第3回 呉の趙咨、魏に使いす

 漢文大系本、第3巻、64ページ。

 西暦221年。


 ◯帝恥関羽之没、自将伐孫権。権求和。不許。権遣使於魏。魏封権為呉王。魏主問呉使趙咨曰、「呉王頗知学乎。」咨曰、「呉王任賢使能、志存経略。雖有余閑博覧書史、不効書生尋章摘句。」魏主曰、「呉難魏乎。」咨曰、「帯甲百万、江漢為池、何難之有。」曰、「呉如大夫者幾人。」咨曰、「聡明特達者、八九十人。如臣之比、車載斗量、不可勝数。」


 ◯ていくわんの没するを恥ぢ、みづから将として孫権をつ。権、和を求む。許さず。権、使ひを魏につかはす。魏、権をほうじて呉王とす。魏主、呉使趙ちやうに問ひてはく、「呉王、すこぶる学を知るか」と。はく、「呉王、賢に任じ、能を使ひ、志はけいりやくに存す。かん有ればひろく書史をるといへども、しよせいしやうを尋ね句を摘むにならはず」と。魏主曰はく、「呉、魏をなんとするか」と。はく、「たいかう百万、江漢をいけす。何のなんとすることかれ有らん」と。はく、「呉、大夫のごときものいくにんぞ」と。はく、「そうめいにしてとくたつするもの、八九十にんしんたぐひのごときは、くるまもてせ、ますもてはかり、げてかぞふべからず」と。


 ◯昭烈帝(劉備)は、関羽の死の恥をすすぐため、みずから将となって孫権をたおそうとした。孫権は講和をもとめたが、劉備はゆるさなかった。孫権は魏に使者をおくった。魏は、孫権を呉王にほうじた。魏主(そう)は、呉の使者のちょうにたずねた。「呉王(孫権)は、よく学問を知っているか。」趙咨はこたえた。「呉王は、賢明なものに仕事をさせ、有能な者をつかい、その志は天下の戦略をたてることにあります。ひまがあれば広く書物や歴史を読んでいますが、学生のように、ある章をさがしたり、ある句をつまみあげたりするようなやり方を真似ることはありません。」(近藤元粋の注によれば、そうが詩文を作ることへのあてこすり。)そうはまたたずねた。「呉は、魏をおそれるか。」趙咨はこたえた。「百万の兵士がおり、長江と漢水とが天然の堀となっています。どうしておそれることがありましょうか。」そうはさらにたずねた。「呉には大夫(あなた)のようなものが何人いるか。」「聡明で特にできのよいものは八十人から九十人おりますが、わたくしと同等のものであれば、車にのせ、枡ではかっても、数えつくせないほどおります」と、ちょうはこたえた。

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