第7回 武帝の崩御

 漢文大系本、第3巻、80ページ。

 西暦290年。


 晋代魏十有六年、至太康元年而滅呉、又十年帝崩。帝初即位、嘗焚雉頭裘於太極殿前、以示倹。既而侈縦、後宮数千。常乗羊車、宮人挿竹葉于門、洒塩以待之、羊車所至、即留酣宴。与群臣語、未嘗有経国遠謀。自呉既平、謂天下無事、尽去州郡武備。山濤独憂之。漢魏以来、羌胡・鮮卑降者、多処塞内諸郡。郭欽嘗上疏、謂、「宜及平呉之威、漸徙内郡雑胡於辺地、峻四夷出入之防、明先王荒服之制。」帝不聴。卒為天下患。帝在位改元者三、曰泰始、咸寧、太康。太子立。為孝恵皇帝。


 晋、魏に代はりて十有六年、太康元年に至りて呉を滅ぼし、又た十年にして、帝、崩ず。帝、初めて位に即き、かつとうきうを太極殿の前にき、以て倹を示す。既にしてしよう、後宮数千。常に羊車に乗り、宮人、竹葉を門に挿し、塩をそそぎて以て之を待ち、羊車の至る所、即ち留まりてかんえんす。群臣と語るに、未だかつて経国の遠謀有らず。呉、既に平らぎてより、天下に事無しとおもひ、ことごとく州郡の武備を去る。さんとう、独り之を憂ふ。漢魏以来、きやう・鮮卑の降る者、多く塞内の諸郡に処る。かくきんかつじやうしてふ、「宜しく呉を平らぐるの威に及びて、漸く内郡のざふを辺地にうつし、四出入の防ぎをたかくし、先王荒服の制を明らかにすべし」と。帝、聴かず。つひに天下のうれひと為る。帝、位に在りて、改元すること三。曰く、泰始、かんねい、太康。太子、立つ。孝恵皇帝と為す。


【訳】晋は、魏に取って代わってから16年、太康元年(280年)のときに呉を滅ぼした(実際は266年から280年まで14年か)。それから10年後、武帝は崩御した(290年)。武帝が初めて即位したときには、きじの頭つきの毛皮の上着を太極殿の前で焼き捨て、自身の倹約さを示したものだった。ところがしばらくすると好き放題になり、後宮に数千人を囲うようになった。いつも羊の引く車に乗っており、後宮の女たちは竹の葉を門に挿し、塩をまぶして(羊が竹の葉を食べ、塩を舐めるようにして)待ち受け、羊車が止まったところには、武帝がすぐさま立ち寄って宴会をするのだった。群臣と語るときにも、国家の運営に関する遠大な謀りごとをしたことがなかった。呉が平定されてしまうと、天下には安寧だと思い、州郡の軍備をすっかり取り除いてしまった。さんとうはひとりで憂いていた。漢魏よりこのかた、きよう・鮮卑などの異民族で投降した者が、国境の内側の諸郡にたくさん住んでいた。かくきんはかつて武帝に言った。「呉を平定した勢いに乗じて、少しずつ国境内の諸郡に住んでいる様々な異民族を辺境に移し、異民族の出入りに対する防御を堅固にし、古えの聖王が定めた居住地の割り当てを明確にするべきです。」武帝は聴かなかった。そのため、とうとう天下の憂いとなってしまったのである。武帝の在位中、三たびの改元があった。その元号は、泰始、かんねい、太康である。太子が即位して、孝恵皇帝となった。

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