【46】必要なこと

「ああ、それならもう追い出した」

 飄々とした声が未だ脳裏に焼き付いている。言いたいことが、聞きたいことが山ほどあるのに、湧き上がる感情が苛立ちなのはどうしてだ。この場合、感謝が妥当であることは明白なのに。

 もとより切れ長で冷たい印象を持たれるという自覚はある。その目が今、お世話になっている前会長さえ呆れるほどに冷えきっているのだろう。隣にいる風紀委員長に至ってはもはや笑っている。お前だってあの瞬間、明らかに苛立っていたくせに。電話だったから向こうに表情は伝わらなかったが、無言の間で察していただろうなと思う。

 はぁ。あの理事長、なんで全部わかってるんだ。なんで全部、もう終わってるんだよ。


 高井先生について理事長に連絡をとった結果。

 その報告をするために横塚の部屋へ戻ってきた俺と風紀委員長を待っていたのは、前会長とその親衛隊の先輩、そして会計の三人だった。

 ほどなくして、寝室にいた横塚と保健医が出てきた。横塚の診察をしていたらしいが、大きな問題はないとの事。何かあればすぐ保健室に来ることを約束させられ、保健医は退室した。

 前会長がいれてくれたお茶をもって一息つき、俺が何をしていたか、説明することとなった。

「今から話すことは他言無用でお願いします」

「わかってるわよ。っていうか、副会長とか、いいの?」

「加賀見に聞かせるわけにはいかないので、ちょうど良かったです」

 僕達は聞いてもいいんですか、と親衛隊の先輩に続けて尋ねられたが、ここに至るまで迷惑をかけ通しだったことを考えると、聞いてほしい気持ちが強かったため、お願いしますともう一度頭を下げた。

「横塚を脅迫していた相手は高井先生で、生徒会顧問を辞めてもらうため理事長に相談していたんです。が……」

「えっ! 高井先生なの!?」

「びっくりだよね。オレもびっくりでしたよ。でももっとびっくりすることが起きたんだよねぇ」

 この時、冒頭にある通り、俺の目は冷えきっていて。

 あの飄々とした口ぶり。思い出すだけでも、ため息が出る。

「はぁ。理事長が既に高井先生を解雇する方向で話を進めていました」

「え、ええっ!?」

「もうとっくに追い出した、だっけ? 正しくは転職らしいけど、理事長はとっくに犯人つきとめてたってこと」

「すごいじゃない! 展開が早すぎて何が起きてるか分からないわよ!」

 いちいち良いリアクションをとってくれる前会長のおかげで、話がさくさくと進んでいく。実際に電話で理事長から高井先生の処分を聞いた時には、俺も風紀委員長も二の句が継げず、会話がしばらく停止してしまったのだ。会話にはほどよい相槌が必要らしい。

「準役員……ああ、先輩には話していませんでしたが、理事長が校内で活動させている人間がいるようで、そこからの情報で高井先生を突き止めたらしいです」

「へぇ、そうなの。でも、あの高井先生が……」

「保坂先生といいコンビだったよねぇ」

「そうよ! 転職はいいとして、解雇だなんてやりすぎじゃない? 彼のことは知らないのよね?」

 前会長の視線が横塚に注がれる。

「報告してませんが、何も言及がなかったので知らないと思います」

「盗難と、生徒会に濡れ衣着せたってとこまで把握って感じだったね」

「脅迫のことや、横塚の声が出なくなったことはここにいる人間しか知らないはずです」

「それじゃあ理事長は、生徒会に濡れ衣を着せたことを重く見たのね」

 都築と尾張の件で犯人を探し当てた準役員がまたしても、高井先生という犯人を炙り出した。生徒会室に出入りしていたのであれば、なくはないだろう。その後に理事長と結託し、その高井先生を追い出した。

 その過程で、脅迫までたどり着かなかったわけだが、横塚の声が出なくなったのは昨日のことだ。もしそのことまで知っていたら、理事長の手足は昨日集まった中にもいるということになる。知っていて言わなかった可能性もあるが、今は考えていられない。

