【11】都築は親友であることを選んできた

 午後の授業。一年B組、窓際後方。

 隣で授業を受ける転入生に対し、意外だという思いを抱いていた。それを当人に告げれば、失礼だな、と笑うだろうとも思った。怒ることはせず、自嘲気味に笑うのだ。猪突猛進な性格がなりを潜め、自分よりもはるかに大人びた寂しさを覗かせる。けれどそれは一瞬で、再び快活な表情が浮かび上がるのだろう。

 転入生と同室となってまだ半月。一学期の穏やかさは消え失せ、日々は騒々しさに満ちていた。そのことに対し、はじめは煩わしさが勝っていた。勉強に集中することができなくなったことは本当に嫌だった。

 それがじわりじわりと転じてきたのはつい最近。隣を陣取る転入生の本質を知り始めたことが起因だ。具体的にどうこう説明はできない。ただほんの少し、転入生は寂しそうだと思うようになった。

 目の前にあるノートに延びる罫線をたどりながら、一年B組都築政広はそんなことを考えていた。昔から集中力だけは高いと言われ続け、今も十分にその能力を発揮していたのだが、どうやら終業の鐘すら逃していたらしい。都築の意識を呼び戻したのは、転入生だった。

「つづき!」

「え、なに?」

 真横から響く声。今はすっかり慣れた大きな声。都築は振り向いた。

「帰ろう」

「ん? 帰るの?」

「おう!」

 普段であれば、生徒会のところに行こうと腕を取られる。拒絶しても結局はずるずると引きずられるのだが、今日の転入生は鞄を手に帰宅を促すだけだった。疑問符を浮かべた都築だったが、ふとその理由に合点がいく。今朝のこと、生徒会が放課後は生徒会室に行くと告げ、転入生は誘われなかったのだと思い出した。

 珍しいね、という言葉は飲んだ。

「人探しは?」

「寮の入り口に立つんだ。帰ってくる顔を見る!」

「なるほど。顔は覚えてるんだね」

「忘れない、得意なんだ!」

 まるで誉められた子供のようにぱあっと笑う転入生は、それだけでまぶしい。だから惹かれるのだと、近くにいてわかる。けれど少し遠い場所にいる『周り』はそう見ない。

 さあ、と教材を詰めた鞄を手に帰路へ誘う転入生を真正面に構えながら、都築は笑えなかった。まぶしい笑顔は見ているだけで心を晴らす力を持っている。同時に、強い影を背負わせてくる。背中に張り付く、強い影。どぶりと溢れる焦燥。都築はうつむきながら、床の傷を視線でなぞった。

「どうした? 帰りたくないのか」

「違う、けど」

「帰りたくないんだな。いいよ、俺、一人で帰る」

 その言葉に都築は心臓が跳ねあがった。手のひらにじっとりと汗までにじむ。焦燥にかられて視線をあげると、転入生はすでに背を向けていた。

 都築より少しだけ大きな背中。いつもぴしりと姿勢正しく、前だけを見つめている。その背中がたやすく離れていく。

「ま、待って。待って加賀見」

「うわあ!」

 がたん、がたん。机を押しのけて、都築は転入生、加賀見の腕を取った。驚いたのは加賀見だけではなく、教室に残っていた生徒もみな目を見開いていた。

「一緒に、帰ろう」

「いいのか?」

「……うん」

「そっか。うん。よし、帰ろう!」

「わ、ゆっく、ゆっくり歩いて、帰ろうっ」

 加賀見は晴れやかな顔を見せながら都築の手を引き、そして都築は加賀見の手をしっかりと掴み、騒然となった一年B組をあとにした。

 周りは、またか、と憐憫を向ける。加賀見の奔放さに困る都築。振り回し、振り回され、クラスではすっかり浮いた存在となった二人。だがしかし、いつか加賀見が公言したように、彼らは確かに親友なのである。

 廊下に出ると二人はずんずん歩き、人を割いて正面玄関まで突き進んだ。加賀見は悪い意味ですっかり有名人のため、その道程をあえて遮る者はいなかった。同時に今日一日でその悪い意味は変容を始め、遠巻きに眺める者は増えた気がする。

