第2話-04 目玉が睨み

 遥か頭上から見下ろされ、僕は荷物を取り落として立ちすくむ。全身に震えが走り、足元の男性は小さく悲鳴を上げる。鬼たちは僕に視線をやると、目をにんまりと嫌な形へと歪めた。


「おう、駄目じゃないか坊主。こんなところを一人でうろうろしてちゃ」


 粘りつくような口調さえなければ、僕を心配しているようにも聞こえただろう。しかし、彼が浮かべているのは下卑た笑みであり、続いて横の男が放った言葉も善意を肯定しているものではなかった。


「俺たちみたいにわるーい鬼に食べられちゃうぞ?」


 男の中の一人が、がおーっとふざけて手を構えてみせる。僕はそれに体を硬直させることしかできなかった。


「なあ兄ちゃん、こいつ鬼かな人間かな」

「どっちでもいいだろそんなこと。食っちまえば同じだ」

「それもそうだな。兄さんは賢いなあ」


 人の姿を取ってすらいない三人の鬼は、好き勝手に頭上で言い合っている。このままじゃ食われる。容易に想像できる未来を思い、僕は彼らに目を向け続けることしかできない。

 汗が噴き出る。路地に吹き込む冷えた風が体に覆いかぶさる。僕は座ったまま後ずさろうと地面に手を置き――取り落としてしまっていた荷物に指が触れた。

 どくん、と心臓が脈打つ。触れた指先から熱が伝わってくる。この感覚は知っている。間違いない。この荷物は魔食刀だ。


 ぎゅっと唇を噛む。噴き出てくる怯えをなんとか飲み下す。へたり込んでいるこの男の人はきっと戦力にならない。だったら、ここで生き残りたいのなら。

 ――やるしかない。

 僕は刀を包んでいた布をはぎ取り、横に振る形でバッと勢いよく刀身をあらわにした。灰天を通した光が、抜身の刃を照らしている。僕はその切っ先を、まっすぐに三人の鬼へと向けた。


「はは! 手、震えてんじゃねぇか!」


 鬼が僕を嘲笑う。その言葉通り、僕の構える刃はかたかたと細かく震えてしまっていた。だけど大丈夫だ。僕はつい昨日までの僕よりきっと前進しているはずなんだから。


「ほらほら坊や、そんな危ないものは下ろしちまおうなあ」


 へばりつくような気色悪い声で、男が詰め寄ってくる。僕は緊張から高鳴る鼓動を抑えつけ、呼吸を整えた。

 一回、二回、大きく息をする。そして、三回目に吸い込んだ息を止め、僕は男の脇まで踏み込んで、彼の右手へと切りかかった。大きく膨れ上がった筋肉が、魔食刀によってまるで豆腐のように切り裂かれる。

 やった、当たった!

 僕は一瞬だけ喜び、すぐに刀を構えなおした。相手は大柄な鬼だ。体勢を整える前に仕留めなければこちらに勝機はない。

 男は腕を切り付けられたことに驚いたらしく、ぐらりと一歩後ろによろめいた。

 ――好機!

 僕は斜めになった鬼の腹を蹴って彼の上に飛び上がり、思い切り振り上げた刃を渾身の力を込めて振り下ろした。

 すぱん。

 あっけない感触で鬼の肉は断たれ、飛び散った血が僕の顔を汚した。

 音を立てて鬼の男は地に沈む。僕は思いのほか冷静な思考でこちらを振り向いてくる鬼たちを見やった。

 これで一人。残りは二人。


「テメェ! よくも兄ちゃんを!!」


 弟だと思われる鬼の片割れが僕に殴りかかってくる。僕は刀で自分をかばおうとしたが、嫌な予感がしてとっさにその場から飛びのいた。

 直後、僕のいた場所には正面と横の二方向からの拳が突きこまれていた。あの場所に立ち続けていれば、無事では済まなかっただろう。

 二人の鬼は、僕が着地したのを素早く確認すると、揃った動きで僕を挟み撃ちにしようと突進してきた。

 もし片方を討とうものなら、その隙に後ろからの一撃で殺されてしまう。

 妙に軽い体を十二分に使って二人の攻撃をかわし続ける。この刀の威力だ。当てられさえすれば、きっと勝てるのに。歯噛みするも、いい打開策は見えてこない。

 二人でかかられるのが苦しいのだ。だったらせめて、せめて一瞬だけでも


「死ねぇええええ!!」


 飛んできた拳を避けながら、それでも刃を引くことはしない。僕の中の欠片の熱が、刀を握る手へと集中していく。刀身がぬらりと奇妙に濡れた。


「ヒッ……!」


 ちょうどその時飛びかかってきた鬼の片割れは、刀を凝視しておびえたような表情になっていた。ほんの一秒にも満たない瞬間だが、決定的な隙だ。


「やぁああああああ!!」


 僕は雄たけびを上げながら、硬直する鬼へと切りかかった。鬼はろくな抵抗もできないまま、胸と腹を切り裂かれて倒れ伏した。

 最後に残った一人は、僕から距離を取って叫んだ。


「テメェ、今何しやがった!」


 僕が何をしたのか。それは僕にも分からないことだった。分かっているのは刀が奇妙な光を発したような気がして、その輝きを見た彼が硬直したということだけだ。

 困惑で顔を歪め、それでも敵から目を離さないようにしていると、僕の左肩のあたりから不意にぼんやりとぼやけた声が聞こえた。


『外彦くん』

「降姫?」


 振り向くこともできず、だけど声だけで彼女の存在を確信する。彼女は赤い着物をはためかせて、宙に浮いているようだった。彼女の細い指が、僕の構える刀を指さす。その時になって、僕は初めて魔食刀の異変に気付いた。


「目が……」


 刀身にはまるで目のような形をした模様が何個も連なっていたのだ。その模様はぎょろぎょろと動き回り、それが本物の目であるということを示していた。

 降姫の呪いだ。彼女の呪いがこの刀に移っているんだ。

 目が複数できてしまうという呪いに侵された降姫の呪いがどうしてこの刀に宿っているのか。それを考える暇もなく、降姫は僕が持つ刀に手を伸ばした。


『外彦くん』


 目の模様の動きが激しくなる。何が何だか分からなかったが、今取るべき行動だけは分かった。


「……わかった。一緒に行こう、降姫」


 柄をぐっと握りなおす。相手はもう既にこちらのフェイントを見てしまっている。ならば、正面からいくしかない!


