「仕事を抜けてきた」と言っていた女性が、苛立ったように言い放つ。


「ってか、このサポートしてる人達って何なんですか? 嫌味を言うか、黙ってるかで、全然教えてくれないじゃないですか。山野辺さんじゃなく、そこに立ってる人が教えてあげればいいじゃないですか」


 女性の指摘に、サポートしているスタッフ達はうつむいたり、何も聞こえなかったような表情をしている。


「定年後に再任用された公務員がやってるって話、ホントですか? だからやる気ないんですか? 何もしなくても、高額のお給料をもらえるんですもんねえ」


 その女性はさらに追及する。美羽は隣に立っているスタッフの顔を見た。ムスッとした表情で腕を組んでいる。


「ハイ、きれいにできましたね、これでいいんですよ」


 山野辺が教室内の雰囲気を変えようと、明るい声を上げた。


「それじゃ、元通り、洋服を着させてあげてください。今日は初回なので、レンタルベイビーとの触れ合いはここまでになります。スタッフにレンタルベイビーを抱いて渡してあげてください」


 美羽はレンタルベイビーを抱き上げると、名残惜しい気持ちを感じながらスタッフに渡した。スタッフは何も言うことなく、レンタルベイビーを連れて出て行った。


 その後、おむつを替えるタイミングや、ウンチをした時の対処法などをレクチャーし、その日の講習会は終了となった。


*************************************


「大変でしたね、今日の講習会」


 会場を出て駅に向かっている途中で、隣のテーブルにいた女性が話しかけてきた。


「ねえ、山野辺さんがうまく対処してたけど。大変そうだなあって思って」


「なんか、しょっちゅう、ああいうクレーマーのような親が付き添いで来てるらしいですよ。『私の時はそうじゃなかった』って一々言うから、講師とケンカになったこともあるみたいで」


「へ~、そうなんですか。親を連れてこなければいいのに」


「そう思うんだけど、親が勝手に予約入れてることもあるみたいですよ」


「えっ、何それ」


「なんか、ジジババ同士でどっちが産後に主導権を握るかで争いが起きるみたいで。『レンタルベイビーの講習会を受けたのは私なんだから、うちの子には里帰りしてもらいます』って言うために、強引に参加してる人もいるってネットで言ってましたよ。で、それを阻止するために、義理の親が勝手に予約したりするらしいです」


「はあ~、純粋に子育てを手伝うためじゃないってことですよね。なんだかなあ」


 ――うちは実家が近くにないから、よかった。流の親は、この手のことは興味ないだろうし。


 美羽は安堵した。


「山野辺さんは優しかったけど、すごい厳しいファシリテーターもいるみたいですよ」


「え~、そうなんですか? 来週もこの回に予約してるから、山野辺さんだといいんだけど」


「東京は民間の業者に講習会を委託してるから、スタッフもみんな親切らしいですよ。横浜はさっきの人が言ってたように、元公務員の人にやらせてるから、すっごいサービスが悪いって、ネットでも評判で」


「ネットって、そういうコミュニティがあるんですか?」


「レンタルベイビーについて情報交換するコミュニティがいくつかあるから、覗いてみると面白いですよ」


 電車では別方向だったので、その女性とはホームで別れた。


 ――みんな、いろんな情報を拾ってるんだな。私も情報を仕入れないと。


 ふと、ホームに、ベビーカーに乗せた赤ちゃんに話しかけている女性がいる。


 ――レンタルベイビーかな? 本物の赤ちゃんかな?

 その女性の顔は喜びで輝いているように見える。


 ――早く、私も産みたい。レンタルベイビーを頑張って終わらせなきゃ。


 美羽は何度も自分に言い聞かせた。


 



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