第5話-02 都市伝説

 自室の壁に立てかけてあった刀を取り、腰にぶら下げる。ぱちんと頬を叩いて沈んでいた顔をなんとか引き締めると、こちらを覗き込んでいた降姫と目が合った。


「行くの?」


 無言でうなずく。これから犬崎の捜査についていくのだ。これ以上の失敗はしたくない。だって僕は――鬼切なんだから。

 刀の柄を撫でながら、そんなことを考えていると、降姫は突然勇気を振り絞ったような表情で僕の目を見てきた。


「あのね、外彦くん」


 一旦言葉を切り、ぎゅっとこぶしを握り締めながら降姫は言った。


「もしかして私が一緒に行ったら力が強くなる、とか……」

「だめだよ降姫」


 まるで自分のものではないような声で、僕は彼女を否定していた。一瞬だけ考え込んだ後、僕はすらすらとその理由を口にした。


「降姫は守られてないとダメなんだ」


 言ってしまった後で、僕は口元に手をやる。

 今のは何だ。僕は何を言っているんだ。たしかに降姫には怪我をしてほしくないけど、だからって。

 しかし降姫はそれ以上に食い下がることはせず、いつも通りの優しいほほえみを僕に向けてきた。


「いってらっしゃい、外彦くん」

「……うん、いってきます!」


 飲み込み切れない違和感はそのままに、ぱたんと音を立てて、僕たちの間の扉は閉じた。






 今日はいつもより霧が薄い日だった。しかし時間が遅いせいで、灰天から降り注ぐ光はかなり薄暗い。結局街灯を頼って歩いていくと、急にちかちかと光り輝く区域へと出た。

 左右の店にはよくわからない看板が並び立ち、客寄せらしき人影が何人も立っている。僕はきょろきょろと左右を見回した後、先に歩く犬崎へと声をかけようとした。


「犬崎さん、ここって……」

「あら可愛い坊や。うちで遊んでいかない?」

「へっ!?」


 突然肩を抱かれ、僕は店の前へと引き込まれる。腕の持ち主を見ると豊満な胸をほとんどあらわにした露出が多い女性だった。さらにぐっと体を寄せられ、僕は身動きが取れないまま混乱する。


「あの、えっと、胸が当たって」

「うふふ、顔真っ赤にしちゃって。こういうのに慣れていないのね」

「まだ小さいのに鬼切なの? 偉いわねぇ」

「可愛いわぁ、もしかして初めてはまだ?」

「あぅ、あう、あ……」


 あっという間に何人もの女性にもみくちゃにされ、やっとのことで息をする。女性たちの向こうに犬崎の背中を見つけ、僕は必死で手を伸ばした。


「け、犬崎さん……!」


 顔に胸が押し付けられて、犬崎の姿が視界から消える。溺れるような形でわたわたと蠢いていると、不意に頭上から降りてきた腕に、首の後ろをつかまれて彼女たちの波の中から引きあげられた。


「職務中ですので」


 硬い口調で犬崎が言うと、女性たちは少しむすっとした顔になって僕から離れていった。店の前へと戻っていく彼女を見送ってから、歩き出した犬崎を追いかける。


「犬崎さん、ここって……」

「娼窟だ」


 一言で端的に答えられる。だがその意味が分からず首をひねっていると、犬崎はちらりとこちらを振り返って言った。


「娼婦の店の区域だと言えば君でも分かるか」

「しょっ……!」


 一気に顔が赤くなる。そんな過激なものの中にいきなり放り込まれたのだから仕方がない。僕は小走りになって、犬崎の陰に隠れるように歩いていった。


「こんなところに、鬼切の支部があるんですね……」


 ぼそぼそと尋ねると、犬崎は一切こちらを見ないまま答えた。


「鬼切の支部はあらゆる場所にある。いついかなる場所で事件が起きようと対応できるようにな」


 確かにそうだ。この広いとはいえない暗都では、僕が知る限りでも毎日のように事件が起きている。それを解決するには荒事専門の鬼切の監視は不可欠のものだろうから。

 娼窟の片隅に存在する、寂れた病院の前で犬崎は立ち止まった。店先に掲げられた看板がぎいぎいと音を立てている、ほとんど廃墟のような店だ。


「ここがそうなんですか?」

「ああ。まずはここで出た情報を整理――」

「なあなあ軍人さん」


 突然背後からかけられた声に、僕と犬崎は振り返る。そこには小汚い恰好をした一人の少年が立っていた。年は僕よりも少し下のように見えるが、身長だけなら僕と同じぐらいだ。


