第5話 二人の時間

 リノは洞窟に入ったとき、中のあまりの暗さに驚きました。カラスの羽に包まれているかのように真っ黒なのです。やがて目が慣れてくると、奥にドラゴンが眠っていることが分かりました。

 ドラゴンの鱗の美しさと言ったら、ありとあらゆる宝石の価値がかすんでしまうほどでした。サファイアのような深海の青さは、まるで生きているかのように輝いていたのです。

 リノはほうっと溜息をつきました。我を忘れてドラゴンに近付きます。

 小さな足音にドラゴンは目覚めたようです。勢いよく尻尾が上がりました。


「お前も鱗がほしいのか?」


 泥棒だと勘違いをしたようです。


「待って! 僕は泥棒じゃないよ」


 壺のかけらを探しているだけと必死に話すリノに、ドラゴンはある提案を持ちかけました。


「壺のかけらを探す代わりに、私の星座を作ってくれないか」

「うん。約束する」


 リノの言葉にドラゴンは優しく笑いました。


「背中に乗りなさい」


 ドラゴンはリノを載せて飛びました。集めきれなかった壺のかけらが吸い寄せられていきます。ようやく壺が直ったときは、三日目になろうとしていました。


「どうか光を取り戻して!」


 リノは強く願い、空に魔法の粉を撒きました。




 日課となった絵本の読み聞かせも終わりに近付いていた。昨夜のページはアンタレスに燃えるような光が宿り、周りの星へ輝きが連鎖していく美しい光景だった。わあっと溜息をつく優奈に、自分が描いた訳ではないが誇らしくなった。


「優奈の純粋さをお兄さんに分けてあげたいな……」


 会う度に同じゲーム対戦を申し込まれる。接待だと思えばいいのかもしれないが、上機嫌で高笑いされる時間は苦痛でならない。いい加減、画面のキャラクターと一緒にジャンプする癖を直したいところだ。


「まただ。また似たような設定にしてる!」


 僕は消しゴムに手を伸ばした。最近は、登場人物にお兄さんの性格が反映されていて困りものだ。朗らかで、積極的で、頼もしくて。自分にはないものを多く持っているという事実が惨めに思える。


 きみを振り向かせてみせる。そう自信を持って告白できたら、どれほど格好良かったことだろう。


「徹也?」


 我に返ると、優奈が背中を叩いていた。夕食だと呼び掛けても反応がなかったため、近くまで来たらしい。


「小説を書くのはいいけど、ご飯の十分前くらいは片付けておいてよね」

「ごめん。優奈」


 こんな日に限って、リノも約束を破りそうになる。


「女神は星座を作りませんでした。彼女はドラゴンが嫌いだったのです。断られたリノは、しょんぼりとしてドラゴンのところに行きました」


 リノは、待っていたドラゴンに約束が叶わないことを言い出せない。本当のことを話す前に、どうしてかけらを探す手伝いをしてくれたのか質問した。ドラゴンは鱗の美しさに魅入れた人々によって仲間を大勢亡くしたこと、自分の死後に生きた証を星座として残したいことを話す。


「リノは泣きました。リノは星に囲まれていましたが、ドラゴンにはひんやりとした岩しかなかったのです」


 涙に濡れた顔を手で拭こうとしたとき、手に着いていた魔法の粉が光輝いた。リノの涙から「りゅう座」が生まれたおかげで約束は守られ、新たな言葉が加えられた。


「今日もリノは星の世話をしています。友達のドラゴンと一緒に」


 ハッピーエンドの余韻に浸るまもなく、僕のスマートフォンが鳴った。


「はい。今度伺います」


 電話を切ったときは汗を掻いていた。絵本を読み返していた優奈は、心配そうに顔を上げる。


「取引先?」

「そんなところ」


 僕にとっては上司やお客様よりも怖い存在だ。沈んだ気持ちを優奈が吹き飛ばす。


「覚えてる? 部誌に載せていたときの結末」

「あぁ」


 夜空を見上げる竜の後ろ姿で終わらせた。

 遠く離れていても光は届く。描こうとしたものは祈りにも似た思いだった。


「私は忘れないから」


 優奈は、ソファーに座った僕をじっと見つめた。


「あなたの絵本も、小説も好きになった」


 小説はリノの成長を重視して描いていたが、絵本ではドラゴンにも焦点を当てていた。学生時代に感じることができなかった温もりを知ったことで、一人の寂しさが痛いほど分かるようになった。


「お兄ちゃんに『よだかの星』を読んでもらったときも、カーテンを開けて星を見たの。物語に出てきた星の輝きが、現実世界にもあるかもしれないって」


 泣きじゃくる少女が星を見て涙を拭う。そんな情景が浮かんだ。


「『星ができるまで』も、同じくらい力があると思う」


 優奈は僕の肩に頭を預けた。その様子を裏表紙のドラゴンが微笑んでいた。

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