第10回 清談

 漢文大系本、第3巻、82ページ。

 西暦297年頃。


 是時王衍・楽広皆善清談。衍神情明秀。少時山濤見之曰、「何物老嫗生寧馨児。然誤天下蒼生者、未必非此人也。」衍弟澄及阮咸・咸従子脩・胡母輔之・謝鯤・畢卓等、皆以放為達、酔裸不以為非。比舎郎醸熟。卓夜至甕間盗飲、為守者所縛。旦視之、畢吏部也。楽広聞而笑之曰、「名教中自有楽地、何必乃爾。」初魏時、何晏等立論、以天地万物皆以無為本。衍等愛重之。裴頠著「崇有論」、不能救。


 是の時、わうえんがくくわう、皆な清談を善くす。衍は、神情明秀なり。わかき時、さんたう、之を見て曰はく、「何物のらうおうねいけいを生む。然れども天下の蒼生を誤る者は、未だ必ずしも此の人に非ずんばあらざるなり」と。えんの弟ちよう及びげんかんかんの従子しうしやこんひつたく等、皆な放を以て達と為し、酔ひてするも以て非と為さず。比舎の郎、醸熟す。卓、夜、おうかんに至りて盗み飲み、守る者の縛る所と為る。旦にして之を視れば、ひつなり。楽広、聞きて之を笑ひて曰はく、「名教の中におのづから楽地有り、何ぞ必ずしもすなはしからん」と。初め魏の時、あん等、論を立て、おもへらく、天地の万物は皆な無を以てもとと為すと。えん等、之を愛し重んず。はい、「崇有論」を著すも、救ふ能はず。


 当時、おうえんがくこうといった人々は、みな清談を得意とした。王衍は、表情が立派であった。若いころ、さんとうはかれを見て、「どんなばあさんがねいけい(こんな立派な子)を生んだんだろう。しかし、天下の人々を間違った道に引き入れるのは、この人かもしれない」と言った(「ねいけい」は「こんな」の意、当時の俗語)。おうえんの弟のおうちよう、およびげんかんげんかんのいとこの子のげんしゆうしやこんひつたくといった人々は、みな好き放題にふるまうことがいきだと思い、酔って裸になっても悪いと思わなかった。隣の官舎の郎(役人)が酒を作っていたとき、畢卓は、夜に酒がめのところに入って盗み飲みをし、見張りに捕縛された。朝になって見てみれば、ろうひつたくであった(というので、驚かれた)。がくこうはこれを聞いて笑って言った。「仁や礼の教えの中にも、おのずから楽しみがある。どうしてそんなことをする必要があるのか。」昔、魏のときに、あんらが、天地の万物はみな無を根本としているという思想を説いていた。おうえんらは、この説を好んで重視した。はいは「有を尊ぶ論」を著したが、かれらを救うことはできなかった。

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