第Ⅴ夜 Stockholm syndrome

「……は?」

「だから、この子を君のところに預けようと思うんだ。調教が済んだと言っても、まだ精神は安定してないし君はそういうの慣れてるだろ?」

「は?意味が分からないんだけど」

「それにこの子の希望だ。ここに居たいんだと、私もここにいるのはやめたほうがいいと言ったんだが。……この男は顔とテクニックだけは良いが、人のことを人と思ってないサディストだし、自分の好みのもの以外は吐き捨て暴言を吐き気に入らなければ拷問し悲鳴を聞いては愉悦に感じ、従順にさせるために何日も何日もネチネチ痛ぶり弄び、自分の命令を全部聞く奴隷が好きかと思えば少しくらい抵抗してもらった方が興奮するというたちで、綺麗で美しいものが好きと言っては死体の手足をもいで壁に飾って飽きたら燃やし捨て、一番好きなものは腐っていない新鮮な死体というネクロフィリアだが、腐った死体はまるで汚物を見るかのように見下し蔑み足蹴にし、見る場所は顔よりも肉つき、自分で食べる為に太らせたかと思えばぶくぶく太ったそれを見て嘲笑い、暗闇なら顔など見ないと言いながら、お前はユニコーンかという処女好きの癖にやるとこやってる最低最悪のクソ野郎だと朝から晩まで教えて聴かせたんだが、それでもここにいると聞かないんだ」

「おい、濁流のような僕への悪口だな」

 その場にいるのは白衣の痩せた男と、カボチャ頭の紳士と少女。少女は、カボチャ頭の紳士の後ろにくっついて隠れている。

 子どもが親の陰に隠れるが如く、その様子は微笑ましい。

「……食べちゃダメなの?」

「どっちの意味でだ」

「……物理的な方で」

 カボチャ頭は少し「ふむ」と考えて隠れている少女に問いかけた。

「そうだなぁ、……こいつに食べられたいか?」

 失礼にも指を指すカボチャ頭が聞き、少女は勢いよく首を振る。そう聞かれればその反応になるだろうな。

「嫌だとさ」

「お前は他人に死ねと言われたら死ぬのか?」

「死なないな」

「そういう質問をしてたぞ、お前は」

 そういう話では無いのに。というか、この話って不毛なやりとりなのでは。

 どうなんだ?これって。

 少女は少し不審そうな顔をしていた。どう見ても「残りたい!」という様子では無いのだが……。

「本当に残りたいって?」

「そうだよな?」

 二人の視線が少女に注がれる。少女ははっきり「はい」と答えた。

「僕は君を信頼できない。逃げるかもしれない。カボチャ頭といるよりも僕といる方が逃げる機会はあるからね」

 男は思う。ずっと常に一緒にいるカボチャよりも、屋敷というある意味自由空間であるここなら隙を見たら逃げられる……かもしれない。この屋敷は逃走者を追い詰める仕掛けはあるので、無理であることは分かるが、来たばかりのこの子はそう思わないかもしれない。

「首輪をして手錠をして、夜な夜な悪いことをするかもしれないよ?」

 カボチャをすっぽり被ってるせいで表情は見ることができない。可愛い顔なのかも綺麗な顔なのかも分からないが、声だけは透き通って綺麗だと思う。

 カボチャ頭を剥ぎ取って、素顔を見たいと思うほどにこの男は歪んでいる。

「……ここにいる」

「伯爵」

 男は、落ち着いた声で諭す。

「調教が厳しかったんじゃないかい?怯えてるのに僕の方がいいと?ははっ、可哀想に。だってさぁ」

 男は、カボチャ頭の後ろに隠れている少女に近づきそっと頭を撫でる。少女を見る男の顔は怪しく口元が緩んでいた。

「僕に触れられて『ビクッ』ってしてるのに、僕のほうがいいんだぁ?監禁して食べるかもしれない男に?」

 少女の顔は怯えていた。



「じゃあねぇ、また来るさ」

 そう言い残してカボチャ頭の伯爵は屋敷を出て行った。カボチャ頭の少女を残して。

「とりあえず、君の部屋を作らなきゃ。あと君の服も何着か見繕わないといけない。服は着せ替えさせたが、君が着やすいものを作らなきゃならない。……よって」

 男はカボチャ頭の少女に詰め寄る。少女は少し後ろに後ずさった。

「身体のサイズを計らなきゃ、いけないよね?」

「……あの、ええっと」

「カボチャ頭が邪魔だからね、ワンピースのような下から履くような服じゃ無いと着られないし、ボタンで留める服じゃ無いと着れないのは面倒だ。服を着せるのを一人でやれるくらいにはなってほしい。僕も忙しいんだ、いちいち恥ずかしがられても面倒なんだよ」

 無神経に出されたセリフの数々に、少女は怒りに震える。監禁されてた故の非人間的な対応は、我慢していたもののもう限界である。

「いやっ、離して!」

「伯爵といる時は従順だったのに?」

「それとこれとは別なの!」

「いったいどんなことをされたんだい。聞いてみたいなぁ。……ねぇ」

 男の追撃はなおも続くが……、眠らせて大人しくなってから事をするのも悪くは無いかと男が思った時、小さい鐘の音がした。

 カランカランと響く小さな音だ。

「一体、来たか」

 男は『一人』ではなく『一体』と呼ぶ。ここに来るものは人間ではない。もう既に亡くなった死体が来るのであって、それをそう呼ぶことには何ら問題はない。

 ただモラルの問題はある。

「おっと」

 少女は、その鐘のもとに走る。鐘は屋敷の玄関で聞こえた。走って走って見つけたのは、仰向けに倒れた一人の女の人。

 火を見るよりも明らかに、その人物は呼吸をしていなかった。

「カボチャちゃん。ほら、採寸するよ?」

 脇の下に手を入れられ持ち上げられる少女は、くるりと男の方に振り返った。

 猫のように純粋な瞳は、倒れた人と男を交互に見る。さっきは怯えた目をしていたのに、身の代わりが早いやつだ、と男は思う。

「食べちゃうの?」

「そうだね。僕の餌だからさ、食べるけど、僕はこのままは食べないさ。じっくり料理してからゆっくりと楽しむのさ」

 猫を抱き締めるかのように、男は少女を抱き上げる。それに抵抗はしない少女は、少し考え込んでから地面に下ろすように言った。

「私の部屋はどこになるの?」

「あー、そうだね、そこの階段を上ったところかな。そんなに汚れてもいないはずさ」

「そこまでこの人を連れて行く」

「……どうして?」

 慣れない手つきでうんうんと唸りながら、少女はどうにかこうにか女の人を持ち上げようとする。その動きはあまりにも危なっかしいが、男は手伝うことはせず眺めていた。

「私、貴方にもう人を食べさせない。だから、この人は私が介抱するの」

 囚われの少女が、この屋敷の主人に逆らうので。

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