「これ買ってくれよ。上物だ。安くしとくぜ?」


 少年が差し出したのは紙袋に入った黒色の何かだった。細かく刻んであって正確には何か分からなかったが、多分、植物の種なのだろう。犬崎は露骨に顔をしかめた。


「必要ない。ドラッグの押し売りならよそでやれ」

「ドラッグじゃないって! 何にでも効く薬なんだよ!」


 少年は犬崎の手を取って紙袋を押し付けてこようとしたが、犬崎はそんな彼の手をあっさりと振り払った。


「要らない。さっさと失せろ」

「そう言うなよ。なあ、これが売れないと明日には母さんが凍死しちまうんだ」


 犬崎は少年を恐ろしい顔で睨みつけていたが、それでも少年は諦めない。


「なぁなぁ、頼むって」


 腕をつかんで揺さぶってくる少年を見て、犬崎は口を真一文字に引き絞ったあと、僕に視線を向けて、少年を僕に押し付けてきた。


「すまない外彦くん。この子が入ってこられないように見張っていてくれないか」


 それだけを言うと、犬崎は特殊な足音を立てて支部の扉を開き、その中へと消えていった。慌てて少年がそのあとを追いかけて扉を再び開こうとするも、何故か扉は開かない。僕は、支部の扉が特別な方法でなければ開かないということを思い出していた。


