【Ⅰ】PeaceⅡ「幻聴?」



 ――深夜、全ての動物が寝静まる時間帯。動物の遠吠えが響く中、愛は硬いベッドの上で、酷くうなされながら寝返りを打っていた。寝苦しいような、心地よいような不思議な声が、彼女の頭の中で響いている。夢の中で語っているようだ。


 「メグミ、聞こえますか?あなたにしか出来ません。聖杯を集めて、世界を救いなさい。さもないと、世界は滅びてしまいます。もう一度言います。世界を救いなさい」――。


 「……せいはい?」


 寝言を言い、うとうとしながら彼女はそのまま布団を頭の上までたぐり上げると、潜ってもう一度寝返りを打った。




**


 そして、翌朝。


 「ふわぁああ」


 愛は起き上がると、大きな欠伸をして伸びをし、寝ぼけながら周囲を見回した。しばらくボーっとしていた。そして彼女の目にはボロボロの壁や天井。見慣れない光景が目に入った。そして愛は改めて思ったのだった。


 「あああ、そうだったんだぁ。夢じゃなかったのかぁ……」


 そう言って、彼女は頭を抱え、がっくりと肩を落とした。しばらく硬直していたが、こうしていても仕方ないと思ったのだろうか。彼女は気を取り直し、寝癖だらけの頭のまま起き上がった。そして、紐を掴んでバッグを手繰り寄せると、ごそごそと中を探った。寝起きに血糖値を上げるつもりなのだろうか。チョコレートをいつもの習慣で取り出すと、一口齧(かじ)った。


 「私の慰めは、これだけだよぉ、はぁ……夢じゃなかったのかあ」


 その時、ラインヴァルトが階段を上がってきて、部屋のドアをノックした。


 「はぁい、どうぞー」


 「おい、朝食出来たぞ……ってお前、なに食べてんだよ!!」


 ラインヴァルトは、愛の手元を見て驚きを隠せないでいた。


 「え?……あ、ああ、これ?チョコレートだけど?」


 「昨日言ったじゃねーか!!貴重品だって!!それがあれば、軍馬千頭買えちまうぞ!!」


 そう言って、ラインヴァルトは、寝ぼけている愛の手元からチョコレートを取り上げた。


 「へぇ……ええ?!マジ?!」


 「……まぁ、お前の持ち物だから、どう扱おうが勝手だが、あんまり軽はずみな行動を取ってると命狙われるぞ、お前。間違いなく」


 愛はそれを聞いて、顔の血がスーッと引いていくのを感じた。そして「じょ、冗談だよね?」と言っている。ラインヴァルトは呆れながら言った「取りあえず、飯だから、着替えて、下に降りて来い」と。そして、固まっている愛を放置してそのまま、階段を下りて行った。




**


 朝食は昨晩の残りのスープ、焼き立てのパンケーキとゆで卵。そしてサラダにハムとソーセージがお皿に乗り、それから柑橘(かんきつ)類を絞った、酸いジュースが木製のコップに入っていた。料理が机の上で湯気を立てていた。愛はラインヴァルトに言われて椅子に座った。そして、パンケーキを千切りながら、もそもそとサラダを口に含んで咀嚼(そしゃく)しているラインヴァルトに質問を投げかけた。


 「ねぇ、ライン、この世界のこと詳しく教えてくれない?」


 「……なにをいきなり言い出すんだよ。昨日、居た国に帰った方がいいって言わなかったっけ?俺」


 「だーかーらー!!この世界の住民じゃないの。分かる?」




 ラインヴァルトはしばらく考え、そして苦笑いをしながら一言呟いた。


 「……くくっ、だろうなぁ。どっかずれてると思ってた。そう言われると今更だな」


 「……くっ、腹立つわー……それはいいとして、私にこの世界のこと、少し教えてくれない?」


 愛は「苦虫を嚙み潰したような顔」をしてラインヴァルトに言った。ラインヴァルトはめんどくさそうな顔をしていたが、口に含んだ食べ物をもう一度飲み込むと、立ち上がって台所の奥から、古びた地図を持ってきた。そして、食事が乗っている以外の机に広げると、愛に説明をし始めた。




 「いいか?一度しか言わないからな。今、俺らがいるのが、このⅠ(シャオ)の国。そこから、東に向かっていくと、シャトリ山脈がある。その先には、ガロの谷があって、その先に『王都レンダ』があるんだよ。国境(くにざかい)は、昨日の夜、カジメグが迷ってた『メノーの森』から、東にある『ガロの谷』までが『Ⅱ(バンジ)の国』。そして『王都レンダがある国』が、『Ⅲ(ギーシャ)の国』だ。ここらへんは結構暖かくて住みやすいのが特徴だな」