 ともあれ、元凶は消える。

「月曜からもういないんだって。迅速な対応だよねほんと」

 風紀委員長はそう言って横塚に笑いかけた。普段のゆるゆるとしたものではなく、目を細めて眉尻を下げた、困ったような笑顔だった。同情か、慰めか。それとも、安堵か。

 俺は安堵を選ぶ。

「だから、横塚。怯える必要はなくなった」

「……はい」

 脅迫はもちろん、盗難に関しても高井先生が犯人であることは確定している。理事長による処分を受けるのなら、再び俺たちの前に現れることはない。

 横塚は浮かない顔をしているが、その場にいる全員がその真意をなんとなく掴んでいるようだった。どうやら俺がいない間に横塚がなにか語ったのだろう。

 脅迫だけが、横塚の声を奪った原因ではない。

「怯える必要はなくなったが、やるべきことは残っている」

「はい」

「どうして脅迫を無視した?」

 横塚の体がびくりとわなないた。

「ちょっと、どういうこと?」

 前会長は俺の方へと詰め寄り、責めた。親衛隊の先輩は即座に横塚のほうへ添ってくれている。心からの気遣いができる優しい先輩たちだ。

 しかし、俺も横塚も覚悟を決めたはずだ。その証拠に横塚はすぐさま顔を上げ、俺を見た。

「……おれが、甘えてた、から」

 拳を握り締めている。

 それは恐怖に怯える弱さと、隣に寄り添ってくれている先輩を頼らない強さを示していた。

 横塚はゆっくりと語り始めた。

 脅迫の内容は、生徒会役員の中にテストの窃盗犯がいる。その罪を横塚に着せようとしている。このままでは窃盗犯にされるが、どうするか。そういったものだった。脅迫を受けた横塚はすぐにわかった。生徒会役員の中に窃盗犯はいない。

「だったら、突っぱねることだって」

「……ずっと、加賀見、と、一緒にいた、ので」

「加賀見くんに罪が着せられるかもって?」

「それも、あります。でも……でも……おれ、どうしたらいいか、わからなくて。都合が悪くなると、逃げ出して……誰かが、なんとかしてくれるって……そのまま」

 横塚が自分自身を責めていた理由はそこだったのか。

 俺は横塚が庇ってくれていたのだと思っていた。テストを盗めないことを証明するには、生徒会の責務を放棄していた事実を自白することに繋がる。だから言えなかった。横塚の中に少なからずそういう気持ちもあったはずだ。

 だが本質は、逃避だったのだ。

 自分がやらなくても誰かがやってくれる。助けてくれる。手を伸ばしてくれる。そんな甘え。

 でも俺たちは本来、手を伸ばす側の人間でなくてはならない。そのための生徒会であり、与えられた特権なんだ。

「おれたち、生徒会室に、行ってなくて。だから、盗めないんです。でも、それを言うと、みんな、サボってたって言うことになる。だから、言えなくて、でも、言えない自分が……情けなくて。今までずっと、他人の意見に、乗っかってただけのおれだから……自分でかんがえて、答えを出すのができなくて。責任から、逃げていました」

「だから声が出なくなったのね」

「おれが、あまえてたせいです」

「その通りだ」

「ちょっと! そんな言い方!」

「いいんですっ。会長は、間違ってません」

 横塚がさらに強く、俺を射抜く。

「おれが、甘えてたんです。これがおれが出した結論で、これから、これからがんばっていく、理由です」

「ああ」

「だから、まずは、ご心配と、ご迷惑をかけた、お二人に、ちゃんと、謝ります。すみませんでした」

 横塚は座っていたその場から立ち上がり、腰を曲げて謝罪した。

「……ええ、そうね。それが第一歩なのね」

「うん。慰めや、擁護はいらないってことだね。それが横塚くんが考えた横塚くんの意思なんだ」

「はい。本当なら、高井先生のことも、おれが向き合わなきゃいけないんです。加賀見が言ってた、もっとやれること。でも……それはまだ、やっぱり、こわくて」

「無理はしちゃいけない。誰かを頼ることは悪いことじゃない。十分だよ。これからの横塚くんを、僕は見ていくから」

「よろしくお願いします」

 先輩が立ち上がり、何度も頭を下げる横塚の背を撫でた。その手はきっとこの先も、優しく寄り添ってくれるはずだ。


 落ち着いた横塚が再びその場に腰を下ろし、ふうっと息を吐いて俺の方へ視線を飛ばしてきた。今までであれば、ここから横塚が発言するまで時間がかかるため待つのだが、その必要はなかった。

