母の死を偲ぶ

1.突然の訃報

 エピストゥラ大公国首都カラムスに、ヘブンリー劇場がある。この国の演劇文学は、いつもこの劇場で花開く。白い外壁の建物のなかはとても豪奢にできている。玄関ホールの天井には、アーチ状にコバルトが埋め込まれ、柱は古代神殿を思わせる内装を、更に華々しく飾っているのは、今デザイナーとして活躍しているナタン・ロンヴェーが手がけた等身大ポスターだ。

 ホールの奥には真っ赤な絨毯が敷かれた大階段が緩やかな曲線の手すりを持って、観客を客席へと促す。客席は金持ちから一般の市民まで。随一を誇るだけあって多くの人数を収容できる。

 古典、近代の戯曲が上演されるため、利用する層は幅広い。

 今日の上演は新作だった。

 客の反応を見れば一目で分かるだろう。眠たげに背もたれする男、眉を寄せる女、飽きて完全に隣人と喋る子ども。

 イマイチだ。


「ああ、母上」


 オーケストラピットで奏でられる曲にも焦燥の色が備わっていた。指揮者も背中から感じる空気に冷や汗を垂らしている。

 舞台上にはメインを務める俳優が、騎士の甲冑姿で座り込んでいる。ボロボロの服を着た女優、俳優たちがメインを囲み、静かに見守る。背景はボロボロの家屋たち。小道具のなかに武器が入っているので、この戦争に巻き込まれたのだろう。

 慰霊碑らしきものまで建てられており、騎士は嘆く。


「あれは、あの碑に刻まれている、女の名は、我が母のものではないか!」


 母の死に嘆き、後悔する彼に、村人たちは彼を責めはじめた。


「お前の母は昨日死んだ!」

「休むことなく」


 それなのにお前は!

 何故、すぐに帰って来なかったのか!

 あれほど、お前のことを愛していたのに!


 騎士は後悔に泣け叫ぶ。ここで照明が落ちて終幕であることを示した。

 まばらな拍手で観客はもやもやとした面持ちで立ち上がる。

 母と仲違いした騎士は、愛を拒むように出ていった。それでも母は息子を愛し、手紙までしたためる。息子は母の健気さに目を背け、非行へ走る。そのまま戦争が起こり、母は息子に会えぬまま生き絶えた、というどうしようもないもどかしさを持たせる内容に、観客は納得できなかった。

 それもそのはずだ。六年前までこの国は戦争をしていのだから。現実を突きつけるような物語には、うんざりしてしまう。もっと希望があるものを欲しているのだ。


「だから言っただろう! あの内容は暗すぎる!」


 役者たちの控え室の広い部屋はだいたい花形の役者が使う。母を見捨てる騎士役をした俳優リカルド・レディバァッグは衣装を乱暴に脱ぎ捨てる。

 あまりにも大きい鏡台にぶつかり、軽い音が鳴った。

 照明の強い暑さに汗で濡れた顔をタオルで拭う。化粧が真っ白な生地を汚した。

 後ろにいる男ミッチェルはその怒りようを静かに眺めているだけで全く動じやしない。それを鏡ごしで見たリカルドの怒りは沸騰した。

 端正で大理石の彫刻のごとくと謳われている顔を歪めた。ここまで怒るのは、自分が期待の若手俳優だと自負しているからだ。そして後続にいる後輩たちの土台として華々しく、いつまでも演劇文化を輝かしいものにしなければと、崇高な志を持っている。だからこそ、今回の公演には失望し、激怒した。

 自尊心も矜持もずたずたになってしまった。

 それだけではない。

 劇が大成するかどうかで、劇団員たちの生活が大きく作用する。もうこの脚本は使えない。

 ミッチェルから新作だと渡され、読んだ時も皆あまりの暗い脚本に困惑していた。それでも主役はお前がやるべきだと言われ、仕方なく上演を決めた。だが、大事な客たちは不満げな顔だった。一般席の客の反応は嫌でもわかりやすい。


「書き直す。ただ騎士と母親は大事だ」

「いや、もうお蔵入りにしろ。親友だからと大目に見ていたが、お前のわがままには付き合えない!」

「わがままだと……?」


 ミッチェルの唇が直線に結ばれる。リカルドはそれを見て身構えた。この表情は大噴火の予兆だ。


「──とにかく、この脚本はなしだ。変えてくれ、頼む。俺はこんな役をしたくない」


 それでも自分の意思を伝えなくてはいけない。努めて優しく、努めて柔らかく。

 暫くの間、ミッチェルは黙ってリカルドを見つめた。そして口を開く。彼がどんな思いであの脚本を書いたのか気になったが、ミッチェルの言葉は突然の来訪者にかき消された。

 扉が乱暴に、急ぎで開かれた。

 女性が一人、息を切らして控え室に入った。全力で走ったのか、セットされた金髪は乱れている。


「ヴィオラ?」


 リカルドとミッチェルがヴィオラを見て目を丸めた。ヴィオラはミッチェルの妹であり、リカルドの婚約者フィアンセでもある。職業婦人で中等部の教員をしている。

 息を整えたヴィオラはリカルドに詰め寄った。彼女の表情は悲しみと苦しさに耐えかねる不幸そのものを写している。

 嫌な予感がした。

 彼女の目尻から大粒の涙が溢れていく。


「さっき、仕事場に電報がきて!」



──フランチェスカお義母さまが、亡くなったって!



 母の訃報に、リカルドはただ固まってヴィオラを見下ろした。

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