 「え、ちょっと待って……整理するね。うんうん、理解した。って思ったんだけど、こんなに広いの?!」


 愛は今いる場所が、あまりにも小さく見えたので驚いていた。そしてラインヴァルトは答えた。


 「んー、俺もあんまり、これ以上は詳しく知らないんだよ。話によると、人間が住んでるのが、Ⅰ(シャオ)の国からⅢ(ギーシャ)の国。それ以上は、俺もあんまり知らないんだ。別の種族が住んでるらしいけどな」


 ラインヴァルトはスープを一口飲んだ。愛は輝いた目で言った。


 「そっかぁ、でもせっかく来たんだったら、見てみたいなぁ」


 「取りあえず、お前は早く帰った方がいいぞ。お前みたいな奴は追い剥ぎに遭って真っ先に死んじまうのが、俺には予想できるからなぁ」


 「へっ!?ここいらはそんなに治安悪いの?」


 「……分かってないなぁ、お前。まぁあーだこーだ言っても仕方ない。まぁいいや。取りあえず『王都レンダ』まで行こう。なにか情報があるかも知れないしな。それに、あまり闇雲に動くと、昨日みたいにまたモンスターに襲われるぞ!」


 「ひっ!」


 ラインヴァルトは呆れ気味に言った。そして、愛は少しひきつった表情で驚いていた。




**


 「じゃあ、取りあえず荷物をまとめろよ。身支度しないとならないしな」


 「でも、いいの?ラインは、その……私と一緒にいて迷惑しない?」


 「どうせ暇だしなぁ。それに、その『よく分からない格好』でいても、どちらにせよ怪しまれるだけだ。少しこの地域の住民に、格好を合わせといたほうがいいな。ちょっと街に出て装備品見繕ってもらうか」


 「そうだね。せっかくだし、楽しもうかなぁ」




**


 荷物をまとめて、愛はラインヴァルトと街を歩いた。ラインヴァルトは大剣を背中に背負い、服装はやや軽装だが、肩当てと胸当て、肘当てなどで急所部位を覆い隠したような格好をした。愛は昼間の明るい街並みを見ながら改めて溜め息を吐いていた。


 「うわぁ、馬車が走ってる。見て見て!蔓の植物が壁に綺麗に伝ってるよ!」


 「馬車が珍しいのか?変な奴だなぁ」


 「私のいる国はガソ……油で走る『クルマ』って乗り物があるからね。そうだ、写真撮りたいんだ、私。スマホ、スマホ……あ、充電切れてるぅ!!」


愛はあまりのことにショックを隠せなかった。そして、思ったことを質問した。


 「あのさ、ライン。一つ聞くんだけど……この地域には電気、通ってるの?」


 「電気?雷のことか?」


 ラインヴァルトに今一つ伝わっていない様子だったので、愛は言葉を言い直した。


 「んー……なんて言うんだろ、あー……あれだよ、あれ。ライフラインって言うのかなぁ。水道とか、電気とか、ガスとか!」


 「……ライフラインなら水と魔力だなぁ。……一昔前は、月の涙(フル・ドローシャ)だったんだけど。飯とかの調理は魔力でやってるぞ」


 「魔力?なんだか素敵!」


 「そうかぁ?でもな、結構高いんだぞ、あれ。シャトリ山脈から採掘した竜鉄鉱(りゅうてっこう)に、熱反応を加えると魔力エネルギーを生み出すことができるんだけど、それを俺ら、人間たちはⅡ(バンジ)の国の貯蔵タンクに貯め込んで使ってるんだよ。貯蔵タンクから、枝状に各地方に流してるんだよ。最近、竜鉄鉱が採れる量が減ってきてるから、光熱費は薪や油とかで過ごしている人も結構多いんだよなぁ、最近。でも王族階級の連中は、湯水のように使ってるんだけどな」


 「どこも変わんないんだねぇ。貧富の差が生まれてしまうのは」


 愛は夢のような話に目を輝かせていたが、話を最後まで聞いてみると現実に直面し、そして残念に思ったのだった。彼女は夢をぶち壊されてしまったような気分だった。




 少し歩くと、街並みの中が少し華やいだ雰囲気に包まれた。花や食料品の売っている通りに出たようだ。そして、ガラス越しのショウウインドウから、華やかな衣装が見えた。ラインヴァルトは、愛に言った。