 下駄箱で靴をはきかえながら、都築は嬉しそうな表情を浮かべる加賀見に問いかけた。

「ねえ加賀見」

「なんだ?」

「今日は授業、全部出たね」

「ああ。当たり前だよな、うん」

「何かあったの?」

「生徒会のほうであったみたいだ。教えてくんなかった。でもさ、いいんだ」

「え?」

「今は、昼休みの人が先だ」

 そう言う加賀見の表情は、都築が今まで見てきた中でことさら愉悦に満ちていた。加賀見は誰より明るく、まっすぐで、意志が固い。そして異常と言っていいほどに、強い。都築は加賀見が敗走する姿を、出会ってから未だに見たことがなかった。

 だからきっと、加賀見が探す昼休みの人はたやすく発見されるのだろうと思う。加賀見は有言実行の男で、周りもそれに倣う。彼が見つけると言えば、向こうから引き寄せられてくるのだ。生徒会がそうであるように。

 二人は颯爽とした足取りで校舎を出て、寮へ向かった。

 寮の入り口は広いエントランスになっている。くつろぐソファセットが数十あり、生徒たちの交流の場として存在する。食堂が閉まるまで解放され、放課後は騒々しいほどだった。エントランスは菓子類の持ち込みが禁止。そのため、生徒たちは購買にあるジュースをそれぞれ手に持って雑談に興じていた。

 広い六角形を描くエントランス。正面奥にはエレベーターホール。右手には寮長がいる寮長室。そして太い柱が四つ建てられ、移動可能なソファセットが様々な場所で生徒達に利用されていた。そんな中、一人掛けのソファが二つ、並んでいる。

 二つのソファは四つの柱のうちの一つに寄り添うように設置され、いかにも休憩スペースといった風に見えた。そこに座れば正面入り口は網羅できる。まだ終業から時間は経っておらず、帰宅する生徒たちの声は、あちこちで押しては引いてを繰り返す。待ち合わせをして部屋に戻る者もいれば、そのままソファを占領してくつろぐ者も、中には教材を取り出して勉強を始める者もいる。誰しもが、放課後という空間を味わっているように感じられた。

 座り心地が良いと隣の加賀見は感動し、都築に同意を求める。都築は強く頷いた。

 先の二つのソファに並んで座る二人は、制服姿のまま鞄もソファのたもとに置き、正面入り口を眺めていた。手には同じ果汁百パーセントジュース。

「人多いけど、わかる?」

「わかるわかる! たぶん」

「ふふっ。どんな人だったの? ネクタイの色は?」

「ネクタイ?」

 都築はネクタイの色が学年を表していることを話した。加賀見は初めて得る知識に目を丸くしながら何度も頭を縦に振る。大したことではない、知ったところで今後事態を左右することもない、そんな細事ですら加賀見には感動をもたらすものとなる。子供のような無垢な姿に、都築はつい笑ってしまった。加賀見は気にしていないようで、ネクタイの色を想起している。

 白い廊下。掴んだ肩。振り向いた顔。

 目の前を通過していく大勢の生徒たちを眺めながら、その面影を探す。

「俺と同じ色、だったかな。違う色だったら目に付いてたと思う」

「そっか。じゃあ学年は同じか。かっこよかった?」

「かっこ……うううん。笑顔がさ、綺麗だったな!」

「笑顔が綺麗、ね。ほくろとか、眼鏡とかは?」

「ないない! 髪が短くて、背は俺とあんまり変わんない。あと、えっと」

 手のひらに人差し指をぽんぽんと当て、目だけで上を見ながら記憶の中の人物を形にする。加賀見が集中している横で、都築は流れる人並みから同学年の生徒を注視していた。中にはクラスメイトの姿もちらほら見かけつつ、髪が短く、顔の綺麗な人間を捜した。

 時折ジュースをすする音だけが二人の間を行き交い、あたりの喧噪すら雑音として耳に入らなくなった頃、集中力を妨げる強い足音が響いた。エントランスは大理石を敷き詰めた豪華な床であり、学校指定の革靴で叩けばそれなりの良い音が鳴る。しかし、目の前に迫ったそれは明らかに激しさを伴った音だった。だだん、と二人の前に仁王立ちした一人の生徒。二人にとって見慣れたはずの顔は、怒りを露わにした表情を浮かべ、厳しい目つきで二人を睨み、すでに見慣れた顔ではなかった。