「あれっ、開かない! なんで!」


 がちゃがちゃと何度もドアノブをひねるが、開く気配はない。そんな少年を唐突に任されてしまい、呆然と見ていると、彼は振り返って僕を険しい顔で睨みつけてきた。


「なんだよお前。見てんじゃねぇぞ」

「えっ、だ、だって見張ってろって言われたから……」


 事実を告げると、少年はますます機嫌が悪くなったようだった。だけどここで退くわけにはいかない。僕は意を決して彼に言いつのった。


「どっか行ってください。職務の邪魔なんです!」

「なんだと!? お前、ちびのくせに生意気だぞ!」

「ちっ……!」


 明らかに自分よりも年下の少年にそんなことを言われ、僕は一瞬思考が止まる。そのすきをついて、少年はさらに言い放ってきた。


「さっさと帰れ! お前みたいなちびっこがこんな時間まで外に出てると、『ぬまごぜん』に食われちまうんだぞ!」


 聞き覚えのある単語に僕は少しだけ冷静になる。と同時に、興味がむくむくと膨らんで彼に尋ね返してしまっていた。


「それってもしかして――御前様のこと?」

「御前様? お前、沼御前のこと知ってんのか?」

「ええと、少しだけ」


 ごまかすように言うと、少年は得意そうな顔になって教えてきた。


「沼御前は怖いんだぜ! 早く家に帰らない子供の足下に忍び寄ってきて、足から丸飲みにしちまうんだ!」


 あまりに物騒な噂に唇の端が引きつってしまいそうになる。だが、沼御前ならやりかねない。そんな確信もあった。

 その時、がちゃりとドアが開き、不機嫌そうな顔で犬崎が姿を現した。


「……まだいたのか」

「犬崎さん!」


 地獄に仏を見たような気分になって、僕は視線で犬崎に助けを求めた。犬崎はそんな僕たちを見た後、一度ため息をついて、コートのポケットから数枚の紙幣を取り出した。


「ほら、これをあげるからさっさと帰りなさい」

「え、マジで! やりぃ!」


 少年はそれを奪い取ると、商品も渡さずに駆けだした。


「またな、軍人さん!」


 一度振り返って手を振りながらの言葉に、僕は釈然としないものを覚えながら犬崎の顔をうかがった。


「いいんですか?」

「……ああいうしつこいのは渡さない限り付きまとってくるからな。少額渡す分はいつも持っておくといい」


 行くぞ、と言われ、僕は慌てて犬崎の後を追いかける。追いついて横に並び立った僕は、つい先ほど得た情報を犬崎に尋ねることにした。


「犬崎さん、さっき沼御前の話を聞いたんですけど……」


 噂の内容を語っていくと、犬崎の表情はどんどん険しくなっていった。それが恐ろしくて途中で喋るのをやめると、彼はぼそりと呟いた。


「沼御前はそういう噂を立てられているんだ。あいつは……自由な奴だからな」


 その言葉の意味をぼんやりとだが理解してしまった僕は、ふと気になっていたことを口にしてしまった。


「会議で言ってた、犬崎さんが御前様のこと御してるっていうのは……」


 犬崎はきゅっと渋い顔をした。


「あ、すみません」


 僕は即座に顔を逸らした。






 犬崎に連れてこられたのは、とあるビルだった。この街では珍しく四階建ての建物で、一階部分の店舗には黄色のテープが引かれていて中に入れないようになっていた。


「ここがくだんのジョロウグモの本拠地と目されていた場所だ」

「……目されていた?」

「既に警察の捜査が入って、小さな拠点のうちの一つだと分かったらしい」


 テープのそばには制服を着た警官が立ち、いがみ合う犬崎と十賀淵の姿も思い描いてしまう。


「警察……」


 そんな僕の内心を知ってか知らずか、犬崎は僕に背を向けてテープの中へと入っていってしまった。


「警察と話をつけてくる。君はここで待機するように」


 睨みつけてくる警官の視線をものともせず、建物の中へと犬崎は消えていく。僕はそんな彼を見送った後、警察になめられたくないという一心でその場で背筋を正した。

 りん、と。

 厳かな鈴の音が聞こえたのはその時だった。


「おやおやこんなところにわらべかえ?」


 すぐ隣から聞こえてきた涼やかな声に、僕は慌てて飛びのいた。そこに立っていたのは、まるで太陽を一度も浴びたことのないような真っ白な肌をした七歳ぐらいの少女だった。


「お前、名は?」


 白の長髪に白の着物を引きずった彼女の目元には朱が入れられており、その目は楽しそうに細められている。


「と、外彦です。布施下外彦」


 震える声で言葉を発すると、彼女はにいっとさらに目を細めた。


「ほぉ……?」


 その言葉に僕は、不思議と体の内側から湧き出てくる恐れに飲み込まれ、がくがくと全身を震わせ始めた。そんな僕の心情を察したのか、彼女はにこりと笑いかけてきた。


「まあいいじゃろう。そういうこともあろうて」


 彼女は僕から視線をそらさないまま、それでも僕へと向けるプレッシャーは和らげたその表情を、僕は美しいと思いつつも不気味だとも思っていた。


「わらわは千代乃守ちよのもり。この街を作った者の一人じゃ」


 この街を、作った?

 暗都の成り立ちには詳しくなかったが、それでも僕が生まれるずっとずっと前には存在していたはずだ。そんな存在であるということは、当然人間ではないということで。


「そうだとも。わらわは鬼じゃ。お前などとは比べものにならないほどの長命の鬼であるぞ?」


 その言葉に含められた意味を理解できない僕ではない。僕は慌てて彼女に頭を下げた。


「え、えっと、不躾に見たりしてすみません!」

「よいよい。その敬意確かに受け取ったぞえ」


 頭を上げる許可をもらい、僕はおそるおそる顔を上げた。


「ふふ、そんな鬼が何故こんなところにいるのか、と思っておるのだな?」


 楽しそうに笑んでいた彼女はふいっと事件現場へと視線をやると、愛おしそうにやさしく笑った。


「街は生きていなければならぬ」


 生きて?

 言葉の意図が分からずに彼女の横顔を見る。彼女はまるで母親が子供に向けるかのような慈しみに満ちた表情をしていた。


「鬼というものは混乱の中にあってこそ、鬼でいられるのだからな」


 歌うように口にされたその内容に、僕はとっさに答えてしまっていた。


「そんなことないと思います」


 彼女が振り返る。だけど僕の脳裏には、半鬼である降姫の姿がはっきりと浮かんでいた。


「平和を願う鬼だっているはずです。……多分」


 ほんの数秒の沈黙。永遠にも思えるその瞬間を経た後、彼女は母親のような目を僕にも向けてきた。


「まだまだ子供じゃのう」


 子供、という言葉に反応し、僕はむすっと頬を膨らませる。それを見た彼女は、心底おかしそうに笑い声を上げた。


「カッカッカ! 愛い奴じゃの!」


 僕はそれ以上文句を言おうと口を開きかけ――寸前で、彼女の姿が掻き消えてしまったことに気がついた。


「あれ……?」


 混乱しながら僕はあたりを見回す。しかし彼女のまとっていた白は、どこにも見つからなかった。


「外彦くん」

「犬崎さん!」


 ビルから出てきた犬崎へと振り返る。すると何故なのかは分からないが、彼女のことは頭から抜け落ちてしまった。

 犬崎の後ろをついてくるようにビルの中から担架で運ばれてくる人影のほうに、僕の意識は奪われて、さっきまでの会話はまるでなかったかのような気分になる。


「今の人たちは……」

「人間だが抵抗したから射殺した、だそうだ。現場を見る限り、そんな様子ではなかったが」


 担架に乗せられた人間たちは、暗都警察の車両に次々と積み込まれていった。


「警察の中には人間が嫌いな奴もいるからな」


 ぽつりと犬崎は言う。暗都警察は鬼のための組織だ。そういうこともあり得るのだろう。僕は二つの組織のいざこざについて気分が落ち込んでしまう。

 そんな僕の頭上で犬崎は書類を取り出した。きっとビルの中から調達してきたものなのだろう。その紙にはべっとりと赤黒い汚れがついていた。


「やはり特殊な鬼欠片の存在の裏にはジョロウグモがかかわっているようだ」


 見るか?

 と資料を手渡され、とっさにそれを受け取る。汚れた一枚目をめくり、二枚目、三枚目と。そこにあったのは関係者の名簿のようだった。暗都に来たばかりの自分が知っている名前などあるはずがない。


 そのはずだった。





「り■■うまさ■か」





 ざらざらと何かが這うかのような感覚が脳を襲い、僕は資料を取り落としてしまう。

 嘘だ。なんで。なんであの名前が。

 ぐらりと世界が回り、全身から力が抜けて視界が真っ暗になっていく。

 犬崎の慌てた声を最後に聞き、僕は意識を失った。

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