 厳しい視線。強い決意。

「会長、おれ、どうしたらいいですか」

 迷いから発生した台詞ではない。横塚は俺の決意を知った上で、俺の行動を問っている。

「ああ。明日は週明けで全校集会がある。そこで全て話すつもりだ」

「なにそれ?」

 風紀委員長の訝しげな声に押されるが、横塚から注ぐ視線が支えてくれる。

「俺たち生徒会が二学期に入ってから職務を放棄していたことを話す。それによって起きてしまったトラブルに関して、謝罪する」

「へぇ。できるの?」

「やるんだ。尾張の件、そして今回の盗難の件、どちらも俺たちが生徒会を執行していれば防げた。公にはなっていないが、迷惑をかけた方が多くいる」

「公表したら、飛び火しないかしら」

「個人名は出しません。俺の責任が追求されるべきだと思っています。リコールという制度があることも知っています。生徒会を選び直すことも考えて欲しい」

「そんなのダメですっ!」

 大きな声が弾けた。

 立ち上がりかけた横塚の体を、先輩の手が制止する。

「おれ、おれ! 会長と、がんばるって! に、にげるんですかっ!?」

「落ち着け。逃げるわけじゃない。言っただろう? 悪いことをしたら、反省しなきゃならないって」

「でも、でも!」

「頭を下げるだけで許してもらえるなら、それでいいけど、そうじゃないかもしれない。リコールは俺たちを選んだ生徒のみんなが行使できる権利だ。もし実行された時は、再選できるよう、全力を尽くす」

「……それが、会長の、がんばるってこと、ですか」

「ああ」

「にげない、ですか?」

「逃げようとしたら、お前が捕まえてくれ。できるだろ?」

「……はい。おれ、会長といっしょに、がんばります。それって、会長ががんばるの、見るってことですから」

 横塚は納得したようで、強く頷いてから落ち着いた。

「リコールなんて起きないと思うけどね」

「そうよ。サボっていたのはイケナイことだけど、誠意を持って謝罪すれば許してもらえるわ」

「なんてったって、実際に迷惑をかけられたオレたちがそう言ってるんだからねぇ」

「……本当に、すみませんでした」

 風紀委員長も前会長も、あっけらかんとそう言ってくれることはありがたい。この二人には本当にお世話になり、迷惑をかけた。

 珍しく柔らかな視線に切り替わった風紀委員長は、いつもの手首をふらふらとさせる癖を見せながら話を続ける。

「オレとしてはお前がそういう考えに至ってくれて良かったと思ってるよ。あの会議でオレたちに謝って、それで終わりかと思ってたし」

「どういうことだ?」

「謝る相手はオレたちじゃないってこと」

 そりゃあ謝らないよりは謝ってくれた方がいいけどね、と補足しながら笑った。

 あの会議とは、生徒会と風紀委員会、保坂先生と高井先生とで集まって話し合ったあれか。たしかにあの時、生徒会室に行かず責務を放棄していたことを謝罪した記憶がある。

「生徒会ってのは生徒の模範じゃなきゃいけないでしょ。もしそれを破ったなら、謝る相手は……さっきお前が言った通り、生徒のみんなだからね」

「ああ、そうだな。俺はどこまでも間抜けだった」

「それを謝って、これからちゃんとしていくってことでしょ。もっと悪いことしたら、オレがちゃんと尻叩いてあげるよ」

「大丈夫だ。その時は横塚が注意してくれる」

「えっ、おれですか!?」

 唐突に話を振られた横塚が小さく飛び上がる。

「さっきみたいにな」

「でも、おれ……的外れなこと、言うかもしれません」

「かまわない。何も言わずに逃げ出していた今までとは違う選択をするんだ。そうすれば、話し合いができる。少しでも正しい選択を選べるようになる。実際、俺もお前と同じように生徒会長という重圧から逃げていた。もう逃げるつもりはないし、責任をもって続けていきたい。その隣には生徒会のメンバーが必要だ」

「……はいっ!」

 拳をぐっと握りしめて前傾姿勢を取る横塚が微笑ましい。

「やば、俺もう泣きそうなんだけど尊すぎて、はぁ尊いわぁ……」

「お前は相変わらず意味わかんないねぇ」

 離れた場所で口を挟まず大人しくしていた会計は風紀委員長にケラケラと笑われていた。


 そろそろ昼飯でも食いに行くか。壁掛け時計を見上げて提案すると、揃って立ち上がり賛同してくれた。

 部屋を出た廊下で横塚に食欲を聞けば、食べられます、と返事があった。今までなら丸まった背中のせいで小さな声が低い位置から届いていたのだが、そのハキハキとした返事は上から聞こえてきた。

 全てが解決したわけではないとはいえ、良い方向に進んでいることは間違いない。俺自身もしっかり前に進まなければならない。

 明日の全校集会、今から少し緊張してきた。

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