 その生徒は都築の友人である尾張だった。

「どうしたんだ?」

「そんなに怖い顔、なにかあった?」

 加賀見に続いて都築が首を傾げると、尾張はとうとう目を見開いて閉口した。

「尾張?」

「こっちにこい」

 低く乾いた声は怒鳴り声よりもはるかに憤りがこめられたものだった。ぞくりと肝が冷える感覚を都築は確かに感じる。

 しかし、隣の加賀見は意に介さず、どうした、と続けた。その声には深く心配する気持ちが込められており、都築は同調するように小さく頷いた。一瞬先に感じた畏怖は加賀見によって打ち消される。それに気付いた尾張はぎらりと切れ長の目を加賀見に突き刺した。言葉はない

 都築がそのまま答えずにいると、乱暴に伸びてきた無骨な手が腕を取った。ジュースを持っていたほうだったため、紙パックに刺さったストローからは少し中身が飛び出した。

「はやく」

「おい、こぼれてる!」

「いいからこいッ!」

「本当にどうしたんだよ尾張! 落ち着けって!」

「てめぇに言われたくねぇんだよ!」

 尾張と加賀見の口論はたちまち燃え上がり、怒声へと変化していく。都築はなぜかそれを、他人事のように見上げていた。掴まれた腕は痛い。しかし、それ以上に心をとらえたのは目の前で憤怒を隠そうとしない友人の姿だった。

 都築と尾張は幼少からのなじみであり、家同士でも深い仲を築いていた。物心つく前から手をつないでいて、今もそれは変わらない。いつも歩みの遅い都築を、寡黙ながら優しく引いていく尾張。それが常だった。それなのに、目の前にいる尾張は声を荒らげ乱暴な手つきで都築を引っ張っている。都築は尾張のそんな姿を初めて見たのだ。

「言っただろう、今日! 俺と都築は人捜ししねえって!」

「都築は手伝ってくれるって言ってくれた!」

「嘘吐け! てめぇがそう決めつけたんだろう!」

「そんなことしてねえ!」

 二人の声は交わす度に大きく激しくなっていく。迷惑そうに遠巻きにしていた生徒たちもじわりじわりと意識を向け出した。

 始まった、という空気だった。加賀見が騒動の中心になるのはこれで何度目かわからない。たった半月の間に都築はこういった場面にさらされ続けた。騒ぎはどこからか噂となり、形を変えつつ生徒の間で広がっていく。もとより進学私立として勉強熱心な優等生が多い学内では、問題が少なかった。だからこそ遠巻きに、声を潜めて話題にされる。好意を集める人間が関わればその声は憤りを含み、肥大する。

 騒動があるそのたびに、都築は加賀見の隣を選んできた。たとえ、憤怒をぶつけられようと、憐憫を向けられようと、誰よりも近くで加賀見の声を聞き、紛れもなく、自分の意志でその場所にいた。はじめこそ救いの手を探したが、その手は真横に存在したのだ。

 だからこそ今、座ったまま言い争いを聞いているのも、都築の選択だった。止めるべきだとわかっていて、加賀見の強い声を聞いていたいのだ。

 そして、尾張はそのことに気付いていない。

「いい加減にしろよ!! てめえのせいで都築は困ってんだ!」

「都築はそんなこと言ってない!」

「優しいから言えねえだけに決まってんだろ!」

 吐く言葉が自らの首を絞めることにも、尾張は気付かない。気付けない。

「てめえと一緒にいるせいで、いわれもないいじめに遭ってる、今朝だってロッカーを荒らされてたんだ!」

 尾張の怒声はエントランス中にくまなく広がった。きっと、そのほとんどが台詞の内容など気にも留めていないだろう。ただ凄まじい怒りが、ガラスを叩き割ったように、散らばり、突き刺さった。沈黙。次第に恐々としたつぶやきがぽつりぽつりと輪を描き、沈黙が動揺に移るまでは早かった。


 そんな中、遠くで誰かの着信音が響いた。


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