「このガキィいいい!」

「せやぁああああああ!!」


 飛びかかってくる相手に一気に踏み込んで魔食刀を振り下ろす。その刃は今までとは比ではないほど冴えわたり、胴をかばっていた腕をほとんど切り落として、胸にも深い傷を負わせた。

 男たちは倒れ伏し、僕はその横で荒くなった息をなんとか抑えた。抜身の刃はもう震えていない。それにホッとしていると、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。

 僕は一度刀を構えて足音の主を待ったが――道の先から現れたのが、黒い制服の人間たちだと気づいて切っ先を下げた。


「うおお、外彦! 大丈夫か? 怪我してないか?」


 最初に飛びついてきたのは焦り切った顔をした向井堂だった。こちらが刃物を持っているというのに躊躇しないというのがおかしくて、思わず笑ってしまいそうになった。


「はい、今度は大丈夫でした!」


 照れ臭いようなそんな気分になりながら、刃を鞘に戻す。その動きにはもう迷いはなく、ようやく以前に刀を使っていたことを体が思い出しているようだった。

 その時、大股でカツカツと踵の音を立てながら、犬崎が近づいてきた。僕は何か言われるのではないかと小さく飛び上がって背筋を伸ばした。

 犬崎は僕の前で立ち止まると、無言で僕の姿を眺めまわして一言だけ言った。


「よくやった」


 屈みこまれたでもなく、頭を撫でられたわけでもないその扱いは、まるで一人前だと認められたかのように思えた。

 僕は誰かに自慢したい気分でいっぱいになり、勢いよく背後を振り返った。そういえば何故か降姫が僕の後ろにいたはずだ。


「降姫、僕……!」


 しかし、そこには彼女の姿は影も形もなかった。


「あれ? 降姫?」


 首をかしげてもやっぱり彼女の姿は見えない。他の鬼切の人たちも降姫が消えたことに気付いた素振りもない。

 そういえば浮いていたように見えたし、僕の気のせいだったのかもしれない。もしくは――彼女が力だけを飛ばして僕を助けてくれたのかも。

 困惑して首をひねっている僕のもとに犬崎は歩み寄ってきた。


「あいつらは件のブローカーの関係者だ。刃を収めたばかりですまないが、俺の補助に回ってくれ」

「は、はいっ!」


 言うが早いか背を向けて歩いていってしまう犬崎の後を追いかける。降姫のことはあとで聞けばいい。僕の気のせいかもしれないし。


「奴らのいる場所は調べがついている。もう逃げられた後かもしれないが、念のため向かうぞ」

「はい!」


 歩みを緩めようとしない犬崎の後ろを、僕は小走りで駆けていく。頭上に洗濯ひもが絡まるようにしてぶらさがった狭苦しい路地を抜け、奇異の目で見られながらも歩いていくと、犬崎はとある商店の前で立ち止まった。

 人気がないというのに、彼は几帳面にもドアベルを鳴らした。数十秒待っても、反応はない。


「やはり逃げた後か……」


 引き戸を開け、犬崎は商店の中へと入っていく。玄関には靴が複数残されていた。――逃げ出したというのに妙だ。

 犬崎もそれに気づいたらしく、靴を脱がないまま部屋へと上がり込み、奥の部屋に続く廊下に身を潜めた。

 ぐちゃ、ぐちゃと。何か、水音がする気がした。嫌な臭いも漂ってくる。犬崎はその正体に思い至ったらしく向かいの柱に隠れる僕に指で合図をしてきた。

 三、二、一。


「鬼切だ! おとなしくしろ!」

「ぼ、僕たちにはあなた方を鎮圧・逮捕する権利が――うっ!」


 手帳をかざしながらの言葉は最後まで言い切ることができなかった。鉄さびの臭いで真っ赤に染まる凄惨な現場が広がっていたからだ。

 食い破られた腹、妙な方向に曲がった首、ぶちまけられた臓物。

 部屋の中には最低でも三人の死体が積まれていた。隠れたところにはもっと死体があるかもしれない。

 そしてその中心には、精工な面をつけた見知らぬコートの男が立っていた。


「笑鬼……!!」


 犬崎が憎々し気に名前を呼ぶ。

 これが、笑鬼。僕たちを襲った悪漢たちが模倣していた通り魔。

 僕は腹の底から湧き上がる恐怖を抑えようとすると同時に、何か奇妙な感覚にさらされていることに気が付いた。

 笑鬼と目が合う。こちらをじっと見ている。

 あれ。この視線、どこかで感じたことがあるような。



 僕――可哀想だと、思われてる?



「待てぇ!」


 はっと気づいた時には、笑鬼はガラス戸を蹴破って、犬崎もそのあとを追いかけていくところだった。

 慌てて店の外に出ると、身軽に壁を伝って建物の上へと去っていく笑鬼と、それを同様に追いかける犬崎の姿があった。


「あっ、えっ……」


 残された僕はどうすることもできず、ただそれを見送るしかなかった。

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