 「さて、この店が仕立て屋だな。そうだなぁ、ちょっと中を見ようか」




**


 中に入ると、昨日と同様にふんわりとした木の匂い。そして天井照明はオイルのランタンでほんのりと照らされて、優しい色合いの光を放っていた。店内では女性店員が二、三人忙しそうに、客の対応をしていた。ラインヴァルトは小銭の入った袋を、ポケットの中から取り出すと中身を確認して呟いた。


 「カジメグ。好きなもの買えよ」


 「……え?悪いよー。そんな昨日から、ずっとじゃん」


 「遠慮すんなって。てか、言っとくけど、しっかりと新調しとかないと、先々大変なことになるぞ。間違いなく」


 愛は「じゃ、じゃあ」と言って、手元にあった黒と臙脂(えんじ)色の、可愛らしいカッターシャツを手に取った。すると、髭(ひげ)を整えた紳士的な男性が、すっと気配なく愛の背後に立つと、愛に話しかけてきた。


 「なにかお探しでしょうか?」


 「ひっ!?びっくりしたぁ!」


 「あ、ちょうど良かった。ヴェルナーさん。こいつに適当なもの見繕ってやってくれよ。やや軽装で、軽く、野戦に巻き込まれても身軽に動き回って闘えそうな奴」


 「でしたら、これなんかどうでしょう。つい最近、Ⅶ(セイシャ)の国で作られた撚(よ)り糸を編み込んだ魔導士のローブです。色褪(あ)せないし、汚れ落ちもしっかりしているのが特徴ですね」


 「あっ、可愛いー」


 「因みにお幾らなんですか?」


 「これはですねー、三十テルですねー」


 ラインヴァルトは少し考え、そして悩んだ。


 「高いな。悪い、別のものにしてくれ」


 「え?ライン、私、『チョコレート』を売ればあるよ?それくらい。高いんだよね?これ」


 「しっ、言うな!……あのー、別の物はありますか?」


ラインヴァルトは愛を制すると、仕立て屋の主人に別の物はないかを聞いた。


 「では、こちらなんてどうですか?水の羽衣って言いまして、解毒作用と呪いを弾く作用があります。難点はやや手入れがしづらい所ですが」


 「却下。あのさぁ、なんて言うか……別の物はないの?初心者に扱いやすくて、動きやすいもの」


 「それでしたら、……あー、これがあった。『サラマンダーの革の鎧』なんてどうでしょう?これは丈夫だし、安価ですし、何より女性向けで、赤と黒を基調としているので、とてもお洒落ですよ。きっと似合うと思います」


 「うーん、無難と言えば、無難だなぁ。カジメグ、お前どう思う?」


 「ライン、いいよ。私。この制服でなんとかやれるって!」


 「あ、じゃあこれにします。どうせお前は決められないと思うし。この先、なにがあるか分からないしな」


 ラインヴァルトは、机の上に銀貨を数枚置くと、愛の話を押し切って購入してしまった。


 「……せっかくなので、着てみますか?」


 「いいんですか?……確かに可愛い鎧ですね」




**


 女性店員が現れると、愛の鎧を新調し、試着室で愛に着せた。肩から手の甲までしっかりと覆い、足元は膝下(ひざした)まで、しっかり覆う、赤い鎧とブーツだった。急所部位である肩や首、胸元、手首などは重ねてあり、装飾品にブラッククリスタルが施してあった。また、腰回りには剣を二本差すことの出来る丈夫な剣入れが付いてあった。愛は恥ずかしそうにラインヴァルトに見せた。


 「どう?似合うかなぁ」


 長く伸ばした黒い髪を、持っている髪ゴムで束ねた愛。すっかり彼女の容姿は女子高生ではなく、いっぱしの女性騎士としての気迫を持っていた。生まれ持っての素質だろうか。ラインヴァルトは驚いていた。


