第2話 “分けたがり屋”と『不良少女白書』

 賑やかな笑い声に包まれた昼下がりの『じゃまあいいか』のカウベルを鳴る。みんなの視線を一身に集めたのは長崎愛香だ。珍しく濃いグレーのパンツ・スーツ姿。ピンク色のシャツが春らしさを演出していた。将棋の対局を終え、みんなが集まっているのを知ってやって来たのだ。

「な、何よ。私よ、ワ・タ・シ。そんなに注目されると恥ずかしいじゃない」

店はまた笑い声に包まれる。

「どうだったの? 対局」

「うん。何とかね」

「凄いじゃん。おめでとう。じゃ、一杯奢ったげる。マスター、愛香に“キョーイチ”のアイスド・コーヒーをお願い」

「かしこまりました」

恭一は広海のオーダーに大袈裟に答えて、豆を挽き始めた。

「アッタマ疲れちゃった。糖分不足だからマスター、アップルパイもお願い」

「広海、冷蔵庫に昨日の残りが入っているから、レンジで温めてくれるか。売り物じゃないからサービスだ」

広海はカウンターに入ると、シナモン・パウダーをかけてアップルパイを温める。

「愛香、今ね、みんなでオリ・パラの話をしていたの。どうして日本人は“分けたがり屋”なのか、って」

「“分けたがり屋”?」

「“勝ち組”と“負け組”」

「“富裕層”と“貧困層”」

幹太と耕作が補足した。

「工夫がないなぁ。例えがさっきと同じ」

呆れた素振りで千穂。

「オレたちも糖分不足かな? “課長”」

幹太が何気におねだりをし、耕作にも同意を求める。

「残念ながら冷蔵庫に昨日のパイはもうない」

「駅前のケーキ屋には売るほどあるぞ」

今度は恭一と横須賀が幹太の企みを切り返した。

「カンちゃんは“分けたがり屋”じゃなくて“羨ましがり屋”ね」

そう言うと、愛香はシナモンの香り立つアップルパイを切り分け、口に運んだ。


「ずいぶん賑やかね」

再びカウベルを鳴らした主は、旧知のアナウンサー、長岡悠子だった。仕事がオフのきょうは北区の飛鳥山公園の帰りらしい。

「8代将軍の吉宗が整備したんですよね、飛鳥山公園の桜」

と幹太。

「そうね。吉宗公は思いも寄らなかったでしょうけど、あそこは桜越しに新幹線も楽しめるの。東北と上越、それに北陸もそうね」

飛鳥山公園に沿って、JR東日本の京浜東北線と新幹線の線路が走っている。だから、上りの新幹線でこの時期、右側に見えるのが飛鳥山公園の桜ということになる。

「隅田公園のソメイヨシノも吉宗公由来の桜よ。淺草側じゃなくて、押上側の池のある庭園の方」

千穂のお気に入りの花見スポットの一つだった。今はスカイツリー効果も手伝って、外国人にも人気になっている。

「久しぶりに都電にも乗ってみたわ。何かゆったりしてて、ちょっとリラックスした感じ」

荒川区の三ノ輪橋と新宿区の早稲田を結ぶ都電荒川線は、都内で唯一の路面電車で全長は12.2キロ。現在は東京さくらトラムと呼ばれている。

「路面電車か。何か昭和ですね」

「カンちゃん、それが言いたかっただけでしょ、もうすぐ令和だから」

カウンターの中から広海が幹太の額を突ついた。

「“分けたがり屋”か」

悠子が呟く。

「私ね、分けたがりで思い出したんだけど」

悠子はスマホで検索した画面を隣りの横須賀に見せる。

「ほら、これ」

「ああ、なるほど。『不良少女白書』か。あれ? 恭一、お前持ってなかったっけ?」

「あるよ」

すっかり田中要次が板についてきた恭一。

「ダ・カーポの旦那の方じゃなくて、本家のさだまさしなら」

恭一はCDラックからベスト盤を抜き出すと、横須賀に手渡した。

「♪なぜ嫌いですか なぜ好きですか 左ですか右ですか」

口ずさみながらCDプレーヤーにセットした。


不良少女白書

作詞・作曲 さだまさし


あの娘はいつも哀しい位

ひとりぽっちで部屋の片隅でうずくまってた

誰かが自分を救いに来るのを

じっと待ってるけど誰も来ないと判ってる

人には黒く見えるカラスが

自分には白く見えてしまう

黒く見ようと努力したのに

人は大声で聞いてくる


なぜ嫌いですか なぜ好きですか

左ですか右ですか

ああ聴こえない ああ届かない

自分の夢がわからない ああ


あの娘はいつも哀しい位

強がってみせるけど実はとても淋しがりや

時折燐火(マッチ)を摺ってはひとりで

涙こぼしながら また時々火傷をする

少し若さに思い上がり転がる方が楽だと覚え

本当はとても優しいくせにすねて見せるだけの意地っ張り


※何が正しくて 何が嘘ですか

100じゃなければ 0ですか

ああ聴こえない ああ届かない自分の夢がわからない ああ


※自分に正直に生きるなら

風に逆らって生きるのなら

居直る事が勇気だなんて自分に甘えるのはおよし

なぜ嫌いですか なぜ好きですか

左ですか右ですか

ああ聴こえない ああ届かない

自分の夢がわからない


なぜかみんな聴き入ってしまった。

「何か歌詞の“淋しがりや”が“分けたがり屋”と繋がっただけみたいね」

と悠子が笑う。

「そうかな。黒いカラスと白いカラス。左ですか右ですか。100じゃなければ0ですか。好きですか、嫌いですか。歌詞の中には“分けたがり”がいっぱい含まれている。上原大祐さんの言い分と近いと思うよ、オレは」

横須賀は真面目な顔で言った。

「『関白宣言』みたいな軽いノリで聴いちゃったけど、何か考えさせられますね、この曲。歌い方もシリアスだし」

と耕作。

「『不良少女白書』っていうより『真面目少女白書』じゃない。どっちかいうと」

愛香も詞の内容に心打たれていた。

「何か70年代、80年代のフォークソングの王道って感じですよね。メッセージ性強くて」

「昭和か?」

恭一はツッコんだが、広海はツッコまずに言った。

「私たちがずっとゼミで言ってきたのと似てない? 『人には黒く見えるカラスが自分には白く見えてしまう』『100じゃなければ0ですか』って」

「『自分に正直に生きるなら 風に逆らって生きるのなら』ってところもね」

愛香も同じ意見だった。

「この曲、ドラマの『2年B組仙八先生』の挿入歌だったはずだよ」

横須賀が付け加えた。中高生の複雑な胸の内を言い当てるのにふさわしいと制作担当も考えたのだろう。

「何か、今の若者にも聴いて欲しい曲ですね」

と幹太。

「っていうか、“分けたがり屋”の日本人みんなに聴いて欲しい、って思っちゃった、私」

と、しみじみとCDのジャケットに見入っている千穂の脇で、恭一が人数分のコーヒーを淹れ始める。淀んだ空気を入れ替えるように、コーヒーの香りが店いっぱいに広がった。

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