 「お前……似合うじゃんか!びっくりしたよ」


 「いや、恥ずかしいんだけどね。思ったより動きやすくて、びっくりしてるの。私」


 飛んだり跳ねたりしてみて、身体の動きを確かめる愛。ラインヴァルトは少し考え事をしているように見えた。




 そして、仕立てが終わり、会計が終わった辺り。少し空腹を覚えて、ラインヴァルトと愛は市街地を歩いていると、愛は急に頭痛に襲われて、頭を抱えながらうずくまった。




 ――「メグミ、メグミ、聞こえますか?王都に急ぎなさい!滅びは近いのです!早く、早く……」


――。


 「あなたは誰?」と彼女は心の中で、必死に話しかけるも、声の主からは返答が無かった。愛はとても、とても疑問に思った。「私は疲れているのだろうか。それとも、悪い夢でも見ているのだろうか?分からない」と彼女は思った。そんな姿を見て、ラインヴァルトは不思議がっていた。


 「お前、大丈夫か?顔色が悪いぞ」


 「ん?いやー、平気、平気だよ。大丈夫だよ」


 「ならいいんだが」




**


 さて、ラインヴァルトと愛は簡単に昼食を済ませると、古物商の所へ来ていた。ラインヴァルトは資金繰りをするために、少し家にある要らない物を持って、売りに来ていた。


 「……うーん、悪いけど、どれもこれも二束三文の値段しか付けられないねぇ」


 「なに言ってるんですか!この武器なんか、結構レアな素材を使ってて、切れ味も抜群なんですよ!」


 「これはレプリカだからねぇ。ライン……悪いんだけど、これには値段は付けられないよ」


 「そんなぁ、おっさん、頼むよ!」


 「『月の涙(フル・ドローシャ)』があればいいんだが。って言っても、あれは幻の素材だからねぇ」


 その時、愛はおずおずとしながら、ラインヴァルトの前に出ると、板チョコを取り出して古物商の主人に見せた。


 「あの、これ買い取ってもらえますか?」


 ラインヴァルトは「しまった」と思ったが、主人はすっかりと驚き、腰を抜かしてしまった。


 「ここここ、……これをどこで手に入れたんだい?」


 「え?いやー、うちの近くで買ったんですよ?」


 「買ったぁ?幾らで?」


 「百……えん?」


 「百か!わかった。おじさんが三百だそう!三百テルでどうだ?悪くないだろう?」


 「三百かー。さっきの『魔導士のローブ』が三十テルだったから、悪くないわ」と、愛はそう思って、古物商の主人に「板チョコ」を渡そうとしてた時だった。ラインヴァルトが凄まじい剣幕で主人に詰め寄ると、襟首を掴んで言った。


 「おい、おっさん!いい度胸じゃねーか!馬鹿な俺でも分かるぞ。これくらいのフル・ドローシャだと、十倍の値段するじゃねーか!何にも知らない小娘から奪おうとしてたのか?」


 「あー、いやー、なんの話でしょうか?私にはさっぱり」


 「騙そうったってそうはいかないぞ。噂されたくなかったら……分かってんだよなぁ?おい」


 「ライン、やりすぎだって」


 「申し訳ない。勘弁してくれ。私も商売が掛かってるんだよ。……悪い、ちょっと待っててくれ」


そう言って、主人は二人を待たせると奥の部屋から、光り輝く一つの箱を持ってきてラインヴァルトと愛の前に置いた。




 「これは『ミスリルの小箱』って言うんだけど、遥か、昔に食材が貴重だった時代に、この小箱に入れて保存していたんだ。持ち主以外絶対開けることの出来ない、銀細工職人が作った宝石箱さ。お嬢ちゃんの『月の涙(フル・ドローシャ)』の塊一枚とこれ、交換してくれないかなぁ」


 「……おっさん、いい加減にしろよな」


 「あ、いえ。これは冗談じゃなく、値打ちものなんだよ。これは値段を付けたら、三千テルはするんじゃないだろうかなぁ」


 「え、そんなに?!……いや、私、悪いし」


 愛が戸惑っていると、古物商の主人は土下座をして言った。


 「頼む!私に、その『月の涙(フル・ドローシャ)』を譲ってくれ!」


 「……そんなに欲しいなら、もう一ま……」


 チョコレートを追加で取り出そうとした愛に対して、ラインヴァルトは愛の言葉を手で制し、古物商の主人に言った。


 「分かった。おっさん、それで手を打とう。いいよな?カジメグ?」


 「え、あ、うん。大丈夫」


 よく分からない様子で頷く愛。そして、古物商の主人は嬉しそうに愛の手を握って言った。


 「ありがとう!!ありがとう!!」


 こうして、小さな小箱は愛のものとなった。愛とラインヴァルトは人目に隠れながら、その小箱に、残りのチョコレートを大切にしまい込んだのだった。


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